《書籍紹介》豊川義明著『労働における事実と法 ――基本権と法解釈の転回』(日本評論社)をどう読むか

2019年11月15日

弁護士 鎌田 幸夫

1 本書の特徴はどこにあるか

本書は、実務家の執筆した数少ない理論書である。学者の理論書との違いは、著者が自ら担当した数多くの事件を素材に、実務家の視点から労働法の基礎理論、解釈論、権利運動の課題を幅広く展開しているところにある。本書は、2つの特徴がある。

第1は、時代を反映した裁判闘争史という性格を持つことである。判決の字面だけでなく、どのような時代背景のもとに、当事者のどのような攻防を経て判決が導かれたのか、また、判決は雇用社会にどのような影響を与えたのかという観点も含めて洞察しなければ、その判決を本当に理解したとものはいえない。関電人権訴訟、東亜ペイント事件、朝日放送事件、松下PDP事件、ビクター・サービスエンジニアリング事件など著名な最高裁判決の意義と克服すべき課題、方向性を筆者は明瞭に提示している。事件を担当した著者だけに説得力がある。

第2は、根源的な視点から最高裁判例や通説に批判的なアプローチを展開していることである。実務家の書物は、判例、通説を整理し、事件をどう処理するか、最高裁判決があれば、その射程距離や考慮要素の分析を中心とするものが多い。目の前の裁判に勝つためには必要なことである。しかし、手軽なマニュアル本に頼らず、最高裁判決の前に思考停止にならず、基礎理論から自らの頭で批判的なアプローチを試みてこそ、個々の実務家の力量は上がり、トータルとして我が国の裁判理論、労働運動の進歩があると著者は考えているのである。

本書が取り上げるテーマは個別的労働関係から集団的労働関係法まで多岐にわたる。個々のテーマに立ち入る余裕はないので、本書のバックボーンである①基本権と法解釈の転回、②裁判における事実と法という根本問題に絞って本書の問うていることを紹介し、若干の私見を述べることをお許しいただきたい。

2 「基本権と法解釈の転回」とは何か

著者は基本権を「類的存在としての人間社会がよき社会の実現に向けて」「自らも他者とその集団である社会も、相互に歴史的に確認し合ってきたもの」とし、その土台に自由・平等・連帯という法原理と「人間の尊厳」という根本理念を据える。そして「自己決定論」は、他者との関係において価値ある内容を含むことはないと批判し、人間の尊厳を指導理念とした「対等共同決定論」を提示する。また、著者は、労働基本権を団交権中心に狭く捉える立場(菅野説等)を批判し、企業内の正規労働組合中心主義から脱却し、企業・産業の労働者全体の労働条件向上を実現する団体交渉権確立を説く。

そして、労働者の地位・待遇に影響を及ぼす地位にある産業別使用者団体も「当該要求に影響を及ぼすことができる地位にある」として団交応諾義務を肯定する。この見解は、労組法上の使用者概念の支配力説の発想に立って、産別使用者団体にまで使用者概念を拡張すると同時に義務的団交事項の概念も広げる試みである。本書のいう「基本権と法解釈の転回」とは、企業内組合の団交を中心とする企業内労使関係を、労働者(労働組合)集団と産業別使用者集団の共同対等決定の労使関係に180度転回させて、それに相応しい労働基本権を再構築しようとする試みとして理解できる。

わが国の企業内組合の組織率と役割の低下、存在意義の希薄化と、団体行動権(労働三権)を企業の所有権、施設管理権の劣位におくような最高裁判例の流れに鑑みると、著者の大胆な問題提起、構想は共感できる。もっとも、著者の法解釈が幅広く現実の基盤を持つためには、それに見合う産業別の運動の拡大と労働組合運動の活性化による労使関係の大転換が不可欠のように思われる。これは労働組合運動に向けられた提起でもある。

なお、西谷敏大阪市立大学名誉教授の自己決定論は、裸の自己決定ではなく、国家法や労働協約などの規制に支えられた自己決定を説く。また、自己のみに関わることに限らず自己にも他者にも関わることの決定も肯定し、連帯を媒介する労働者の関与権として労働基本権を構成する。他者とのかかわりのなかで真の自己決定を目指すものといえ、著者の立場と方向性は共通するようにも思える。

3 「労働における事実と法」の関係とは何か

著者は、法が第一に存在し、続いて事実があり、事実に対して法が適用されるという

法的三段論法をとらず、「法と事実の相互媒介」による法の選択・確定と事実の選択・確定を提起する。その意味するところは、当該事案において、複数の法規範のなかから適切なものを選択し、同時に多数の事実のなかから意味のあるものを選び出し、両者を照合し、適切な事実の認定・評価とそれに適する法の適用、解釈、さらには法創造をするということであろうか。そうであれば、大切なことは、事案の実態と正義に適った結論に導くために、裁判官の「法的三段論法」に我々としてどのように働きかけるのか、ということに帰着するのではないか。著者は、適用すべき法律の選択や権利義務の存否の確定にあたり、法曹としての経験と人間性を背景にした直感力を支える法解釈の基本原則に「人間の尊厳」があるとする。わかりやすく言えば、差別され、解雇された労働者の人格権や生存権、ひいては人間の尊厳が侵害されている実態を自ら感じ取り、それを具体的な事実として余すことなく裁判官に伝え、その良心を動かして、労働者を救済するための法適用、法解釈さらには法創造に至らせるということである。例えば、思想信条を理由とする人権無視の孤立化策による労働者の人格権侵害の実態を法廷に出しつくすことで「職場における自由な人間関係を形成する自由」が認められた関電人権訴訟、使用者の法適用を回避する脱法目的を許さず、法の趣旨と実態を重視した労働者概念が認められたビクター・サービスエンジニアリング事件などにおける闘いは、そのような文脈で理解できる。

4 さいごに

本書はこれから裁判闘争や労働組合運動を担う若い弁護士、組合活動家にとって是非一読すべき書といえる。本書と格闘することで、今後の裁判闘争や労働組合運動の糧にしていただきたい。

日本評論社2019年9月発行
A5版364頁
定価 5800円+税