声明・アピール・決議
平和で民主的な社会の建設と子どもたちの未来のために
  1. 昨今、教育問題が国民の関心を集めている。確かに今日の教育現場は、いじめ、不登校、学級崩壊、学力低下、「学びからの逃走」など、数多くの困難な問題を抱えている。教職員、親、そして何よりも子どもたちが苦しみ、あるいは未来に展望を見いだせないでいる。
  2. こうしたなかで、政府財界は、新自由主義・国家主義的な見地に立つ「構造改革」の一環と して「教育改革」を進めようとしている。
     そこでは、まず、新自由主義イデオロギーに基づく「自己責任に基づく自由な選択」が強調される。しかしながら、それは富めるものには高価な教育を、貧しいものには安価な教育を、それぞれ「選択」させるものであり、さらには、一部の裕福な階層出身者には政治経済の中枢を担う官僚・経営者やエリートサラリーマンといったテクノクラートへの道を、大多数の「中流」以下の階層出身者には不安定雇用労働者への道を、それぞれ用意するものにほかならない。それは子どもたちの出身階層によって将来の進路が決められてしまうことを、すなわち階層が固定されてしまうことを意味する。
     そもそも、こうした「改革」の動機は、企業や高額所得者の税負担を軽減するために、社会福祉などとともに教育への投資をも削減しようという意図に出たものであり、未来をになう子どもたちの発達を保障する見地からのものではない。
     他方、新自由主義による「競争原理」や「規制緩和」は社会や教育における階層化を進行させる。社会の分裂は多国籍資本の権益を守るための軍事大国化にとって障害となる。そこで、政府や財界は、国民、とりわけ国の将来をになう子どもたちに対する「国旗・国歌」や「奉仕活動」の強制、教育基本法の改悪などによって国民の国家的統合を図ろうとする。その延長線上に、憲法改悪が企図されていることは明らかである。昨今の「新しい歴史教科書をつくる会」の歴史・公民教科書に見られる歴史認識や偏狭なナショナリズムもこのような動きの一環をになうものである。
  3. このようなわが国の社会・教育の現状は、教育基本法第1条のめざす「人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、審理と正義を愛し、個人の価値をたっとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行われ」る教育を受けるべき子どもたちの権利を侵害しているものである。
  4. 私たちは、本日のシンポジウムを通じて、こうした政府や財界の進める「教育改革」の本質、そのねらいと害悪の一端を明らかにした。そして、これに対抗し、子どもたちとわが国の未来のために、真に子どもたちと国民のための教育改革をめざすことを決意するものである。
     あわせて私たちは、これまで、一般に、教育の問題を教師・教職員集団や一部の人たちに委 ね、みずからの問題として受け止める点において十分でなかった。しかし、教育が、国のありかたや進路に深くかかわることにかんがみ、教師・教職員集団と連携し、自らも継続的に学習し、実践に参加していく必要があることを確認するものである。
      2001年10月6日
10.6教育問題シンポジウム参加者一同
   
 
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