民主法律時報

《年頭のごあいさつ》 「社会常識」を運動の支えに…

会長 萬 井 隆 令

新聞やテレビを見ながら、「何故、『社会常識』が通用しないんだ」と憤りを感じ、また嘆かわしくなることが少なくない。

マヨネーズ状の海底である辺野古の沖を埋め立てて基地を造成する。米軍の飛行機が都市の真上を低空飛行したり、燃料タンクや機内の備品を市街地に落としたりした場合にさえ日本政府は米国に対して毅然と抗議することがない。政策形成の経緯を検証するために不可欠な関係会議の議事録をとらない、残していても後で改竄したり肝心な部分は黒塗りで国民には見せない。「記者会見」と言いながら、質問を受ける政府側の官僚が仕切り、質問者を指名したり質問を遮る。政党が活動を支える経費を党費や機関誌紙購読料によらないで国民の税金(助成金)に頼る。「好況」が続いているそうだが、賃上げを要求さえしない労働組合もある。そんな中で、政府が賃上げを企業に要望する「政府春闘」が続く。

労働事件についてみても、時間外労働をさせながら手当を払わない(公立校の教員には法律に反して1971年以降、超勤手当は全く支払われていない)。非正規労働者には主婦パートを念頭においた処遇を押しつける。偽装請負を認めながら脱法目的はなかったと弁明する。東リ事件では時価数億円と推測される装置を月2万円で下請けに賃貸ししたことにする(賃貸しは名目で、下請けが従業員を提供する偽装請負の構造が浮ぶ)。作業中に怪我をしても「自傷」で済ませる。

企業が使用者責任を免れる「雇われない働き方」とか、裁判で無効と判断された解雇について僅かの金で労働者を放逐することを「解雇の金銭的解決」といって、厚労省は公然と制度化しようと企み、労政審で検討させている。

いずれも「社会常識」に反することではなかろうか。社会的に当たり前とされる価値観、判断を一言で「社会常識」といえようが、誰が何を基準に定めるのか判らないから厳格ではないにせよ、「社会常識」は多くの人に納得される内容である。「社会常識」を強く推し進めるだけで多くの問題について改善が望める。それ自体は本来は異常なことだが、多くの人の共感を得て運動を広くし、進める上では大きな支えになるに違いない。事細かな理由付けも大切だが、もっと大胆に「社会常識」を押し出してはどうであろうか。

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