民主法律時報

過労死110番30周年 シンポジウム

弁護士 和田 香

 大阪過労死問題連絡会では、過労死110番を始めて30周年であることを記念して、2018年4月12日、記念シンポジウムを開催しました。
冒頭に、同会の代表である森岡孝二関西大学名誉教授から現状の日本の労働法制の問題について、政府が進める「働き方改革」が韓国やその他の諸外国と比較して労働者を働かせ放題にするものであり許されないこと、これでは過労死110番の必要性がなくなることはないという挨拶がありました。

そして、30年前の1回目の110番から遺族の相談に乗ってきた松丸正弁護士から、連絡会が結成されて37年間の歴史について報告がなされました。
私は、連絡会に所属していますが、歴史をきちんと聞いたのは初めてでした。

まず、田尻俊一郎医師が連絡会結成前から遺族の相談に乗り、医師の立場から意見を述べ、労基署を説得して十数件の認定を勝ち取ってこられたこと、連絡会の結成総会のときに医師、弁護士、すでに過労死問題に取り組み始めていた労働組合が90名も集まったと聞いてびっくりしました。

もっとも、当時は年に数件の相談しか来ず、認定は年に1件あるかどうか。社会のニーズがないのではないかという懸念を持ちながら、認定基準が少し変わった30年前に開催した110番が最初の電話相談会でした。そして、その110番は、電話が鳴り止まなかったそうです。

そこから30年、最初の10年は働き盛りの夫を亡くした妻からの相談、さらにそこから10年は精神障害による自殺の相談、さらにそこから10年である最近は、若者の過労死について親からの相談、というのが特徴的な傾向ということです。

そして、今回のシンポジウムのメインイベントの1つが110番の第1号相談者である平岡チエ子さんの労災認定までを追ったテレビドキュメンタリー『過労死・妻たちは告発する』とそれを製作した織田さんからのご講演です。

今はお孫さんが就職するほどのご年齢の平岡さんですが、30年前の夫を亡くしたばかりで悲しみに暮れる若い頃の姿、1か月あたり160時間を超える残業をさせておきながら取材に対して「本人が好きで働いた」と悪びれもせず答える会社を追ったドキュメンタリー映像を流すと、涙を拭う参加者が多数おられました。

私も、ついつい涙、涙でしたが、どうして過労死・過労自殺はこんなに第三者でさえ気持ちを揺さぶられるのか、織田さんのコメントを聞いて初めてわかりました。

過労死は、災害死・事故死とは異なり、その人の未来だけでなく生きている間の人生も奪っている、というのです。事実、過労死・過労自殺は、働きすぎて人間らしい生活ができなくなった末に亡くなる方が多くおられます。平岡さんもそうでした。未来はもちろんのこと、生きている間でさえ、その人や周囲の人の幸せな時間を奪っているのです。今生きている人も、そこに自分を重ね合わせ、自分や家族らの働き方を思い、亡くなった方の無念を感じて涙が出る、という織田さんのお話は本当に考えさせられるものでした。

最後に、平岡さんを含め、3名の過労死・過労自殺の遺族の方のリレートークがありました。平岡さん以外の方は、夫を自死で亡くした寺西笑子さん、息子を過労自殺で亡くしたお父様です。ご遺族のお話を聞くと、人間たるに値する働き方、これが普通で、それ以上の働き方をさせない、万が一求められてもNOといえる社会にしないということを強く思いました。

過労死・過労自殺110番の必要がなくなることが一番ですが、今はまだ、その段階に至っていません。手助けを必要とされている遺族の方につながれるよう、今年の110番もみんなで頑張りたいと思います。

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