教育の場における「体罰」を考える――子どもと教育・文化を守る大阪府民会議シンポジウム

2013年04月25日

大阪教職員組合 末 光 章 浩

 2013年3月31日(日)午後1時30分より、大阪グリーン会館ホールで右記シンポジウムが41名の参加で開催されました。今回は「体罰」をどう一掃するか、一掃するために何が必要かということを目的としたシンポではなく、「体罰」とは何か、またその実態はどうなっているのか、「体罰」がうまれる背景や状況がどうなっているのかを交流し、「体罰」問題を掘り下げるための府民的討論を呼びかけることを目的に開かれました。

シンポの進行は6人のパネリストと会場からの双方向の意見をコーディネーターがまとめ、次の討論課題を提起するという形態で行いました。多彩な顔ぶれのパネリストは、桜宮高校保護者の長瀬信明弁護士、学校での「体罰」を中心に人権問題で活躍しておられる下川和男弁護士、父母の正森真由美さん、貝塚にある通信制の秋桜高校の浦田直樹さん、小山民さん、府立高校生の6人。大阪教文センター事務局次長の山口隆さんをコーディネーターに、まず各パネラーから思いを語ってもらいました。

 まず長瀬弁護士からバスケット部顧問の「体罰」による生徒の自死という痛ましい出来事を通し、保護者の中にも当初あった「少しくらいの『体罰』は許されるのでは」「指導上『体罰』は必要でないか」という考えが、保護者間の論議を経て、「『体罰』は法的には犯罪であること、『調教』と同じで教育指導とは全く違う行為である」ことが全体で確認され、「『体罰』は愛のムチであると思っていたが、今回のことで考えが変わった」とのお父さんの発言が象徴的と紹介。同時に、「『体罰』を必要と思っている人はまだまだいて、意識を変えることは難しい」とも発言、問題の深さがうきぼりになりました。

続いて、下川弁護士が発言。自身の経験から、忘れ物したからと、「正座と腕挙げ」を授業終了までやらされたこと、ほっぺたに検印の判を押されたこと、中学時代に教科書で先生に殴られたこれまで3回の「体罰」を受けたことを紹介。「体罰」がおこなわれる大きな背景に「学校に子どもが安心して、気兼ねなしに来られるようになっているのか」という提起がありました。「①子どもたちにとって安心・安全であるはずの学校での『体罰』問題は、直接『体罰』を受けていない生徒・児童も、『体罰』を見せられる苦痛や『体罰』に対する麻痺などの多大な影響があること、②生徒・児童に対する直接的な安全配慮義務がある教職員にとって、『体罰』をした教職員は明らかに義務違反であり、『体罰』をしないが見過ごしていた教職員も義務違反である」との指摘もありました。

主婦の正森さんからは、自身の経験から小学校の時にふざけていた子が担任に大きな三角定規の取っ手で頭をたたかれ、血が噴き出し、救急車が呼ばれたこと、また、子どものクラブで試合中に相手方の監督がエラーした生徒に「あほ、ぼけ、カス」と罵倒し、大変嫌な思いをしたことが語られました。「『体罰』とは愛のムチなんかではなく、自分のこれまでやってきたことを否定され、こんちくしょうと相手に怒りをぶつけているだけ、相手の事なんか考えているはずもない」とぴしゃりと発言。

続いて府立高校2年生は「工科高校の先生が、実習中に騒いでいる生徒に対し、危ないからと叩いたりするのは仕方ないと思う。しかし、自分が親になったら、叩くなど『体罰』はしたくない。」という「本音」の発言に拍手がおこりました。

最後に、秋桜高校の前身である関西コンピューター学院時代の「体罰」一掃の取り組みにもふれて、浦田さんや小山さんは「安心して過ごせ、優しさのある秋桜で子どもたちは安心して自分自身を出せ、優しく育っている。校則がなくても生徒たちは生き生きと生活している。先生は生徒たちの前に立つとき、鎧を身につけるような対応はしない」と発言。
生徒が荒れている時、その解決を「力」に頼り、「力」で生徒を押さえ込もうと、「力ある」先生がどんどん採用され、結果として「体罰」が横行し、学校が荒廃していった前身校の痛恨の経験を経て、今日の秋桜高校が生まれました。その経験の中から、「生徒・父母・教職員の参加と共同の学校づくり」が「体罰」と究極的に対峙することを浦田さん・小山さんの発言から明らかになりました。

その後、会場からの発言では「叩いたりすることをしてはならない。先生が叩くことによって、叩かれた子は先生によって暴力が肯定されたと思い、その子は必ずまねをする。子ども同士でたたいたり、いじめたりすることを話し合う関係をどう築いていくのかが重要」「ある学校の実践。しんどい学校現場だが、教職員が『体罰』はしないと宣言し、生徒を詰めない、厳しい指導はしない、生徒をどうにもないところに追い込まない、暴言は言わせない、また暴言を言ったときでもムキにならず、相手の反応をずらすよう努力し、力で屈服させない、大声で怒鳴らない等の指導を行いながら、少しずつ学校を改善している」ことが紹介されました。

今回のシンポの中で、体罰とはまさに、力で相手を屈服させる暴力そのものであり、人権を無視した、教育とは全く無縁な行為であることが様々な方から語られました。会場からは、少々の「体罰」は仕方ないのではと思っていた方が「認識が間違っていた。きょうのシンポジウムでつくづくそのことがわかった」と発言され、正にこのシンポの目的と合致するところでした。また「体罰」を受けたり、「体罰」を見せられた子どもたちは一生記憶から忘れることがないことも明らかになりました。

最後にコーディネーターの山口さんから、今回のシンポを通して、次の4つのこと「①『体罰』とは何かが明確になったこと、②『体罰』の背景にあるものが明らかになったこと、③『体罰』をなくすことはそれだけに止まらず、根本的には「学校づくり」をどうするのかが問われていること、④『体罰』をなくすのは難しいが、なくせることを展望して、小さな実践を積み重ねていくことが重要であること」が明らかになったとまとめの発言がありました。
今回の府民会議のシンポジウムをうけ、府下各地で「体罰」問題での様々な討論が巻き起こることを期待して、閉会となりました。