声明・アピール・決議

個人請負形式で働いている就労者にも「労働者」としての権利を
−「労働者」性の解釈において時代に逆行する東京地裁・高裁を批判する


 労働者と就労実態において違いがないのに、個人請負(委託)業者という扱いで働くことを余儀なくされている就労者が、一方的に報酬を切り下げられたり、契約を解除されたりする中で、就労状態を改善するために労働組合を結成し、業者に団体交渉を求める事例が従前より存在した。これに対し、業者が自ら就労者たちに強いた就労形式を盾に団交を拒否した場合には、都道府県の労働委員会、中央労働委員会は、就労者の置かれた実態に即して把握し、労組法上の「労働者」としての団結権、団体交渉権を認めてきた。

 ところが、近時、このような労働委員会の命令が、次々と東京地裁、東京高裁によって取り消されている。新国立劇場事件東京地裁判決(平成20年7月31日)、同東京高裁判決(平成21年3月25日)、ビクターサービスエンジニアリング事件東京地裁判決(平成21年8月6日)、INAXメンテナンス事件東京高裁判決(平成21年9月16日)がそれである(同事件東京地裁判決(平成21年4月22日)は中労委の結論を支持したが、判断枠組みは他の裁判例と同類である)。

 その解釈は、いずれも、従前の判例・学説で積み重ねられてきた判断基準を大幅に変更するものであり、単に個別の事例判断というにとどまらない危険性を有している。
 近時の東京地・高裁の判断に共通するのは、労組法上の「労働者」性の判断要素として、経済的な従属性を全く考慮に入れず、書面等に明示された契約内容自体に労働契約と類似の拘束性を要求するという意味で、法的な従属性のみを強調する点にある。

 しかしながら、憲法が勤労者に労働基本権を保障している趣旨は、労働者個人々々と企業との間には経済的な従属関係があって、労働者は企業の決めた契約内容に従わざるを得ない立場にあり、その状況を放置すれば労働者の人権が侵害されるからに他ならない。したがって、「労働者」性判断においては、就労者がこのような立場に置かれているか否かを、実質的・客観的にその実態に即して判断することが求められている。これに対し近時の裁判例は労働法の解釈の際に不可欠な、そのような基本的視点を忘れ去り、憲法と労働法の解釈を意図的に歪めているのである。

 昨今、労働者の劣悪で不安定な就労が社会問題化し、その救済と保護が社会的にも政治的にも差し迫った課題となっている。だが、東京地・高裁の一連の判決は、この時代の流れに逆行し、労働者の労働基本権をないがしろにし、企業による労働者の収奪をより容易に、より徹底的に行える方策を容認するものであり、決して許されるものではない。

 民主法律協会は、東京地・高裁の労働法的にも誤った判断を強く批判するとともに、全国の労働組合・労働法研究者・労働弁護士等がこの問題を注視し、裁判所および裁判官の誤った考え方を批判する取り組みを行われるよう呼びかけるものである。

2009年9月30日
 民 主 法 律 協 会
会 長 萬井 隆令
   
 
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