民主法律時報

大阪・泉南アスベスト国倍訴訟第2陣 大阪地裁で勝利!―大阪高裁不当判決を克服して再び国の責任を断罪

弁護士 谷  真 介

1 はじめに

 本年3月28日、大阪地裁第8民事部(小野憲一裁判長)において、大阪・泉南アスベスト国賠2陣訴訟(原告55人・被害者33人)について、昨年8月25 日の1陣訴訟(原告34 名、被害者26名)について大阪高裁第 民事部(三浦潤裁判長)で出された原告逆転敗訴の不当判決を克服し、総額1億8043万円の賠償を命じる原告勝訴判決を勝ち取ることができた。判決に至る経過や判決内容、その後の運動及び今後の方針について、報告したい。


2 審理の経過
 

 ご存じのとおり、昨年8月25日の高裁判決は、結果及び内容において、「不当」としか表現しようがない、最悪の判決であった。泉南地域の石綿工場での激甚な粉じん発生状況や、深刻なアスベスト被害を認定しながら、工業技術の発達及び産業社会の発展のためには石綿による人の生命、健康に被害が生じてもやむを得ないとして、産業発展、経済発展と最も尊重されるべき人の健康、命を天秤にかけ、一方で、昭和30年代には局所排気装置を義務づけるだけの技術的基盤がなく法的被害を防止する術は防じんマスクの着用しかなかったという事実をねじ曲げた認定をした上で、そのマスク着用が徹底されなかった原因は新聞報道等でアスベストの危険性を知り自己で身を守らなければならなかったはずの事業者や被害者にあるとして、責任を被害者に押しつけ国を免罪するなど、泉南でのアスベスト紡織工場の実態や加害と被害構造を無視するとんでもないものであった。また、筑豊じん肺訴訟最高裁判決、関西水俣訴訟最高裁判決以降、被害者救済を重視し、国の規制権限行使について、「できる限り速やかに」、「適時かつ適切に行使されるべき」として、厳格な規制権限の行使を要求してきた司法判断の流れに完全に逆行するものでもあった。

 全く予想していなかった不当な敗訴判決を受け、原告団、弁護団は目の前が真っ暗になり、谷底に突き落とされたかのように打ちひしがれた。判決後に一人の原告の方がぽつりと言った「裁判官が人を殺すのに刃物はいらないんですね。判決で人を殺せるのですね。」という言葉が頭から離れず、被害者にそう思わせるような判決を出させてしまった現実を、受け止めることができなかった。しかし、その後の大阪や東京での判決報告集会や怒りの抗議行動で、これまでも支援いただいていた多数の方から、「こんな判決がまかりとおっていいのか」という怒りの声や、「一緒にこれを跳ね返そう」という温かい励ましの言葉をかけていただいた。この後押しを受けて、原告団、弁護団は、最後まで闘うことを決意し、一人も落とすことなく全員一致で上告して闘うことと決めた。

 こうして最高裁闘争に挑まなければならなくなった中、1陣地裁結審前に提訴し、結審直前であった2陣訴訟が、極めて大きな位置づけをもつこととなった。高裁判決時にはすでに約2か月後の10月26日に結審日が決まっていたが、弁護団は裁判所に、「高裁判決が出されたことを受けて仕切り直したい」と結審日の延長を申し出た。しかし裁判長は「自らが判決を書くにはこの結審日は変更できない」と意欲を見せたこともあり、弁護団としても10月26日の結審までに高裁不当判決をすべて批判し尽くす決意を固めた。その後は、文字どおり、必死であった。高裁判決の国の責任に関する判断枠組みの誤り、国の被害の認識に対する見方の誤り、ねつ造ともいえるほどの明らかな事実誤認、泉南の深刻な被害についての完全な無視など、議論をかさね、これまでじん肺訴訟や公害訴訟に携わってきた全国の弁護士にも意見を聞き、300頁にわたり判決を批判し尽くした準備書面と新たな証拠を提出した。またさらに700頁にわたる泉南被害者の深刻な被害を綴った準備書面を出し切った。結審日にも、高裁判決を批判する質量ともに圧倒的な意見陳述(その内容については、かもがわブックレット『問われる正義ー大阪泉南アスベスト国賠訴訟の焦点』をぜひご覧ください)を行って結審し、本年3月28 日に判決言い渡し期日が指定されたのである。私たち自身、こうして必死になって高裁判決を批判し尽くしたことにより、この高裁判決がいかに不当なものであったか、また必ず2陣地裁判決で乗り越えることができる、という確信をもつことができた。結審後も、支援の勝たせる会を中心に署名活動にも一層力を入れ、最終的には25万に近い公正判決署名を積み上げた。また毎週のように裁判所前で、原告団と弁護団がビラを撒き、マイクを握り続けた。こうして3月28日を迎えたのである。


3 2陣地裁判決の内容と意義

 張り詰めた緊張感の中、3月28日に言い渡された判決は、泉南アスベスト被害に対する国の責任を認める原告勝訴の判決であった。裁判所における被害者救済、人権擁護という正義の火は、決して消えていなかった。

 判決は、国が、昭和35年4月1日以降、昭和46年4月28日の旧特化則制定まで、旧労基法に基づく省令制定権限を行使せず、罰則をもって石綿粉じんが発散する屋内作業場に局所排気装置の設置を義務づけなかったのは、国賠法1条1項の適用上違法であり、右の期間内に石綿工場で石綿粉じんにばく露した元従業員らが罹患した石綿関連疾患と国の省令制定権限不行使の間には相当因果関係があるとして、原告 名に対して国の責任を肯定した(なお、昭和46年の特化則制定後に就労を開始した1名、除斥期間が経過した2名、事業主からの解決金による損益相殺で全額填補された1名については残念ながら請求が退けられた)。平成22年5月19日の1陣訴訟大阪地裁判決に続いて、再び、国の責任を明確に肯定する司法判断が出されたことの意味は極めて重い。国は、今度こそ真摯に受け止めて、解決に向けて行動すべきことが明らかとなった。

 さて、判決の意義は、次の4点にある。 
 第1に、地裁判決が、わずか7か月前に言い渡された同じ管内の上級庁である高裁判決の価値観、法理論、事実認定を否定して、国の責任を認定したことである。この「異例」ともいえる事態は、昨年の高裁判決がいかに、非常識なものであったかを如実に示している。
 具体的にも、今回の判決は、①「経済的発展を優先すべきであるという理由で労働者の健康を蔑ろにすることは許されない」、「労働災害の防止のための費用を要することは当然のことであり、費用を要することは局所排気装置の設置の義務づけを行わない理由にはならない」とし、産業発展や事業主のコスト負担増を理由として労働者の生命健康を犠牲にすることは許されないと明確に判断した。また、②防じんマスクは粉じん対策としては補助的手段にすぎず息苦しさや視野が狭くなり、装着を嫌う労働者が少なからずいたのだから、粉じんの発散、飛散防止措置(局所排気装置設置の義務付け)を講じなければ労働者の粉じんばく露を防げなかったとし、その上で、行政指導ではコストのかかる局所排気装置の普及や環境改善は進まなかったとして国の責任を肯定した。
 つまり、今回の判決は、生命健康を至上の価値とする憲法と労働現場の実態を踏まえた上で、労働者の生命健康を軽視し自己責任の論理で貫かれた不当な高裁判決を正したものであり、まさに、司法の良心に従ったものである。

  第2に、今回の判決は、労働大臣の省令制定権限行使のあり方について、労働者の生命身体に対する危害防止と健康の確保を目的とし、「できる限り速やかに、技術の進歩や最新の医学的知見に適合したものに改正すべく、適時かつ適切に行使されるべき」とし、国の規制権限不行使の違法性を肯定した筑豊じん肺最高裁判決、水俣病関西訴訟最高裁判決の枠組みに沿って判断した。この流れに逆行した高裁判決を打ち消して、命と健康を重視するこれまでの流れに戻した。

 第3に、石綿原料を石綿工場に搬入していた運送会社の従業員について、石綿工場に雇用されていた者ではないが、石綿工場に雇用されている労働者と同様に、国は旧労基法、安衛法上の適切な措置(局所排気装置設置)をとるべき義務があったとして国の責任を肯定したことである。これは、1陣訴訟判決では示されていない今回初めての司法判断であり、国賠法上保護される者の範囲が広がった。

 第4に、泉南地域の石綿労働者に石綿粉じんの危険性に対する認識が乏しかった原因の1つは、石綿粉じんの危険性を警告する公の情報に触れる機会に乏しかったからであるとした上で、国が石綿粉じんに関する情報を、国民に対する情報提供、啓蒙活動を通じて、石綿工場の労働者に直接提供しなかったことは、国の規制権限不行使の違法性に関する一事情として、慰謝料算定の際に考慮するとしたことである。判決が、国による国民に対する直接的な情報提供の重要性を指摘している点は、今後、原発事故等による被害防止や被害救済を求めていくうえでも重要な視点となる。

 他方、今回の判決には問題点もいくつかあり、これについても報告をしておかなければならない。1つは、今回の判決は、昭和46年の特化則制定以後に就労を開始した原告1名の責任を否定したことである。特化則は、局所排気装置の設置を義務付けたものの、許容濃度の規制や測定結果の報告・改善措置の義務付け等がなされておらず、極めて不十分な内容である。実際も特化則制定後も被害が発生・拡大し続けたのだから、被害者救済にとって不当な線引きである。もう1つは、判決が、主たる責任は事業主にあるとして、国の責任を3分の1に限定したことである。これについては、国が石綿の危険性情報を独占し、泉南地域の零細事業主は危険性の認識が極めて乏しかった実態を踏まえないものであり、また零細事業主の多くが既に廃業しているため被害者救済を限定する結果となってしまい、不当である。そのほか、労災受給を慰謝料減額の一事情とした点や、死亡後 年経過した2名の被害者を除斥期間として救済しなかった点などの問題点もあった。

 このように1陣訴訟地裁判決と比較すると一歩後退した点はあるが、しかし今回の判決が、わずか7か月前の高裁判決を克服して国の規制権限不行使の責任を再び明確に認めたことにおいては、全体として、原告勝訴の判決であることは疑いようがないものである。


4 判決後の運動と非情な国の控訴

 2陣訴訟の被害者33名のうち15名が提訴前に死亡しており、生存原告も日々、高齢化と深刻な病気の進行、重篤化に苦しんでいる。1陣訴訟提訴後6年が経過し、すでに7名の被害者原告が解決を見ることなく無念のうちにこの世を去った。病の進行と高齢化に苦しむ被害者らが、かかる長期にわたる過酷な闘いを強いられ、また解決することを待ち望みながら次々と亡くなっていることの理不尽さは、筆舌に尽くしがたい。国は石綿被害を発生、拡大させたばかりでなく、解決を長引かせることによって被害者を苦しめ続けている。

 3月28日の判決後、上記の状況も踏まえ、原告団は「生きているうちに解決を」という譲れない願いの実現のため、1陣地裁判決からは後退した面があるもののこの2陣判決を一つの契機とした解決を国に迫る方針を決定した。判決後に病身をおして上京し、厚労省前、官邸前での早期解決を求める宣伝行動を続け、また早期解決アピールへの国会議員の賛同署名を集めて回り、実に102名の国会議員の賛同が集まった。野田首相と小宮山厚労相宛に原告から早期解決の願いを綴った手紙を寄せ、原告の民主党アスベスト議員連盟や、超党派の野党議員から、小宮山厚労相への早期解決の申し入れをするところまで実現ができた。しかし国は、4月6日の閣議において、早々に控訴を決めた。閣議後の小宮山厚労相のコメントは「最高裁で係争中の先行訴訟と同様の対応をとる必要があり、上級審の判断を仰ぐため」と、全く被害者の声に耳をかたむけない、非情なものであった。民主党政権はここまで官僚のいいなりなのかと、原告団はまたも肩を落とす結末となった。ただ少しずつではあるが、解決に向かって前進し、その足がかりができたのは、大きな成果であった。

5 今後の闘いとより一層のご支援を

  この度、7か月前のあの不当判決を跳ね返し、再び国の責任を認める画期的な判決を勝ちとることができたのは、まぎれもなく、原告らのがんばりを応援し続け、支えて下さった、大阪の、そして全国の、皆様のおかげであり、心からの感謝を申し上げたい。しかし闘いは、まだこれからも続く。最高裁にかかっている1陣訴訟と、鬼門である大阪高裁にかかることとなった2陣訴訟について、原告団、弁護団一丸となって、「生きているうちに解決を」の一点において、今後も、政治と司法の両面で早期解決を求め、実現できるよう、より一層の努力を誓う次第である。皆様には、泉南アスベスト国賠訴訟に、今後とも変わらぬ、いやぜひこれまで以上の、大きなご支援をお願いしたい。

(弁護団は、団長芝原明夫、国賠主任村松昭夫、国賠事務局長鎌田幸夫、その他多数)

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