民主法律時報

憲法も国民の安全も踏みにじるオスプレイ――日米安保の黒い影

弁護士 橋 本   敦

1 オスプレイに湧きおこる国民の怒り

 たび重なる事故をおこして「未亡人製造機」とまで呼ばれている危険なオスプレイが、ラムズフェルド米国防長官も2003年の視察で「世界で最も危険な基地である」と認めたその沖縄の普天間基地に国民の大きな反対を押しきって強行配備された。そして、「学校を含む人口密集地の飛行は極力避ける」「ヘリモードは基地内に限る」などの日米合同委員会で合意された安全対策の合意事項を踏みにじるオスプレイの危険な飛行が常態化している。
 本年9月9日の沖縄の反対集会には10万人をこえる県民が結集した。
 米兵の暴行事件で県民の怒りはさらに高まり、沖縄県議会では10月22日全会一致でオスプレイ反対とともに、米軍基地の全面撤去が決議された。
 さらに、オスプレイは沖縄だけでなくこれから全国で運用される。しかも許せないことに、日本の航空法が禁止している地上約60メートルの危険な超低空飛行も実施されようとしている。
 これは、航空法第81条が「航空機は国土交通省令で定める高度以下の高度で飛行してはならない」と定め、これにもとづいて同法施行規則第174条では、「まもるべき最低安全高度は人口密集地で300メートル、それ以外では150メートル」と規定されていることに明白に違反する危険な暴挙であり、到底許されない。
 こうして今やオスプレイ反対の怒りの声は全国に燃えひろまっている。
 これに対し、アメリカのパネッタ国防長官は「オスプレイ配備は日米安保条約上のアメリカの権利である。日本側には配備を拒否する権限はない。」と居直っている。
 日本の法律を犯し、日本の国民にいのちの危険を押しつけて、それが「権利だ」とは何ごとであろうか。そして野田内閣はこの発言に抗議もできず、アメリカの言いなりにオスプレイの配備を容認しているのである。

2 日本の法律を踏みにじるオスプ レイの重大な危険

 オスプレイの危険性の最大の問題は、オスプレイにはオートローテイション(自動回転機能)が欠如していることである。オートローテイションとは、エンジンが停止した場合に滑空により安全に緊急着陸する機能である。
 これはヘリコプターの安全運行のために絶対必要な機能であって、わが国の航空法ではこのオートローテイション機能がないヘリコプターは飛行が禁止されている。
 すなわち、航空法第11条は「航空機は有効な『耐空証明』を受けているものでなければ、航空の用に供してはならない。」と定めている。『耐空証明』とは安全に飛行ができる証明のことである。そして、この航空法の施行規則の附属書第一「航空機及び装備品の安全性を確保するための強度・構造及び性能についての基準」が定められていて、その第二章の「2―2―4―3」項には「回転翼航空機は、全発動機が不作動である状態で、自動回転飛行により安全に進入、着陸することができるものでなければならない。」と明確に規定されている。
 そのため、この規定に違反してオートローテイション機能をもたないオスプレイは、飛行に必要な『耐空証明』を受けることができないから、航空法第11条によって、そもそも飛行することが許されないのである。

3 日米安保の黒い影

 ところがそれなのにオスプレイはなぜ『耐空証明』がとれないのに日本の空を飛行できるのか。
 それは米軍の軍事的利益を守るために航空法の特例がつくられ、その特例法によって、米軍機には前記の航空法第11条の適用が除外されているからなのである。
 何故に米軍機に対しては日本国民の安全をまもるための重大なこの法律が適用されないのか。この許し難い特例法なるものはどうして作られたのか。
 まさにここに日米安保があるのである。
 日米安保条約第6条は米軍の日本駐留を認め、その米軍の日本における優先的地位と基地利用の便益などを認めるため日米地位協定(その正式の名称は「日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約第6条に基づく施設及び区域並びに日本国における合衆国軍隊の地位に関する協定」)が締結された。その日米地位協定の第3条は、「合衆国は施設及び区域において、それらの設定、運営、管理のため必要なすべての措置をとることができる。」と定めている。
 このアメリカの軍事上の優先的専権的利益をまもるために、アメリカの要求どおりに航空法の特例がつくられているのである。
 それが「日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約第6条に基づく日本国における合衆国軍隊の地位に関する協定の実施に伴う航空法の特例に関する法律」である。
 そしてこの特例法の第2項は次のように定める。
 「合衆国のために又は合衆国の管理の下に、公の目的で運行される航空機並びにこれらの航空機に乗り組んでその運行に従事する者については、航空法第11条の規定は適用しない。」
 こうして、この航空法の特例法によって、米軍機には日本国民の安全をまもるための重大な法律である航空法第11条が適用除外とされ、『耐空証明』がとれない危険なオスプレイもわがもの顔で日本の空を飛行することができるのである。
 この特例法なるものは日本国民の生命の危険を無視して米軍の特権的優位を認める対米従属の屈辱的法律であり、それは米軍に対して、わが国の法律の支配を受けない特権、すなわち『治外法権』を与えていることにほかならない。断じて許せないではないか。
 アメリカの航空専門家のアーサー・レックス・リボロ氏は米下院でのオスプレイに関する公聴会で証言し、オートローテイション機能をもたないオスプレイの導入は「兵士の生命の軽視である」ときびしく批判しているが、日本への配備は、沖縄県民はじめ日本国民のいのちと安全を「軽視」どころか、重大な危険にさらす不法な暴挙であると言わねばならない。
 今沖縄では多くの県民がオスプレイ墜落により生命と安全が失われる恐怖に毎日脅えているのである。
 沖縄国際大学の前泊博盛教授が、「アメリカは日本にはオスプレイ配備を押しつけるのに一方で、米陸軍は“危険だから”という理由でオスプレイの導入をやめています。それなのに日本にはおしつけるオスプレイ配備の問題は、日米安保条約の本質や矛盾、日本の民主主義の機能不全の実態、対等ではない日米関係の実態を浮き彫りにしています。」と述べているとおりである
 こうして今、沖縄は勿論、全国に高まるオスプレイ反対の国民のたたかいは、屈辱的な対米従属の安保条約廃棄をも視野に入れて、「オスプレイはアメリカへ帰れ」「米軍基地をなくせ」という大きな平和のたたかいにしてゆかねばならない。

4 憲法違反のオスプレイ配備

(1) 侵略的攻撃兵器オスプレイの日本配備の目的
 このように日本の航空法を踏みにじり、国民の大きな反対を押しきってオスプレイを日本にもち込み、海兵隊に配備するアメリカの目的は何か。
 まず、オスプレイの軍事的侵略機能の絶大な強化である。防衛省が今年6月13日に公表した「オスプレイの普天間配備及び日本での運用レビュー」によると、オスプレイは在来のヘリに比較して、飛行速度は2倍、戦闘半径は4倍、輸送兵員数は2倍、貨物積載は3乃至4倍、航空距離は5倍強の3900キロ、そしてこれまでのヘリコプターと違い、空中給油が可能で、これによって北朝鮮や中国への進行も可能となる。
 これはまさしく米海兵隊の地球規模の遠征=「殴りこみ」の能力を飛躍的に高める侵略的攻撃能力の強化にほかならない。そのねらいはアメリカの「新防衛戦略」に基づく海外遠征軍“殴り込み部隊”である海兵隊の戦力強化が目的である。
 そして、オスプレイが配備された海兵隊は「考えられうる最も過酷な状況下でも交戦能力を有して、不確実な将来への戦闘作戦への即応性を有した迅速で決定的な遠征部隊になる。」とされている。
 また、2009年に策定された米海兵隊の「海兵隊・展望と戦略2025」という文書では、このオスプレイは従来のヘリと比較して、「戦場における革命的効果をもたらす」とまで述べている。
 まさしく、オスプレイの配備は日本防衛のためではなくアメリカの軍事的世界戦略の「革命的」な強化のためなのである。

(2) 平和憲法違反のオスプレイ配備
 このようなアメリカ海兵隊の先制攻撃能力を強化するための侵略的攻撃兵器を治外法権によって平和憲法をもつ日本にもちこむことは許されるのか。
 オスプレイの導入と配備は、何よりもわが憲法第9条を踏みにじる憲法違反であり、わが平和憲法が到底許さぬ問題であると言わねばならない。
 ここであらためて60年安保闘争の前夜に、『砂川の土深く杭打たるるも心に杭は打たせるまいぞ』とたたかわれた米軍基地拡張反対の砂川闘争の裁判で、1959年3月30日、東京地裁の伊達秋雄裁判長が被告人とされた労働者、市民の全員に無罪判決を下し、その理由のなかで「安保条約による駐留米軍は、憲法九条に違反する」と明確に判示した画期的な勇気ある判決を想起しよう。
 その判決は、わが国が駐留を許容しているアメリカの軍隊は、日本国憲法第9条2項が禁止する「陸海空軍その他の戦力の保持」に該当するものであり、わが国内に駐留する合衆国軍隊は憲法上、その存在を許すべからざるものといわざるを得ないと明快に判示したのであった。この砂川事件の判決に照らしても、「戦場における革命的効果をもたらす」とまでアメリカが強調する侵略的攻撃兵器であるオスプレイの日本配備の違憲性はさらに明白であると言わねばならない。
 中山研一京都大学教授は論文『治安と防衛』(現代法学全集  )において次のように論述されている。
 「ところで、安保条約を根拠とする駐留軍の存在および行政協定や刑事特別法による駐留軍への広汎な特権の賦与は、果たして戦争の放棄と戦力の不保持を定めた憲法に適合するものであろうか。この点については、現に昭和三二年に発生したいわゆる『砂川事件』において裁判上争われ、米軍の駐留を違憲としたいわゆる伊達判決(昭和三四・三・三〇東京地裁)が、逆にこれを合憲であるとした最高裁判決(昭和三四・一二・一六大法廷)によって破棄されるという経過をたどったのである。最高裁は、いわゆる統治行為論によって安保条約に対する司法判断を回避して、憲法九条が日本軍に関するだけで外国の軍隊には関係がないとする形式論を展開したのであるが、ことがらを実質的に見るならば、自国が行ないえない行為を他国と協定して自国内で行なわせることも当然禁ぜられるといいうる以上、憲法的疑義はなお将来にわたって留保されるべきものと考えられるのである。」(146頁)
 すなわち同教授は、米軍に対する治外法権の利益供与は平和憲法違反の疑いはぬぐえないと強く主張されているのである。
 また、日本国民の安全といのちをまもるための重要な航空法第11条を米軍には適用しないと除外する航空法の特例法なるものは、アメリカの軍事的利益のために、わが国民のいのちと安全をおびやかすものであって、日常安心して生活することができるという国民の生存権を侵害するものであるから、憲法第25条を犯す憲法違反であることも明らかではないか。
 こうしてオスプレイの配備は、わが国民のいのちと安全を脅かすだけでなく、わが憲法を踏みにじる重大な問題である。
 アメリカの同盟国のなかで、米海兵隊が常駐している国は今は安保条約下の日本のみである。今こそわれわれは安保条約廃棄をも展望し、オスプレイはアメリカへ帰れの国民的たたかいを大きくまきおこしていかねばならない。
 全国にひろまるオスプレイ反対のたたかいは、国民のいのちと平和憲法をまもる今日の国民的たたかいの基軸である。

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