弁護士 徳 井 義 幸
はじめに
日本の公害の原点といわれる水俣病が確認されたのは1956(昭和31)年5月、既に67年を超える歳月が経過しています。この大阪地裁では2014(平成26)年9月に第1陣原告19名が提訴、その後の追加提訴で現在130名の原告が水俣病被害者としての救済を求めて、被告国・熊本県・チッソを被告として損害賠償請求訴訟を闘ってきました。
これまでにも各種の訴訟や行政救済システムにより約7万人余りの被害者の救済が実施されてきました。しかしチッソの工場排水でメチル水銀に汚染された魚介類を日常的に摂食していた住民は不知火海一円に及び約20~30万人に達するうえ、メチル水銀の排出の期間も36年間に及びます。
従って、潜在的な水俣病被害者の数は極めて多数に及んで当然なのです。
ところが、被告の国や県は被害の実態を科学的に把握する環境・健康調査を実施せず、水俣病を重症例に限定する誤りや汚染地域、年代を不当に制限する対応をとってきました。そのためにその場限りの救済策が繰り返され、未救済の被害者が置き去りにされてきたのです。現在の未救済の原告の多くは、慢性水俣病と言われる比較的微量のメチル水銀を日常的な魚介類の摂食を通じて長期間にわたって体内に取り入れたため水俣病に罹患した人たちです。
近畿訴訟の展開
近畿訴訟の原告らは地元熊本や鹿児島で水銀に汚染された魚介類を食べて水俣病に罹患しましたが、遠くふるさとを離れて手足などのしびれ、震え等に苦しみながらこれまで未救済のままで放置されてきた人たちです。昭和30年代初めの急性劇症の重症の患者とは異なり、見た目は健康な人と変わらないためにその苦しみが理解されないままできました。いろいろな症状に苦しみ、通院しても原因不明としか診断されず、自らが水俣病の被害者であることの自覚さえ奪われて生活をしてきた人たちが多くを占めています。
一方被告国らは、水俣湾とその周辺海域の狭い範囲でしかメチル水銀汚染はない、あるいは1968(昭和43)年5月に水銀の排出はなくなり翌年以降は汚染はなくなったとして、居住地域や年代を理由に原告らが水俣病であることを争ってきました。しかし水俣病被害者救済特措法での水俣病救済患者の分布は水俣湾やその周辺地域に限らず水俣の対岸である天草諸島を含む不知火海一円に及んでおり被告国らの主張の破綻は明確になっています。海水は回流し、魚も回遊することを考えるだけの被告国らの主張の不合理は明らかです。
近畿訴訟での勝訴判決で水俣病被害者の救済へ
近畿訴訟は昨年原告30名の本人尋問を終了し、9月には裁判所が水俣や不知火海一円の現地を海上から見分するなどの審理を経て12月に8年余りにわたる審理を終了しました。そして判決が今年の9月27日に予定されています。現在、未救済の水俣病患者は、地元熊本地裁で1424名が、東京地裁で86名が原告となって近畿訴訟同様に救済を求めて闘っています。
熊本訴訟も本年9月には結審し、来春以降に判決を迎えます。また加害企業は違いますが、新潟地裁でも水俣病被害者150名が訴訟を闘っており、この10月には結審し、熊本地裁と同様来春以降に判決が予定されています。近畿訴訟判決は熊本や新潟、東京に先立つ最初の判決でありその帰趨によって水俣病問題の解決の方向が見えてくることになります。
公害の原点、水俣病被害者の救済なくして公害の根絶はあり得ません。全ての公害被害者の救済に向けて、皆さんの暖かいご支援をお願いします。