民主法律時報

大学における非正規労働の問題~京都大学時間雇用職員雇止め事件

弁護士 塩見 卓也

2011年3月31日、京都地裁にて、京都大学時間雇用職員雇止め事件につき判決が言い渡された。

 現在、日本の多くの大学で、任期付雇用や、3年ないし5年を上限とする不更新条項を設けるなどにより、いとも簡単に非正規事務職や非常勤講師が使い捨てられることが問題となっている。京都は「大学の街」である。私も、この間このような問題に関する相談を沢山受けてきた。

 3月31日という日は、有期雇用で働く者にとって特別な日である。有期雇用で働く者は、毎年この日が近づくにつれ、自分は来年度もこの職場で働き続けられるのか、不安な日々を送る。そして、やっとその更新に対する不安が解消されたとしても、この日、大学、行政、民間のいかんを問わず、日本中の職場で、自分の倍以上の報酬をもらっている正規雇用の者がやれ異動だ、昇進だとばたばたしている光景を、複雑な気持ちで見ることになるのである。京都大学においても、かつては有期雇用の更新に連続性を持たせないために、契約期間の満了日を3月30日、4月1日から再雇用とし、この日1日を「失業」している日にするという不当な運用が行われていたという、有期雇用で働く者にとって象徴的な日なのである。

 この日の判決は、このような象徴的な日に、実際にこの日をもって雇止めされることを通告された他大学の非正規職の方々たちも傍聴している前で言い渡された。結論は、全部棄却である。

 この判決、端的に言えば、従来の日本的職業観・家族観では、現在我が国に蔓延している数多くの諸問題に対処できなくなっているという社会的現実を全く理解せず、逆にそれら諸問題の根源となっている従来の価値観に基づく差別意識が前面に出た不当判決である。

 唯一評価できる部分としては、「有期労働契約という雇用形態は、原則として期間を定めなければならばない理由がある場合に採用されるべきであり、本来こうした有期労働契約にはなじまない労働であるのに、必要以上に短い雇用期間を設定し、その期間を反復更新するという法的なテクニックを用いることによって労働者を不安定な地位に置き、自らはいつでも雇用を切ることができるというアンフェアーな契約関係を設定することが信義則に反する」と判示されたところが挙げられる。この判示部分は、労働契約は期間の定めがないのが原則であることを宣言したと読める。判決で無期雇用原則が述べられたというのは、おそらく初めてではないかと思われる。この判決、ここから先の判断がより精緻で社会通念に沿ったものになっていたならば、たとえ敗訴判決であったとしても、「いい判決」であったといえたかもしれない。

 しかし、その先が明らかに差別観に満ちた問題のある判決なのである。判決は、「原告らの労働契約は、1週間あたりの労働時間が30時間を超えないことを想定したものであり、時給も補助的な職務内容であることを考慮した金額」であるとし、そのようなパートタイム労働については「家計補助的労働」と位置づける。そして、そのような労働は「労働契約が更新されなかった場合に労働者の生活そのものが崩壊するというようなことを想定しなければならない類型の労働とはいい難い」、「一つの事業所における労働のみで生活を維持する必要があると考える労働者であれば、このような類型の労働契約を締結するということは通常想定し難く、こうした労働契約に応募する者の多くは、基本的には配偶者の収入を主たる財源として生計を維持することを想定」していると述べ、それ故に契約更新に対する合理的期待がないと切り捨てるのである。

 いうまでもなく、この判断はどう考えても論理破綻があり、かつ非常識である。まず一つの問題点は、短時間労働であったからといって、それに就労する労働者が「家計補助的に」収入を得るために働いていると論理的にいえるはずがない点である。シングルマザーの例を挙げるだけで破綻が明らかな論理である。

 二つ目には、今の社会の現実では、短時間・低賃金の労働であったとしても、それを選択せざるを得ない若者や女性が数多くいるということを全く理解していないという点である。若者や女性の非正規率は過半となっていることは統計上も明らかなことである。特に大学においては、旧文部省の旗振りで90年代から始まった大学院重点化計画の失敗により正規職の就職口からあぶれた大学院過程修了者が毎年大量に溢れるという、いわゆる「ポストドクター問題」により、学内の非正規職や非常勤講師の仕事を掛け持ちしながら生活せざるを得ない者が沢山いるということも明白な事実である。それらの点で、この判決の示す社会観は、明らかに社会の現実に沿わない非常識な社会観であるといえる。

 さらに、この判決は、「京都大学を卒業した原告らが、家計補助的労働力にしか従事できない客観的かつ合理的な事情があることを窺わせるような証拠は全くなく、原告らが、どのような世界観、人生観のもとに、こうした就労形態を選択したのかは明らかではない。社会一般から見れば、生活を維持するために必要な労働をするというのであれば、それだけで生活を営むことが可能な収入が得られ、逆に言えば、そうした収入に見合う責任・職責を果たすべき職業に就くべきものであり、客観的かつ合理的理由がないのに、家計補助的労働に従事しておきながら、家計補助的労働とは質の異なる労働形態に係る労働契約の場合における解雇権濫用の類推適用の基準と同一の基準による解決を求めることはできないというほかない。」とまで言い切ってしまうのである。つまり、暗に「京大出てるんだったら、もっといい仕事に就けたでしょう。なのにこんな仕事を選んだお前らが悪い」という意味のことを述べているのである。まさしく、裁判官の時代錯誤的価値観、非正規労働者や女性、学歴などについての差別観がにじみ出た判決というべきである。

 この事件の当事者2名は、「京都大学時間雇用職員組合ユニオン・エクスタシー」という労働組合を結成し、この2年間、京都大学の非正規事務職に対する更新上限条項、いわゆる「5年条項」に反対し、大学の時計台前でテントを張った座り込み活動を行ってきたことで、関西の報道では話題を呼んだ人達である(うち1名は私の学生時代の友人でもある)。そのような目立つ活動が話題を呼び、彼らの周りには、大阪大学、関西大学、京都精華大学、龍谷大学など、数々の大学で同様に非正規労働者の立場からたたかっている当事者が集まるようになり、注目を集めるようになっていた。今回の判決は、最初にも述べたように、この判決言い渡し日に雇止めされる方たちを含む、大学非正規労働問題の当事者たちの目の前で言い渡された。判決後の報告集会では、これらの方々は、一様に大きなショックを受けていた。「自己責任」では如何ともし難い社会状況の中、非正規の立場で働いてきた人達がこの判決に対し、「私達を馬鹿にしている」ものと受け取るのも当然のことであろう。残酷な話である。

 私は、京都地裁では、NTT3重偽装請負事件においても、「職安法違反の事実があるかどうかは判断する必要がない」、「本人も派遣労働のようなつもりで働いていたのだから受入事業者が責任を負わなくてよい」という趣旨の判決をもらっている。NTTの事件は合議事件だったが、その合議体には今回の判決を書いた和久田斉裁判官も所属していた。いずれの判決も、非正規労働に対する理解が足りなさすぎるといわざるを得ない。

 私はこれまで、偽装請負、違法派遣、細切れ有期雇用と、数多くの非正規労働問題の事件をやってきたが、この深刻な社会問題に対する裁判官の無理解には、ほんとに絶望的な気持ちにさせられる。しかし、絶望してしまっては決して世の中は変わらない。だから、逆にこのような判決の酷さをもっと社会にアピールし、今後もたたかいの手を止めない所存である。

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