民主法律時報

原発ゼロの会・大阪発足1周年記念のつどい―わたしたちが主権者だから。―

原発ゼロの会・大阪会員 片 方 真佐子

 《世界一受けたい授業》
2012年10月7日、大阪市内で原発ゼロの会・大阪発足1周年記念のつどいが開かれました。会場は800人を超える人々でいっぱいに。記念講演では立命館大学名誉教授の安斎育郎さんが講演。冒頭、「今日は理科の話と社会の話をします。でも、理科の話ばかりしていても原発はゼロになりません」と切り出しました。「話の4割」として話した放射能防護学の専門家としてのお話では、福島県・東北の農産物について紹介。福島県産また東北産というだけで売れない状況があります。けれども、カリウム40などの放射性物質は天然で存在し、放射能のまったくない生活というのはそもそもありえない。岩手県産の牛肉の例を出し、1㎏ あたり6ベクレル以下の牛肉、「安斎育郎ならすべて買い占めたい」。では、政府基準はいくらかといえば、1㎏ あたり100ベクレル以下。この事実を知らずに、福島県産、東北産というだけで恐れ、政府基準に安心する状況に対し、「産地で恐れず、科学的な実態で対応するべき」と呼びかけました。社会の話では、原発開発と核軍備競争の関係、「平和利用」という名の下で推進されていった原発普及の歴史を説明しました。安斎さんは国民が主権者であることをたびたび強調しました。今、日本人の中に現われている「水戸黄門症候群」「鉄腕アトム症候群」にちょっと心配。「英雄まかせ」は危うい。全部英雄が解決してしまうのが日本の物語の常だが、現状で言えば、「野田がダメなら橋下」待望論ではいけない。冷静に、主権者である国民が権利を行使してこの国をいい国にしていかなければならない――これが一番言いたいことだと話しました。

 《国は原発を持つ資格はない》
集会では、ゲストからスピーチが行われました。
福島県から避難している車田麻美さんは1歳半の小さな子を抱え、放射能から逃げながら高槻市へ。震災後、自宅に住めず、原発から40㎞ 離れた実家に避難。周りの人々は町の独自判断で支給した安定ヨウ素剤を持っていました。けれども、車田さん親子は避難した町に住民票がないという理由で安定ヨウ素剤がもらえませんでした。「国の責任で対応してもらえていたら」、「小さな子に無駄に被爆をさせたと考えると気が狂いそうだった」、「国は原発を持つ資格はないと実体験から感じた」。車田さんの言葉から強い悔しさと憤りが伝わってきました。

 《金曜日は関電前へ》
もう一人のゲストスピーカーは毎週金曜日に関西電力前で抗議行動を行っているTwit No Nukes大阪の横山純さん。「原発いらない」「再稼動反対」などの短いコールが特徴の金曜日関電前包囲行動。初めて行動に参加する人たちにも分かりやすいように、短いコールの形をとっていると説明しました。「古くから運動をしている人にはなじみがないかもしれません」と話しながら、ぜひ、ずっと運動してきたみなさんも一緒に金曜日の行動に参加してくださいと、呼びかけました。

 《原発ゼロの思いは各地でも》
そのほか、15の地域の原発ゼロの会から1分間スピーチと原発ゼロへのメッセージを伝える写真がスライドで紹介されました。また、主催者である原発ゼロの会・大阪の中村毅事務局長から報告と提案が行われました。原発ゼロの会・大阪は現在130団体、1616人が参加。会員はいまも募集中。ぜひ会員になってほしいと呼びかけられました。
今年の3月11日、原発ゼロの会・大阪が主催した扇町集会では8000人が集まりました。大阪でもこれだけの多くの人が原発をなくすために何かしたい、そういう思いの表れだと思いました。

 《平和に生きたいだけなんだ》
 集会で司会をしていると、800人や8000人などというたくさんの人々が「原発いらない」の赤いメッセージボードをいっせいに掲げているのをカメラと同じ目線で見る機会があります。本当に、圧倒されます。6・29首相官邸前包囲行動(20万人)、9・9オスプレイ配備反対沖縄県民集会( 10万人)――こんな光景が最近増えた気がします。
先月、私は中央社会保障推進協議会主催の中央社保学校という研修に参加し、国民健康保険の歴史を学び直しました。国民皆保険制度で誰もがいつでもどこでも医療を受けられるようになった、そんな制度が確立された1961年の背景には、安保条約改定への反対運動など大きな市民運動、学生運動があったことを再認識しました。
原発もオスプレイもTPPも消費税もいらない、一見バラバラに見える要求が、本当は平和に生きたいだけなんだと気づきました。そういえば憲法ってそんなことが書いてあったかも、と改めて思います。主権者ひとりひとりが作りだす社会になれば。岩手の実家の母が、震災後「あなたは大阪に行っててよかったわ」と言っていたのがとても悲しく思われた昨年。大阪でできることをやりたいです。

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