ハラスメントによる自死事案で業務起因性を認めた逆転判決

2018年05月15日

弁護士 波多野 進

1 はじめに

ハラスメントによる自死事案の労災認定を求める行政裁判で、業務起因性を否定し、被災者側を敗訴させた大阪地裁第5民事部の判決(平成20年1月30日付)を大阪高裁第1民事部が覆し(平成29年9月29日付)、確定しました。以下、報告します。

2 事案の概要

型(寸止め)の空手を少年時代からやり続けてきた被災者は、直接打撃を行う極真空手の使い手である上司から「お前の空手はなんちゃって空手やな」などと言われたり、「道場に来い」と呼び出されたりしていた。
業務上のある出来事に端を発して「俺と仕事の話は一切せんでええ」「道場へ来い。道場やったら殴りやすいから」「殺すぞ」などハラスメントが短期間に連続して続き、被災者は家族に「殺される」と言い残して自死した。
本件は国の労災の不支給決定の取り消しを求めた裁判である。

3 大阪地裁判決の誤り

大阪地裁判決は、労災認定基準を「行政処分の迅速かつ画一的な処理を目的として定められたものであるから、裁判所を法的に拘束するものではない」とし、労災にあたるかどうかは「認定基準を参考にしつつ、個別具体的な事情を総合的に考慮して行うのが相当」とした。

しかし、大阪地裁は、個別具体的な事実を総合的に判断せず、行政基準ですらない出来事表の例示の具体例に当てはまるかどうかについてあたかも行政のごとく判断しており、極めて問題の多い判決であった。

しかも、大阪地裁は、総合判断するのが相当としながら、問題になった11件のハラスメントを個別に分断して検討し、それぞれの検討内容も誤ったうえ、11件のハラスメントが一連の行為として関連して負荷を高めるという視点もなければ、集中して行われた点なども無視して、たいしたハラスメントではないとした。それぞれの負荷が過大ではないことはありうるところ、このよう判断手法は、ハラスメントを否定・矮小化するためのものといえよう。

大阪地裁の象徴的な誤判部分を挙げる。被災者は、幼少時から就職後に至るまで真摯に空手に取り組んできていた。青春をかけて打ち込んできたものを意味のないことと断じることは、お前は意味のないものに人生・エネルギーを割いてきたと断じることと同じであり、人格を踏みにじる許しがたい発言である。被災者は、空手の先輩や同輩に上司から被災者の空手のことを馬鹿にされることに対し、どのような対応をすればいいのかということを相談するほどであった。同僚の一人は、被災者が「止めてくださいよと言って笑っていましたが、実は落ち込んでいたと思います。」と述べていた。

大阪地裁は、同僚の「実は落ち込んでいたと思います」との供述について、同僚の印象を述べているにすぎず、被災者が落ち込んでいたと認めるに足りる的確な証拠はないとして、そのハラスメントを無視した。ハラスメントの研究結果等からすると、被害者が被害の申告を行うことが困難であるうえ、仮に申告ができたとしてもその申告内容より実際の被害はもっと悲惨な場合が多く。大阪地裁の判断はハラスメントの本質を無視したといわざるをえない。

4 大阪高裁判決の概要

大阪高裁判決は、大阪地裁が個別分断的に捉えていたハラスメントを真の意味で関連性のあるハラスメントであり、相互に影響し合っているというハラスメントの本質を捉えた適正な判断を行った。

大阪高裁は、被災者が打ち込んできた空手を否定し馬鹿にする上司の発言をハラスメントと評価し、相当な心理的負荷がかかったことを認め、この発言が後の上司の言動の背景として心理的負荷を強める作用をしていることを認定し、大阪地裁が軽く見ていた「道場に来い」という発言と、上司の空手に関する発言が相俟って、被災者に業務による相当程度の心理的負荷がかかっていたとした。

個々の上司の発言についても、大阪高裁は適切な認定をした。まず、「俺と仕事の話は一切せんでええ」「道場へ来い。道場やったら殴りやすいから。」との上司の発言は、「自らの怒りの感情を爆発させ、被災者を怒鳴りつけ、その内容も仕事の話を一切しないように言うなど理不尽なもの」であり、「道場へ来い」との発言は、「道場やったら殴りやすい」と加害の意図を有することを示していると認定した。被災者が怒鳴りつけられている間、黙っていたことについても、「上司で怖い存在であったことから、被災者の心理状態は、反論、反発できるような状態でなかったことによると考えるのが合理的である」と適正に判断した。

上司が「何もするな」と怒鳴りつけたことについても、大阪高裁は、極めて理不尽な言動で「労働者としての職業上の人格を踏みにじり、否定する行為といっても過言ではなく、これが嫌がらせ、いじめに当たることは明らか」とした。「何もするな言うたやろ。殺すぞ」との発言についても、「『殺すぞ。』と怒鳴りつける行為は、文字通り殺人行為が実行されるとの恐怖を相手方に抱かせるものとまでいえないが、被災者と(上司)の従前の人間関係、本件夜勤におけるそれまでの出来事を含む具体的な状況に照らせば、殴る蹴るなどの危害が加えられるかもしれないという畏怖の念ないし不安感を被災者に抱かせるに足りる行為」とし、単発的なものではなく、連続的になされたものであることを有機的に連動して評価した。

さらに、上司が「小学生の文書みたいやな。」と大声で言ったことについて、大阪高裁は、一連のハラスメントと連続して行われていること、「周りに他の隊員らがいる前で、被災者に対し文書の提出を受けるや、『小学生の文書みたいやな。』と大声で言ったものであり、そのような人格の否定につながるような侮蔑的な言辞で侮辱された被災者が強い屈辱感等を抱き、惨めな気持ちであったことは容易に推察される」と判断した。

5 大阪高裁判決の意義

ハラスメントは複合的に連鎖していて、大阪地裁のように単発的に評価することは間違いであり、連続的総合的に従前のハラスメントの影響力の有無を検討する必要があること、大阪地裁のように表面的な事象(被害者が笑っている、反論しない、黙っていることなど)ではなく、大阪高裁判決のように被害者の置かれた客観的な状況を踏まえて、被害者が笑っていたことなどの評価を検討しなければならないことが、ハラスメントが争点になっている審理で不可欠であることがはっきり示された。