民主法律時報

《寄稿》将来社会を論じる際の注意点

島根大学名誉教授 遠藤 昇三

民法協においても、個別の諸課題への取組みや様々な運動の連携というレベルを超えて、今の社会(軍事大国化と新自由主義的改革の推進、そして貧困・格差社会の拡大)にとって代えるべき別の将来社会のあり方について、大いに論議すべきだと思います。しかし、その際に注意すべきことについて、一定の仮定をおいて論じておきます。その仮定とは、将来社会のあり方についての完全に一致した合意・了解が成立していない、いろいろな論議のある中で、「福祉国家」を目指すものについて、さしあたり最も重要で可能性のある将来像であるとすることであり、それに関する注意点を論じたいと思います。

私自身、拙著『社会変革と社会保障法』(法律文化社、1993年)において、将来社会として「福祉国家」を目指すべきことを提言しました。今もその考え方は、変わってはいません。但し、ヴァージョンアップした福祉国家ないしは新福祉国家が、提唱されていて(その内容は問いません)、ここではその提言に注目して論じます。それを最初に提唱したのは、渡辺治(当時一橋大学)、後藤道夫(当時都留文化大学)、二宮厚美(当時神戸大学)、岡田知弘(京都大学)といった人々(彼らの編集で『ポリティーク』という雑誌を旬報社から出していた)で、今ではその人たちを中心に「福祉国家構想研究会」が組織され、その研究成果が『新たな福祉国家を展望する』(旬報社、2011年)、『シリーズ新福祉国家構想』(大月書店)といったものです。

ここで第一に問題としたいのは、新福祉国家を将来社会として目指すとして、その構想は、この研究会を超えたより多くの人々により、検討され議論され練り上げられるべきだということです。そのことは、この研究会に参加している人たちには分かっていることでしょうが、そうした動きが、必ずしも活発にはなされていないように思われます。特に問題となるのは、他の福祉国家を目指す人々あるいは「福祉社会」を目標とする人々との対話(批判はしても)が、成立していないことです。新福祉国家構想とは、(新しさを含めて)福祉国家を否定し対立する人々以外の全ての人々による共同作業として形成されるもののはずです。さらには、(新自由主義的改革とその帰結に反対する点では同じでありながら)福祉国家を目指すことに反対する人々との関係では、かなり腰を据えた合意形成の努力が、求められています。端的に言えば、現状は、未だ賛同する仲間内の議論に留まっているようです。

第二に問題としたいのは、負の歴史の反省・克服です。ヨーロッパの福祉国家は、強大な労働組合(企業横断的な産業別組合・一般組合)とそれに支えられた社会民主主義政党(政権参加さえする)により、形成・維持・発展させられて来たものです。ところが、日本においては、そうした労働組合(企業別ではありますが)や政党が存在しなかったどころか、福祉国家を否定し対立・敵対さえしていました。日本において福祉国家が形成されなかったのは、当然です。現在の労働組合・政党が、そうした負の歴史を総括し反省しそしてその克服の上で、新福祉国家を目指すという状況にはありません。それらを福祉国家の担い手とする考え方を否定するのであれば、負の歴史の反省・克服といったことは、問題にならないかも知れません。しかし、これらの勢力抜きで福祉国家が実現するとは、到底思えません。だとすれば、それらの勢力を福祉国家実現の立場に立たせ、福祉国家実現の運動に参加させなければなりませんが、その場合に、負の歴史の反省・克服が、不可欠と思います。過去を問題とせず未来のみを見つめるという立場が、成り立たないとは思いませんが、やはり過去を踏まえてこそ、未来が切り開かれるのだと思います。

第三の問題は、新福祉国家実現の主体に関するものです。新福祉国家を提唱する人々が、そうした主体として設定しているのは、軍事大国化・新自由主義的改革により打撃を受けているいわゆる社会的弱者であり、それらの個々の運動とその連携といったところのようです。それらが、新福祉国家実現のための十分な勢力となるかについては、疑問です。なにより、多国籍企業化した大企業支配体制の変革が、視野に入ってないというか、そのことに言及がないのは、重大な欠陥のように思います。その変革は、外からの(例えば国家的な規制の強化)圧力によると、想定しているのかも知れません。しかしそれでは、展望を開けそうにありません。やはり、大企業支配体制の内外とりわけ内からの変革が、求められます。そうだとすれば、第二の問題との関わりでも、労働組合を、福祉国家を目指す主体としかつ福祉国家実現にふさわしい強大の勢力に引き上げること(その課題の一環である「戦闘的労働組合運動の再生・再構築」については、『民主法律』2019年権利討論集会特集号掲載の拙稿で検討していますが、福祉国家を担う労働組合は、必ずしも戦闘的である必要はないと思っています)が、まずは、取り組むべき課題となるように思います。そして、その上にあるいはそれを背景として、福祉国家を目指す政党(社会民主主義政党に限らず)を育成することが、求められます。そうした福祉国家実現の主体の整備が、独自の課題となるのであって、それは自然に生ずるものではないと思います。

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