民主法律時報

久しぶりの賃料裁判――地代値下げの請求

弁護士 吉 岡 良 治

 この3年間、地代値下げの調停、裁判にかかわりました。調停不調→裁判訴え→鑑定→本人尋問→裁判直前で和解という経緯です。
 昭和45年に地代9200円だったものが、1ないし2年ごとに値上げが繰り返され、昭和63年には5万1200円。その後バブルが崩壊後も値上げが繰り返され、平成7年には7万8000円になった。その後の値上がりはなくなり平成23年10月を迎えた。対象土地は鶴橋駅前から続く商店街にあったが、道路拡張のために分断されたうえ、一画が火災にあい、その面影はない。夫婦で豆腐屋さんを営んでいた原告も平成18年で廃業、その後ご主人もなくなり、このままでは地代は払えないとやむにやまれず値下げの調停の本人申請をした、というものです。

 土地の固定資産税評価は平成7年に比べて平成23年では6分の1となり、土地にかかる公課も20万円から5万円と激減した。にもかかわらず地代は据え置かれたままだった。貸主は公課が減った分、だまってでも利益として入ってくる、実質値上がりをしているようなものではないか、過去にさかのぼって、これを返してもらいたいというのが原告の偽らざる本音でした。賃料変更は、形成権であることから難しいけれど、深めていい問題と思う。

 本件は調停本人申立て後、私のところに相談に見えられた。そのときの調停申し立ての趣旨7万6000円を5万円にしてもらいたいというものだったが、これはかなり控えめな請求で、私からいわせると、土地価額の落ち込みなど考えると、一ヶ月4万円の請求でもおかしくないものだった。
 裁判は最終的には、原被告折半して鑑定申請をし、裁判鑑定することとなった。鑑定賃料は5万4900円。しかし、この鑑定は相も変わらず差額配分方式をベースとしており、更地価格の期待利回り5%が計算根拠である。ゼロ金利時代に何を言ってるのか、と思う。バブルに向かっていたころと利回りは変わらないのである。

 そもそも借地法12条(借地借家法11条も基本的には同じ)は地代増減額事由として、①公課の増減 ②土地価格の上昇低下 ③近隣土地の地代との比較を掲げているが、この鑑定書は③の近隣地代についてはまったくふれない。原告は近隣に比べていかに高いか、これを10例も調べ、住宅地図におとし、証拠として提出したが、鑑定書は参考にはしなかった。
 裁判所も地代を示す証拠(契約書、通い帳)が必要だとし、原告本人の法廷供述だけでは事実認定上の困難を匂わせた。こうして最終的には低い方の鑑定地代で和解に至った。

 40年ぐらい前の思い出で恐縮するが、最初の10年は貸主からの賃料値上げ裁判に抗すべく、常に数件以上抱えていた。現場に行っては住環境に驚き、出てきた計算式羅列の鑑定書にはその倍の反対意見書を出し、鑑定人を証人尋問までしたこともあった。まだ、地代家賃統制令が生きていた時代だ。和解の攻防も100円、200円ということもあった。他方、土地の評価額がおそろしい勢いであがり、貸すほうも多少の値上げをしても、割に合わない感覚となった(しかしどんなに不動産公課が上がっても、貸す方は従来利益以上は確保されていた)。
 そういうなかで地上げが横行し、将来の驚嘆値上げ賃料を想像した借主は、悲観し、立ち退きしたケースもある。

 そのころは気骨な裁判官がいて、鑑定書が出ても適正賃料は自分が判断するといって、鑑定人証人を採用し、鑑定書に書かれた数字の根拠をひとつひとつ確かめ、貸主申請で高い賃料鑑定書が提出されたら、借主の鑑定申し立てを採用し、二つの鑑定をもとに審理を進めることもあった。
 今はこのようなことはまずないのではないか。平成3年ごろから賃料変更は調停前置となり、そのために賃料の本質や住宅政策論議が後方に追いやられたように思われる。持つもの(貸主)と持たざるもの(借主)の対立どころではない、貸す方も大変という状況が、特に個人貸主のほうから聞こえてくるし、実際そういうこともあるだろう。あらためて、賃料問題を取り上げる時期がきたのではないかと思う。

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