地域労組おおさか青年部 北出 茂
1 総論
2011年6月15日にエルおおさかで開催された「働き方ネット大阪・第14回つどい」に参加させていただきました。
テーマは「大討論!これからの日本の経済と社会~大震災後の環境・経済危機をどう乗り越えるか~」。
パネリストは、以下の通り。
森岡孝二氏 (関西大学教授・企業社会論)
藤永のぶよ氏 (おおさか市民ネットワーク代表)
中山 徹氏 (奈良女子大学教授・都市計画)
この超豪華、かつ、全く異なる専門分野をお持ちの先生方が、全く異なる観点から「震災後の日本の経済と社会はどう在るべきか」を議論されました。
さらに、岩城穣弁護士が司会を務められました。
以下、テーマの流れごとに感想を記し、報告とさせていただきます。
2 都市像
中山徹先生(都市像)は、異色であった。
日本は、以下のような人口の増減をたどると推測されている。
(百年前)4千万人
↓
(現在) 1億3千万人
↓
(百年後)4~5千万人
氏が説明したのは、欧米で確立しているという都市計画でのシュリンキングポリシーという考え方。
国の人口が減っていくのならば、高層住宅などを取壊して、そこに公園をつくって自然を取り入れよう、ゆとりのある美しい街作りにしようという考え方。
うーん。これって、宮崎駿(トトロの作者)だよ。
コンクリートだらけの灰色の街並か、子供たちが寝ころべる緑色の芝生か。
コンクリー道路か、カントリーロードか。
豊かさって何なのか。
3 原発について
原発の必要性が宣伝されているが、実は殊更に推進派に「都合のよいデータ」だけを取り出して、都合の悪い部分は隠蔽してきたきらいがある。
原発は、実は、火力や風力よりもコストが高い。さらに、リスクは外部任せ。
まして、推進派はエコと言っておりましたが、実はエコでも無い。
エコというより、利権に絡んだ「エゴ」なんだろうな。
しかし、原発事故というのは、しゃれにならない。
事故が起こっても、隠蔽体質はいかんなく発揮されてしまった。
メルトダウンしていない(公式見解)
↓
絶対メルトダウンしている(ウワサ)
↓
実はメルトダウンしていました(後で発表された真実)
公式見解よりもウワサの方が、情報が早くてしかも正確な国、日本。
これって、どうなんだろう。放射能って、生命・健康にかかわることですよ。
話を元に戻そう。日本はエコ(ECO)と叫ぶわりには、自然エネルギー導入は先進国の中で下位。自給率も下位。
なのに、「都合のよい部分」だけを取り出して、事実を捻じ曲げてきた。
たとえば、「原子力」という言葉は、日本独自の使われ方をしているという。
外国では、原子力エネルギーは核エネルギー、原子力発電は核発電、原発事故は核事故という。
原発事故は「核事故」。なるほど。いわれてみりゃそうだ。
核は戦争に用いられる危険な物で、原子力は安全で平和利用できる物であるかのような、核は人間の手に負えないが、原子力は人間の手に負えるような、そんな刷り込みがされてきたのだな。
なるほど。「絶対安全」と言いながら、事故が起きれば「想定外」。
もはや自覚するしかないな。ずっと洗脳されてきたのだと。
4 労働問題、働きすぎについて
森岡孝二先生(働きすぎをなくす)と藤永のぶよ先生(脱原発)の主張は、事なる視点からであるとはいえ、どこか通底するものがあったように思う。
資本主義の発展のため(金儲けのため)には、死ぬほど働かせて労働者すらも消費・浪費する。これは「新自由主義」により顕著になった傾向だ。
原発が一部の者の利権のために推進され、その負の側面は国民や原発労働者など弱者が負担する。これもまさに「新自由主義」の構造だ。
そうか。お二方の主張は、全く事なる視点ではあるが、「新自由主義批判」という点では共通しているのか。
労働時間短縮の経済効果や恩恵について、デンマークをモデルにしながら説明がなされた。
デンマークは労働時間は短いが、世界有数なくらい、経済効率、生産性は高い。
労働時間短縮により、家事や地域社会に貢献できる。それこそが豊かな生活ではないだろうか。
日本ではどうか。現状では、過剰な働かせ方をさせて、残業代を支払わなかったりするブラック企業が後を絶たない。
この国で働く多くの労働者にとって、過労死、過労やパワハラによるうつ病の問題は、決して他人事ではないはずである。現実問題として顕在化しているか潜在的かの差こそあれ。
過労死、うつ病、サービス残業、名ばかり管理職、リストラ解雇、パワハラ。
これらは、全て、根は一体なのだと思う。
とりわけ、構造改革の名の下に日本にも導入された「新自由主義」は、何をもたらしたのか。それは格差社会を招聘し、古き良き日本の社会をいびつにゆがめる結果しかもたらさなかったのではないか。悲しいくらいに・・・
学習会では、やはり組合運動の力だけではだめで、残業時間の明確で厳格な規制を「法律」で定めさせなければ労働時間の短縮は成しえない、
という趣旨の発言があった。
補足しておく。
残業時間の明確で厳格な規制を「法律」で定めさせなければ労働時間の短縮は成しえない、かもしれない。
しかし、「法律」を定めさせるのは、組合運動や、法廷闘争を含めた社会運動や、世論の力にほかならないのだと。
そして、定められた「法律」を守らせるのも、世論の力であり、国民の力なのだと。
だから、組合の方々は頑張っておられるし、学者や法律家の先生も頑張っておられるし、様々な方が草の根で頑張っておられる。
だって、国民主権って、そういうことなのだと思うから。
5 まとめ
「震災後の日本の経済と社会はどう在るべきか」
震災が揺るがしたものは、原発の安全神話、だけではない。
問われているのは、大量消費を煽る資本主義社会のあり方、労働のあり方。
何より、「新自由主義」との向き合い方が、もう一度問い直されなければならないのではないか。
三・一一(震災と原発事故)が提起したものは、極論すれば、これからの日本と世界の進むべき方向性、そのものではないかと思う。
改めて思う。問われているのは、社会の在り方、そして、私たちの生き方、そのものなのだと。
最後に、拙い文章に最後までお付き合い下さった方々に、心から感謝を申し上げます。
最後まで読んでくださってありがとう。