民主法律時報

中国雲南省 麗江 シャングリラ紀行 (第3回)

弁護士 福 山 孔市良

納西族古代音楽会―古楽器の宝庫―

 私は麗江で行ってみたい第一番は納西族の古代音楽会であった。10年前の正月にもやって来たが、その後の変化もどうなっているのかわくわくして参加した。
 夕食後、バスで旧市街の入口まで送ってもらい、あとは徒歩で麗江旧市街の中心地四方街に近い「納西古楽会」に納西族の伝統音楽を聴きに行った。
 夜の8時からはじまったが、約30人の楽団員は4、5人を除いて80歳前後の古老ばかりであった。一番の最長は87歳で、87歳の現役の楽器演奏者はめずらしい。4月末といってもこの辺は2400メートルの高さがある街で、夜は寒い。暖房設備はないので、身体をちぢめて古楽を聴くことになった。
 私は60歳から長唄の三味線、73歳から民謡の三味線を練習しているので、納西族の使う楽器には興味がある。なぜなら日本で使用されている和楽器、雅楽を含めてすべての原型がこの麗江の古楽会で使用されているからである。琵琶、笙、横笛、琴、大小いろいろな三味線、沖縄で見る蛇三味線、低故琴もあり、銅鑼、チャルメラ等々。あらゆる古楽器が使用され、古老の楽団員によって演奏されている。案内書では「かつてペルシアから伝わった楽器の原型がせき止められたように残っている」と解説されていた。
 老人が多い楽団のためか、途中で鼻をかんだり、鼻くそを取ったり、横の人と喋ったり、なんとなくのんびりした雰囲気の演奏であった。しかし古楽器の音はきっちりとしたハーモニーをしており、あれだけ沢山の古楽器を使った演奏は、日本で聴くことは不可能であろうと思った。
 納西族がなぜ、古楽の保存を現在にまで可能にしたのか不思議であるが、中国でも中原地域では早くに消えてしまった古楽が、この雲南省の麗江地域に残るのはトンパ文字が残っているのと深い関連があるのかも知れないと考えた。三味線を弾くごとに古老達を思い出すだろうと思った。
 
4月30日、玉龍雪山(5596メートル)へ

 今日は朝から玉龍雪山の氷河公園へのハイキングに出発した。天気はまあまあであるが、山の上の方の天気は変わりやすいので少々心配である。
 玉龍雪山は麗江とは切り離せない関係ある山々であって、天気さえ良ければ麗江の町々から玉龍雪山はいつも目の中に入ってくる。
 麗江の15キロ北にあり、南北35キロにわたって13の峰々があり、一番高い主峰は扇子走(5596メートル)である。麗江の町は2400メートルであるから一番高い扇子走との標高差は3200メートル余りである。
 中国の高山にはロープウェイが多いが、この玉龍雪山でも1998年氷河の末端の4506メートルの高さまでロープウェイがかけられ、一気に高所まで行くことができる。ここから階段を登って4680メートルまで登ることができる。
 ホテルをバスで出発して少し走ると、道端ではサクランボやイチゴを売っているのが見られる。この時期はサクランボのシーズンである。途中、車を降りて酸素ボンベの携帯用を買うことになった。一本80元1200円は高いが、高山病対策のためには仕方がない。
 ロープウェイの登り口では、パスポートが必要と言われ、提出を求められたが、国内でロープウェイに乗るのになぜパスポートが必要なのかよく分からないで、いやに厳格であった。山頂は雪の中で、寒い。それでも沢山の人達が木道を登っていくのが見える。私は4560メートルの標識のところで記念撮影をしてすぐに下りのロープウェイに乗って下山した。途中ピンクのシャクナゲがあちこちで咲いているのが見られたが、花はシャクナゲぐらいであった。
 この山は北半球の最南端にあって、しかも万年雪をいだく山としても登山家があこがれの的の山である。1930年代から登頂が試みられてきたが、失敗ばかりで1985年と1986年の2回、アメリカ隊が挑戦して失敗し、1987年、やっとアメリカ隊が初登庁に成功したということである。

白沙村

 玉龍雪山からの帰り道、麗江に向かって2、3キロのところにある白沙村に立ち寄った。
 この村は、現在の麗江の発祥の地であり、納西族の木氏の本拠地でもある。かつては政治や文化の中心地であったということであるが、今では、日干しレンガの壁や黒い瓦屋根の農家が見られ、老人達がマージャンに熱中している姿が目につく位である。
 この白沙村には、白沙壁画があり、この壁画が中国でも貴重な文化財として有名である。この壁画は木氏がナシ族、ペー族、チベット族、漢族の絵師に数百年にわたって共同製作させたというものである。その特徴は釈迦をはじめとして儒教の孔雀明王や東巴教の神や道教の道士などが描かれており、「三教会一」といわれる民族の混合文化が表現されていることである。
 白沙村の土産物屋で100元の硯を買った。

麗江古城にて

 麗江は少数民族のうち、ナシ(納西)族が一番多く住む麗江ナシ族自治県のなかの中心都市で、麗江という名は県名で、正式には麗江県城といわれる。
 高度は2400メートルで、台湾と同じ緯度でありながら、高度が高いので、年間の平均気温は12~20度で、大変住みやすい町である。しかし、朝昼晩の温度差が大きく、昼はやはり暑いが、夜は寒く、納西古楽を聴きに行った時は、夜の9時ともなれば寒くて仕方なかった。
 麗江が有名になったのは皮肉なことに1996年2月のマグニチュード7の大地震によってである。麗江県全体で300人の死者を出し、麗江古城内の古い木造家屋の多くが倒壊した。このニュースが世界に知らされ、各国から救援隊が援助にやって来たことによって、約800年前からの黒い瓦屋根の木造家屋が建ち並んでいる古都が発見されたのである。
 この古都を保存し、修復する運動が起こり、これを機会にこの古都がユネスコ世界文化遺産に登録され一層麗江が世界的に有名になり、観光客を呼び寄せることになったのである。麗江のどんな宣伝写真を見ても黒い色瓦が連なる屋根の家並みは、日本の古い田舎町を見るようで大変魅力のある風景である。
 この風景は麗江古城の中15街、四方街を獅子山公園の方に登っていくと、古城地区の古い家並みや色瓦の波の屋根を見ることができる。
 私達は中途の茶店に入って雲布コーヒーを飲みながら、それらの景色をみて、写真に納めた。
 麗江古城のいいところは、町の中を流れる水路と石の橋々、そして何百年も踏みつづけてきた石畳の道と水路に影を落とす柳の木々である。
 ガイドのエンさんの話によれば、「納西族の男は全く働かない。労働の全てを女性に任せきりである。」ということで、彼女は「納西族の女性は豚まで殺して肉をさばいている。こんなことをしなくてはならないとするなら、納西族の男性とは絶対結婚したくない。」と言っていた。
 雲南省はなんといってもお茶の産地で、町の中にもお茶を売る店が多い。杭州の龍井(ロンチン)茶の茶畑には行ったことがあるが、雲南のシーサンパンナのプーアール茶の茶畑は行ったことがないが麗江でも固いかたまりになったプーアール茶を売っている。近いうちにシーサンパンナの茶樹の原産地で茶樹王を見に行きたい。

       (つづく)

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