島根大学名誉教授 遠 藤 昇 三
私は、『民主法律時報』543号(2018年4月)に「労働組合の組織力・闘争力の強化に関わる一問題提起」を掲載した。その第2項目(「労働組合の量的拡大の方策について」)で、企業別組合の「企業横断的な個人加盟の組合への切り替え」を提唱した。それは、主として権利論からの提唱であり、その考え方は変わっていない。しかし、「企業別組合」からの脱皮という問題には(ここでも残念ながら負の)歴史があるので、ここでは主としてそれに焦点を合わせた検討をしたい。
日本の労働組合の根本的な弱点として、これまで指摘されて来たのは、日本の労働組合の多数を占め大企業労働組合の大半であるところの、(欧米型の産業別・一般組合ではなく)企業別労働組合という組織形態である(官公労働者の場合も同様であるが、ここでは民間企業労働者に焦点を絞ることにする)。それは、たとえその労働組合が戦闘的であっても抱える問題性である。何故なら、企業別組合は、第一に、その組織化の範囲が企業という狭い範囲であること、即ちその企業の従業員でなければ組織化の対象ではない、従業員でなくなれば資格を失うというものであるからである。言い換えれば、労働者であるから加入するのではなく、企業の従業員であるからその資格を得られるということでもある(但し、非正規労働者の加入の道は狭いが、この点は度外視する)。それ故に第二に、企業別組合の要求や問題処理の対象は、あくまで企業内問題に視野が限定され、企業外のとりわけ市民社会の課題がおろそかにならざるを得ないからである。それと関わって、企業別組合の連合体である産業別組合(単産)は組織され、それに多くの企業別組合は加入しているが、単産内では企業エゴが目立ち、産業的な課題をその総力を挙げて取り組むには至っていないのである。その属する単産が参加するナショナルセンターのレベルの課題を企業別組合が担うのは、ますます困難である。第三に、大企業とその企業別組合との力関係では大企業が圧倒しているから、組合の要求の実現度が低く、更には大企業による組合攻撃が激しくかつ巧妙で、組合の丸抱え(労使と言うより企業協調的労働組合への変質)や多彩な不当労働行為による組合の分裂・少数派化が、一般的に生じるのである。
こうした事態をめぐって、労働組合の側では、「企業別組合」からの脱皮の試みが、例えば「ぐるみ」闘争、単産の組織力・闘争力の強化のための単産レベルの産業別団体交渉、企業を超えた労働者の組織化の試み(=合同労組運動)等がなされたが、遂に「企業別組合」からの脱皮には成功しなかった。他方、労働組合論・労働問題等の研究者においても、「企業別組合」からの脱皮が常に繰り返し強調されたが、これも功を奏さなかった。それどころか、企業別組合の再評価(ヨーロッパの産業別組合の企業内への浸透・企業内課題への取組みをも踏まえての)や企業別組合自体の戦闘化の検討の方向に流れた上で、いつの間にか、誰も「企業別組合」からの脱皮を言わなくなって来た。いずれにしても、この両者において、「企業別組合」からの脱皮が不成功に終わったことの、反省・総括はなされていない。従って、「企業別組合」からの脱皮という課題は、単に提唱しただけでは実現しようもない、負の歴史的条件を抱えた、極めて困難なものである(なにしろ、企業社会・日本的経営を支える三種の神器の一つとされたのが、「企業別組合」である)。
しかし、(木下武男『労働組合とは何か』岩波新書、2021年のオビの言葉「労働組合は死んだ。だが、その再生こそ民主主義再建には必要だ」を使わせてもらうと)「「企業別組合」からの脱皮は不可能である。だが、その実現こそ民主主義再建には必要だ」ということで、改めて本格的に取り組むべきである。
最後に注意すべき点を指摘しておく。「企業別組合」の組織形態・企業協調性を棚上げして、これからは職種別・専門別の組合やコミュニティ・ユニオンこそが主流だとして、そこに労働組合運動の将来を賭けようと