弁護士 渡辺 和恵
1 若いベトナム人女性労働者Aさんの賃金不払事件が、事業主に一部賃金を支払わせて受任後6カ月を要しましたが終了したので報告します。ちなみに、日本に在住する外国人労働者は厚生労働省の「外国人雇用状況」のまとめ(令和6年10月末現在)によると230万2,587人です。届出が義務化された平成19年から過去最多です。国別ではベトナムが最多で57万708人とその4分の1を占めています。民法協にはマイグラント研究会が専らこの種の事件に関与しておられるので、事件の受任もお願いしようかと思いましたが、ご本人は日本語学校に行った経験もあり、本文の最後に本人の感想を書かれたように、日本語も達者で在留資格に関する争いはないので、私は日本人の労働事件と変わることがないと本年2月に受任しました。
2 Aさんの訴えは、まとめると①賃金が大阪の最低賃金が時間給1114円と2024年10月以降増額されたにもかかわらず、従前の最低賃金1064円であり法違反であること、②残業手当・休日手当もなく2カ月半働いてきたこと(就労はおよそ午前10頃から午後9時頃まで、約3カ月間休日は4日間)、③労働契約書には休憩時間の規定があるのに、1日の実働が通常8時間を超えるのに休憩時間が全くなく、トイレに入ることや食事もとれなかった、④事業主は理由もなく突然解雇を言い渡したが、解雇に合理的理由がなく、しかも解雇予告手当も支払われなかったこと、でした。但し、①は当初私も気づかず、後に追加しました。外国人労働者の場合は、特に最低賃金額を満たしているかどうか、まず点検が必要です。又問題になっている地域最賃制があります。地域によって最賃額が異なりますので注意が必要です。現在の労働者の生活苦の解消のためには最賃額の増額が必要であるとの世論がやっと高まっています。
3 Aさんはこれまで月々の収入の約7割は本国の家族に仕送りをしていたところ、急に収入を絶たれ、手元金がありません。Aさんは始業・終業を記帳しており、事業主(代表者はベトナム人で外国人労働者を多数雇用しています)に毎日これを報告していたので、これは事業主は争わないだろうと考え、違法な未払金の回収は比較的早く実現すると目算を立て(但し、解雇予告手当不払は事業主とのやり取りの状況で本人が争う意思を明確にしていたや否やで難しいとの判断を私はしていましたが、後述の本人の感想にあるように本人の困窮した状況からするとこれが大きな願いでした)定番の内容証明郵便で会社に請求書を送りました。弁護士の費用については法テラスの手続は一般に手続が煩雑なところ、外国人には特に問題があり、審査に時間を要するので、賃金の速やかな回収が必要なので報酬からいただくことにして、着手金なしで受任しました。
4 これに反し、会社は①最低賃金違反は争わない、②残業時間のカウントを15分、30分、45分刻みでその間の労働は切捨てして計算する、③休憩時間は、Aさんの従事していた労働は食品などの店頭販売業務であったので、客待ち時間があるから休憩時間を与えることは不要と当初反論してきました。休憩時間とは「労働からの解放である」ことは当然の解釈であるにも関わらず、法律家である会社代理人の弁護士は譲りませんでした。
5 私が明らかな最賃法・労基法違反があるから労働基準監督署に申し立てることを告げても、驚く様子もありませんでした。後でこの解決について分かったことですが、会社は労基署の対応が事業主に甘いことをよく知っていました。
6 労基署の申告は裁判と違って手数料が不要です。経済的に困窮しているAさんにとっては適切な手段でした。私の弁護士になった約50年前には度々労基法違反の申立をして解決してきた経験から考えられない労基署の対応に出くわしました。
①まず、管轄の労基署である東大阪労働基準監督署は、数年前に東大阪商工会議所会館内に移転していました。公平な判断をするために、労基署は民間から独立した建物にあるのが常識だと思っていたので、驚きでした。
②次に、店頭の販売員が一人であれば、労働からの解放たる休憩が取れないとの判断は容易と考えられるところ、監督官の口から出た言葉は「事業主が争っているから、休憩時間が取れなかったとは認定できない。争いがあるから裁判所で決着をつけて下さい。」でした。外国人労働者Aさんの事情から選んだ労基法違反の申告は入口から暗礁に乗り上げました。あげくは「立証責任は労働者にあるので、例えば店に防犯カメラなどなかったのですか」と聞いたのです。後に、大阪労働基準局労働基準監督部に「東大阪労働基準監督署に指導されたい」との申し入れをした際も、同じく「防犯カメラ・・・」の言葉が出ました。皆さんはこんな経験をされたことがありますか。
会社は当初の抗弁と打って変わって、逆に「休憩時間は取らせていた。にもかかわらず休憩時間にも賃金は支払っていたので、賃金は過払いだ」と主張しました。残業時間のカウントを1時間減らした計算をしてきたのです。会社が労働者を休憩させながら賃金を支払うことはあり得ず、その主張は矛盾するものでした。労基署は結局、休憩時間をとらせていたかどうか不明であるから、会社の時間管理がルーズであったとして、将来に向かって指導すると会社に勧告を出すにとどまり、Aさんの救済にはつながりませんでした。(現在。Aさんは文書情報公開請求中です。労基署は事業主に是正勧告書、指導票を出しますが、申告人には交付しません)
ちなみに、最近労災認定を受けた労働者が、労災補償額の算定に当たって、審査会は「労働時間を休憩時間内に偽装して賃金および補償額を低くしていたのは違法」との裁決を出したとの新聞報道がありました。このような偽装を見抜けない労基署の姿勢が問われます。
7 東大阪労働基準監督署の是正勧告は次の通りでした
①最低賃金法違反である。
②36協定なしに残業・休日労働させたのは労基法違反である。
③残業手当・休日労働手当を支給しないのは労基法違反である。
④又、指導は次の通りでした。労働時間管理(始業・終業・休憩時間)の明確化
8 労基署はこれらに従って、最終的には事業主にどんな顛末を迎えたかの報告をさせます。
①事業者は休憩時間をとらせたことを前提にした残業手当と休日手当をAさんに5万円余支払いました。Aさんの主張通り、残業時間のカウントは1分でもオーバーしておれば、これを全て残業時間にカウントしました。
②ⓐ既払いの賃金についての最賃法違反の不払分が約5万円ありましたが、前記①の過払い分が約5万円あるので、全体としては最賃法違反のケースとは言えないとして、ⓐの支払をしないとの処理を労基署の承認の上で断行しました。
労基署は当初は賃金は相殺できないとの労基法17条違反を問題にしていたようで、これを受けて会社は最賃違反を含めて計10万円支払いの提案をしていたのに、事業主は最後には撤回しました。私は最賃法違反は刑事罰の適用があるにもかかわらず、労基署が以上のような判断をしたことを恥ずかしいことですとAさんに話しました。
9 Aさんは会社から約10万円の支払の打診を受けたこともありました。しかし、この示談書案には、この解決を第三者に開示しないとの条項が入っていたので、示談はしませんでした。Aさんいわく、「自分のような外国人労働者の友達が何人もいるので、違法を争う道があることを知らせたいので、この条項は合意できません」と。この事業主は本社を八尾市に置いており、この地域は外国人労働者が多いそうです。
10 私はベトナムの労働法規、特に今回の労働基準についての法規には全く不案内です。Aさんはこの事件を通じて色々感想を持っています。Aさんの感想をこの後に続けてもらいます。これから増えてくるであろう外国人労働者の権利救済について参考にしていただければ幸いです。
11 Aさんの思い
私は、日本で働く多くの外国人労働者が不当な扱いを受けている現実を知っています。しかし、多くの人は生活のため、または声を上げる勇気が持てず、泣き寝入りしてしまうのが現状です。私が働いていた会社は、日本に長く住んでいる同じ母国の人が経営しており、不当な実態を巧妙に隠していました。以前に退職した仲間たちからは、「自分たちはうまく交渉して円満に辞められた」と聞いていたため、私も我慢して一生懸命働いてきました。ところが、突然社長に安い給料で働く人材を見つけられ、何の前触れもなく私は現場から外されました。自分の職務は面接時から明確であり、倉庫での荷物運びや梱包は契約内容に含まれていませんでした。社長はさまざまな理由をつけて、私に辞めることを自分で納得させようとし、「今日まで働いてくれればいい」と伝えました。これは実質的に私を追い出すようなものでした。社長は会社で一番の権限を持っているため、私は言い返すこともできず、とても悔しい思いをしました。
そんなとき、ある方が親切に弁護士の渡辺先生を紹介してくださり、そこから状況が変わりました。普通なら弁護士に依頼するにはお金がかかると思っていましたが、先生は一度も金銭的な負担を求めず、時間をかけて私の話を聞き、行動してくださいました。とても忙しい中、丁寧に対応してくださり、外国人の私にも分かりやすく説明してくれました。皮肉なことに、社長とは同じ国籍なのに、私は搾取され、日本人の弁護士に助けていただくことになりました。私の願いは、ここが日本である以上、社長が法律に従って正しく対応してくれることです。私も他の人と同じように働く労働者の一人であり、平等に権利を守られたいと願っています。