民主法律時報

東中光雄先生の在りし日を偲ぶ

弁護士 小 林 つとむ

 わたし達の大先輩であり、当協会創立当時の準備世話人のおひとりであった東中さんが、去る8月7日お亡くなりになりました。
 10月11日には、阿倍野斎場「やすらぎ天空館」で、多数の与野党国会議員をはじめ、各界数百名もの参列で、「お別れ会」が厳粛に、盛大に行われました。
 先生の60年以上にわたる弁護士、国会議員としての活躍の多くの場面は、あらためてふり返るまでもなく、大阪府民の記憶に刻みつけられている歴史そのものであり、私などからつけ加えることはありません。

 ただ先生は、1956年わが協会が、当時の労働組合大阪地評の肝入りで設立準備に入ったときから、そして設立してその事務局の場所を、東神ビル内東中法律事務所に置くとしたことにみられるとおり、まさに当時の、数少ない若手弁護士の代表者であったのであります。私とか、宇賀神直、荒木宏、山田一夫君らが、弁護士登録をしたのは1959年で、日教組の勤評闘争、全逓、全国税弾圧など、自民党反動内閣の公安政策が、強行されている時期でしたが、民法協は、その反対闘争の、関西地方全体の中心であり、そして先生は、その後に続いた、橋本敦、石川元也、正森成二、小牧英夫、深田和之さんらと、戦前の大先輩、毛利与一、菅原昌人、山本治雄弁護士らとの継なぎ役として、大切な役割を果たされました。

 1969年に先生は、大阪2区川上貫一衆議院議員の、伝統の議席の後継者として、国会への道を進むとの選択をされました。
 それまでの私の知っているかぎりの、先生の弁護士活動は、党派をこえて、弁護士はもち論、裁判官の目からも、敬服に値するものとして扱われていたと記憶しています。
 吹田、枚方事件をはじめ、私も参加していた大証労組刑事、民事事件、毎日放送労組弾圧事件などでの真剣な先生の弁護活動を忘れることができません。
 まさに私たちにとっては、師であり、兄であり、畏敬すべき先輩でありました。

 今回あらためて、先生の国会議員引退10周年を記念しての「東中光雄という生き方―特攻隊から共産党代議士へ―」の一冊を読ませていただき、生前私たちには余り話されなかった、戦中世代としての苦悩も、少しは知ることができました。
 その戦争終結と再出発。先生はあの激動の時代を身をもって体験されたのでした。
 それから69年、めぐってきた8月、先生は90歳を最後に、数々の業績を残して、此の世を去られました。しかもこの国は再び、戦争を知らず、戦後レジーム(体制)の一掃を信条とするグループが、内閣を支配するという、それこそ嘗てない危険な政治状況にあるという時にです。
 私たちは、あらためて先生の在りし日を思い、その委託に応える活動の決意を新たにしています。

 昨年の今頃かと思いますが、私から当協会の弁護士の何名かと、事務局にもよびかけて、東中さん90歳のお祝いの会を企画しよう、それを機会に、私など年寄りもいっぺんに集まる、祝賀の宴としてくれ、などと申していたのですが、残念ながら間に合いませんでした。
 どうか先生、安らかにお眠り下さい。
 長い間、本当に有難うございました。

 合掌

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