意見書
2002年4月26日
東京都千代田区霞が関1−1−1
   法 務 省 民 事 局 参 事 官 室  御中
短期賃貸借制度の見直しに関する要綱中間試案に対する意見書

民主法律協会
会長 小林つとむ

  1. はじめに
     当協会は、弁護士、学者、労働組合その他市民団体を構成員として1956年年に結成された組織である。
     会内には住宅問題委員会があり、これまでも借地借家法の改正問題などにおいて意見書を提出してきた。
     さる3月19日、法制審議会担保・執行部会において「担保・執行法制の見直しに関する要綱中間試案」がとりまとめられ、それに対する意見の募集がなされているので、このうち建物にかかる短期賃貸借制度ついて協会としての意見を述べる。

  2. 短期賃貸借の趣旨
     民法395条は、602条に定めた期間(建物の場合は3年)を超えない賃貸借は抵当権の登記後に登記したものであってもこれをもって抵当権者に対抗できる旨規定している。
     同一不動産上に抵当権と賃借権が存しても、抵当権は目的物の価値を支配する権利であり、賃借権は目的物の利用を目的とする権利であるから、本来両者は併存しうる。しかし、一旦抵当権が実行され、目的物の所有権が買受人に移転すると、その段階で抵当権と賃借権は衝突する。買受人に移転した所有権には目的物を利用する権利が含まれており、これが賃借人の利用権と衝突するからである。そこで、抵当権と利用権との調整を図るために短期賃貸借制度が設けられたのである。
     ただし、ここで注意しなければならないのは、この規定が置かれた当時は旧借家法が制定されていなかったことである(制定されたのは大正10年)。言いかえれば、この規定が置かれた当時の建物賃借権は賃借人にとって保護が十分ではなく、そのもとにおいても抵当権と利用権との調整を図る必要があるとして規定が置かれた。ところが、旧借家法が制定され、さらにその後の改正によって正当事由制度が設けられるなどして、建物賃借人の保護が図られるようになった。したがって、本来であれば、その時点において賃借人保護という旧借家法の趣旨に合致する形での短期賃貸借制度の見直しがなされてしかるべきであったが、それがなされないまま、時間が経過した。そして、後述のようにバブルの崩壊という特殊な経済状況の下で、年間約10万件もの競売事件が係属するようになり、にわかに短期賃貸借制度の見直しが議論されるようになったのである。
     しかし、建物にかかる短期賃貸借制度の見直しを考えるにあたっては、建物賃借人の権利を保護した旧借家法、現借地借家法との整合性に目を向けるべきである。
  3. 廃止をすべき立法事実はない
    1)近年、短期賃貸借制度の廃止を含めた見直しが提言されてきた。
     たとえば、1999年2月に出された経済戦略会議の「日本経済再生への戦略(答申)」は「競売手続の円滑化・迅速化」の項目において、短期賃貸借制度が存在するが故に物件の評価が下落し、またこの制度を悪用して不当な利益を得ようとするケースも多いため、抵当権設定後に設定された賃借権は買受人に対抗できないとする類型を認めるべきである旨提言した。
     また、2000年12月に出された行政改革推進本部規制改革委員会の「規制改革についての見解」は、「不動産の流動化、不動産市場の構築」の項目において、短期賃貸借制度について廃止を含めた改正についての検討を進めるべきであるとした。
     ここから読みとれるのは、短期賃貸借制度は執行妨害の一因となり競売手続の円滑な進行の障害となっているから廃止を含めて見直しをすべきであるということにとどまらず、競売を契機にして既存の建物賃借権を消滅させ、賃貸人にとって好ましい賃借人への入れ替えを図り、さらには建物を取り壊し土地の再開発を容易にしたいという経済界の願望である。
    2)しかし、このような見解には賛成できない。
     第1に、民法は私人間の権利の調整を図る民事の基本法であり、土地の流動化、土地再開発といった経済政策目的を達成するために捉えるべきものではない。
     翻って考えれば、そもそも問題の発端は政府の経済政策、土地政策の誤りから不動産バブルが発生し、その後急激にバブルが崩壊したことによって不良債権が生じたことにある。すなわち、金融機関は余剰資金の投資先を不動産に求め、我先にと本来の土地の適正価格を超える多額の融資を実行した。その融資の審査はほとんどフリーパスであり、土地の適正な利用に基づく収益などはほとんど考慮されなかった。不動産の価格が上昇する限りそれでもよかったのであるが、いざバブルがはじけてしまえば従来の債権が一気に不良債権化したのは当然である。不良債権の処理に当たって競売手続も利用されることになったが、バブルの発生、その崩壊、不良債権処理の一環としての競売手続の利用という一連の流れは極めて特殊な要因である。このような特殊な要因に基づく解決策として短期賃貸借制度の廃止を含んだ見直しをするというのは本末転倒である。過去に生じた不良債権の処理はあくまでも経済政策ないし銀行の自律に委ねるべきことである。
     第2に、短期賃貸借制度が執行妨害の一因になっているというが、それは皮相な見方である。
     建物賃借人の大部分をカバーしていると考えられる賃貸マンションについて言えば(ちなみに古くからの長屋などはそもそも抵当権者に対抗できる賃貸借である。)、賃貸人は建物を建築するにあたって金融機関から融資を受けるから建物完成後直ちに抵当権を設定することになる。その後賃借人は通常2年程度の期間を定めた賃貸借契約を締結して入居するから、そもそも善良な市民が締結する賃貸借契約は常に短期賃貸借に該当し、彼らは賃料を支払いながら日々生活を送っている。
     結局、短期賃貸借制度が執行妨害の一因になっていると言っても、それはごく稀なケースであり、ごく稀なケースを前提として制度全体の見直しを考えるべきではない。
     また、現実の執行妨害は、建物の占拠という事実自体に基づくのであり、仮に短期賃貸借制度が廃止されても、今度は長期賃貸借を仮装、濫用するなどして執行妨害に出ることが予想され、現にそのような事例も問題になっている。要するに、悪意をもって執行妨害をしようとする者はいかなる制度の下でも建物の占拠によって執行を妨害しようとするのであり、それへの対処は短期賃貸借制度の見直しではなく、執行手続きの見直しの中で考えていくべきである。
     このように、少なくとも短期賃貸借制度を廃止すべき立法事実は存在しないと言うべきである。
    3)また、単に廃止の立法事実がないというにとどまらず、単純な廃止は大きな弊害をもたらす
     すなわち、既に述べたとおり、賃貸マンションを例にとれば、ほとんど全部が短期賃貸借に該当する。仮に短期賃貸借制度が廃止されれば、賃借人は居住している建物が競売された場合、無条件で明け渡しをしなければならない。法律上元の家主に敷金や保証金の返還を請求することは可能であるが、競売に付されるような家主には支払能力はなく、現実には回収できない。買受人が家賃収入の回収を考えれば、とりあえず居住を続けることは可能かもしれないが、法的には新規契約の扱いとなり、買受人の提示する新条件(家賃の増額および敷金・保証金の追加差し入れなど)を受け入れざるをえない。通常のマンションでは常に抵当権が先に設定されており、賃借人になろうとする者にとってはそのような物件を回避する選択の余地はない。そして、他に選択の余地のない正常型の短期賃借人が上記のような事態に追い込まれるのは明らかに不当である。
     このように、廃止を正当化するに足りる立法事実が存在しないことおよび仮に廃止してしまうと前述した善良な市民たる正常な短期賃借人が排除されてしまう結果をもたらすことに鑑みれば、「抵当権に後れる賃貸借は、その期間の長短にかかわらす、抵当権者(買受人)に対抗することができないものとする」という「中間試案」のうちの(A案)には反対である。
     なお、(A案)の(注1)において、「売却後一定期間(たとえば2月)に限り、賃借人が占有を継続することができる余地を認めるかどうかなお検討する」とされているが、そのような措置を採ったとしても正常な短期賃借人が排除されるという弊害を回避することはできない。
     また、同じく(注2)において、抵当権者に後れる賃貸借であっても、抵当権者の同意を得ることによって対抗することができる制度について検討がうたわれているが、通常抵当権者が同意することはないものと考えられ、この見解も実際のところは短期賃貸借制度の廃止説と変わらないと言うべきである。また、正常型の短期賃借人の地位が抵当権者の同意の有無で決せられることも問題である。
  4. 見直すのであれば抜本的に見直すべきである
     1)3において述べたとおり、少なくとも単純廃止説には反対であるが、「中間試案」では短期賃貸借制度を存続させたうえで、引き受けられる賃貸借の範囲を一定限度に制限することを指向する(B案)も提起されている。
     この見解は、一定限度で短期賃貸借の対抗を認めるものであるから、原則として敷金返還義務も買受人に承継される(ただし、後注によれば、承継の否定または制限について検討を要するものとされており、承継を否定した場合はA案とほとんど変わらない。)から、単純廃止説と比較すれば、一定賃借人の地位を配慮したものにはなっている。
     しかしながら、(B1案)によれば、@2年(ただし、期間の点についてはなお検討するものとされている。)以内の期間の定めのある賃貸借は、抵当権に後れるものであっても、その期間内に限り、抵当権者(買受人)に対抗することができる、A期間経過後は引渡命令の対象になる、というものであるから、最終的には正常型の短期賃貸借を保護することにはならず、むしろ買受人の占有取得を円滑にすることを目的としていると考えざるをえない。
     また、(B2案)は、抵当権に後れる賃貸借は、抵当権実行による抵当不動産売却後一定の期間(たとえば、残期6月)以内に限り、抵当権者(買受人)に対抗することができるとするものであるが、これも、結局のところ、明け渡しの猶予が一定期間なされるにすぎない(敷金返還義務の承継の点で(A案)の注とは異なるが)。
     2)既に述べたとおり、今回の見直しの背景には、バブル崩壊後の不良債権の発生という経済情勢の下で、土地の流動化を促進するためにいかに競売手続を円滑に進めるかという思惑があるが、それは、経済政策あるいは執行手続きの整備の中で考えていくべきであり、むしろ、抵当権と利用権の調整はどうあるべきかという観点から制度の見直しを論じるべきである。その場合、次の点に留意すべきである。
     第1に、短期賃貸借制度が設けられた後に、旧借家法の制定、改正が行われ、建物賃借権自体の強化が図られてきたのであるから、抵当権と利用権との調整にあたってもその点を考慮すべきである。抵当権は、もともと対象物件の利用を否定するものではなく、オールマイティの権利ではない。
     第2に、少なくとも賃貸マンションに代表される賃貸用建物について言えば、金融機関は抵当権を設定するにあたって、その建物が賃貸の用に供されることを当然の前提とし、その家賃収入の中から返済がなされることを想定して融資の審査に当たるのであるから、買受人に賃借権が承継されたとしても不測の損害を被ることにはならない。
     「中間試案」の(B案)の(後注3)において、「何らかの指標によって建物が賃貸用であるか否かを区分した上、当該建物にかかる抵当権に後れる賃貸借の保護の有無、程度等についてその区分に応じた取扱いをすべきであるとの意見もある。」と記載されているが、上記の点に鑑みれば、少なくとも、賃貸用建物については、短期・長期を問わず、抵当権に後れたものであっても買受人に承継されるものとし、ただ、敷金返還義務の承継の範囲について一定の制限を考えるのが、抵当権と利用権との調整という趣旨にふさわしいと思われる。
     よって、当協会としては、「中間試案」に示された(A案)(B案)にこだわることなく、少なくとも賃貸用の建物については抵当権に後れる賃貸借であっても買受人に承継させることを基本として、さらに具体案を検討するのが相当であると考える。


   
 
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