「労働者の」使用者に対する「制裁制度」の確立へ

2019年12月15日

島根大学名誉教授 遠藤 昇三

 労働者の様々な非違行為に対してあるいはそうしたものがあると称して、使用者は、労働者に対し懲戒処分を行います。使用者に懲戒権があることについては、法的な常識であるとともに、社会的にも当然の事態とされています。裁判上でも問題となるのは、使用者の懲戒権の存否、懲戒権の根拠レベルではなく、当該懲戒処分が有効か無効か、あるいは有効としていわゆる量刑的に過重か否かということでしかありません。

しかし、考えてみれば、対等の当事者・労使対等の法的関係の下で、懲戒権が認められるということは、市民法的常識に反します。市民法の一定の修正・変容として展開されている労働法の世界、即ち労働者の様々な権利が認められまたいろいろな労働者保護が成立している法的状況において、使用者の労働者に対する懲戒権が認められるのは、法的背理でしかありません。そうだからこそ、労働法学界は、懲戒権の根拠をめぐり。多様な見解を提示するとともに論争も展開されて来ましたが、今なお、十分説得的で通説なり多数説を形成するような学説が確立しているという状況ではありません。とりわけ大企業の独裁・専制を最終的に支えているのが、使用者の解雇権(なお、これに関する筆者の問題提起は、「民主法律時報」 月号参照)であり否それ以上に懲戒権であることは、言うまでもありません。使用者の懲戒権に対する徹底的な歯止めをかける法的努力が必要であり、現在の到達段階が、労働契約法第 条(判例法理であった懲戒権濫用法理の立法化)であることは、周知のところと思います。これらに関して、ここで述べるつもりはありません(筆者なりの法的歯止めに関する見解は、拙著『労働保護法論』日本評論社、2012年第5章参照)。

ところで、最近発覚した関西電力の資金環流事件等企業・使用者の様々な社会的不祥事が、多発しています。その際、使用者が採る対応は、一つは、コンプライアンス(=法令順守)の言葉だけの強調、もう一つは、役員の直ちの辞任ではなく事態を収拾するなり責任を採ると称しての役員の居座りであり、最後に、とりわけ第三者委員会による形ばかりの調査と対策の提示による事態の幕引きです。いずれにしても、たとえば(株主代表訴訟が提起されるか否かはともかく)株主による株主総会を通じた役員に対する責任追及(必ずしも効果的ではない)くらいです。そうした過程に、労働者が登場することはありません。極端であれば(とは言え実際に生じたことですが)、企業の倒産・解散そして労働者の全員解雇となりかねない事態に対して、労働者が何も発言出来ないことは、異常です。私は、そうした状況をも踏まえまた一般的にも、「労働者による使用者に対する懲戒権」の確立という法的課題を提起しました(上掲拙著第5章第1節4)。それに対する労働法学界の反応は、「ユニークな見解」とするごく一部の評価を除き、ありません。そういう状況ですので、ここで、ストレートに「労働者による使用者に対する懲戒権」の確立の努力を、皆様に訴えることは致しません。――それを長期的な課題として先送りしつつ――その代わり、表題にあるような、「労働者による使用者に対する」何らかの制裁制度(責任追及の制度)の確立を、訴えます。これは、多くの企業不祥事の発覚の契機となっている内部告発を、法的に保護する公益通報者保護法の延長上に、展望しうる制度です。その確立は、やはり立法的課題となります。進め方としては、いきなり立法を要求しても相手にされないでしょうから、まずは、労働組合が、団体交渉を通じて要求し、合意されれば協約化する、それを積み上げて社会的な関心を喚起し社会的に浸透させる、そうした努力を踏まえて立法化要求をするということになろうかと、思います。

大いに検討・議論されるよう、訴えます。