大阪過労死問題連絡会結成30年・大阪過労死を考える家族の会結成20年記念シンポジウム「ノーモアカローシの取り組みが投げかけたもの」実施のご報告

2011年11月27日

弁護士 上 出 恭 子

 1981年7月、大阪過労死問題連絡会の前身にあたる「『急性死』等労災認定連絡会」が大阪で結成され。今年で30周年を迎え、1990年12月、大阪過労死を考える家族の会が結成されて昨年で20周年を迎えたということで、11月12日、大阪府教育会館・たかつガーデンにて、記念シンポジウム及びレセプションを行いました。 シンポジウムには100名がレセプションには76名の参加があり、お陰様で、盛況に執り行うことができました。
 まだ「過労死」という言葉そのものが存在せず「急性死」と呼ばれた時代から、「KAROSHI」として国際語になり、労災補償においては、1999年にはそれまで労災認定は極めて困難とされていた過労自殺の認定基準が旧労働省によって策定され、2001年には、厚生労働省が脳・心臓疾患の過労死の新たな認定基準を策定する等、救済に向けての取り組みがなされてきました。 
 その一方で、10年前にはあまりなかった若年労働者の過労自殺、労働者の精神障害事案の急増等、緊急に取り組まなければならない課題も多々あります。
 このような流れの中での連絡会、家族の会の「ノーモアカローシ」の取り組みを振り返り、それが社会に対しどういった問題提起をしてきたのか、広い視点から振り返る企画として、シンポジウムでは、「パネルディスカッション・過労死問題は何を提起したか」を行いました。
 冒頭に、大阪過労死問題連絡会会長・森岡孝二先生(関西大学教授)、及び松丸正弁護士からの基調報告を行いました。その後、パネラーに、熊沢誠先生(甲南大学名誉教授)、織田柳太郎氏(元NHKディレクター)、竹信三恵子氏(元朝日新聞記者・ジャーナリスト)、寺西笑子氏(全国過労死を考える家族の会代表)をお迎えして、過労死問題が社会的な注目を浴び認知された時代から、過労自殺・精神疾患が急増する現状にいかなる背景・社会問題があるのか等についての議論がなされました。
 熊沢先生からは、成果主義が導入される中で労働者が孤立化させられていること、長年経済部の記者として労働現場を取材されてきた竹信氏からは、非正規雇用が激増する中で、労働者どうしが分断されてしまっていることの指摘がなされました。1989年に「NHKドキュメンタリ’89『過労死・妻は告発する』」を制作された織田さんからは、番組制作の動機の一つに、当時、経済大国となった日本で、労働者一人一人が幸せなのかという思いがあったことが語られました。寺西さんからは、遺族が立ち上がることの困難さ、そして、かけがえのない家族の「命」を奪われた痛恨の経験から、現在、過労死予防のための基本法の制定に向けての取り組みにを行っていることの紹介がなされました。
 パネラーからの報告の後に、岩城穣弁護士の進行での論点ごとの議論がなされましたが、途中10分程度の休憩の含め3時間あまりの時間がまたたく間に経過した、充実した内容となりなりました。
 レセプションでは、結成当初の連絡会の例会の様子等を映像で放映したり、ケイ・シュガーさんによる演奏、これまで家族の会、連絡会に関与された方によるリレートークと懐かしい顔ぶれも参加しての楽しい一時となりました。
    シンポジウム直前の11月10日には、過労死を出した企業名を公表せよとの画期的な大阪地裁判決が出され、11月18日には、衆議院第一議員会館で「過労死防止基本法の制定をめざす実行委員会結成総会」を開かれ、約250人が参加し、来年6月の通常国会終盤を目標に、100万人から署名を集めて機運を盛り上げ、議員立法での法制化を目指すことを確認されました。
    このように、10年前には考えられなかった過労死防止に向けての取り組みが大きく前進するさなか、この度の記念シンポジウム・レセプションを多くの方のご協力を得て実施出来たことに感謝しますとともに、今後も過労死の救済と予防に向けての活動により一層尽力してまいりたいと考えております。