民主法律時報

2013年6月号

中労委で逆転救済命令!――吹田市不誠実団交事件

弁護士 喜 田 崇 之

1 はじめに

 吹田市職労現業評議会及び同現業合同支部(以下、単に組合という。)が、吹田市に対し、市立中学校・小学校・幼稚園に配置される学校校務員の各校あたりの配置人数に関して、後述する2002年協定書で定めた人員を配置しないことが労組法7条3号に(争点①)、人員配置減少に伴う労働条件等について団体交渉に応じないことが労組法7条2号に(争点②)該当するとして、不当労働行為の救済命令を申し立てていた事件で、中労委は、2013年4月3日付で、請求を棄却した府労委命令を一部取り消し、争点②について市の不当労働行為を認めて団交応諾を命じた。弁護団は、豊川義明、中西基、谷真介、喜田(敬称略)。

2 事案の概要

 吹田市では、学校校務員(校舎の営繕、清掃、植栽の管理などを行う)の各校あたりの配置人数に関して、任命権者である吹田市教育委員会と、現業職員らで構成する組合との間の労使協議によって決定されてきた。
 2001年、市教委当局から労働組合に対して、職員配置基準の変更について協議申入れがあり、複数回の団体交渉を経て、2002年に労使協定が締結された(2002年協定)。これによれば、小学校と中学校各校に1名ずつ、校地面積が上位の5校については2名の学校校務員を配置することとされた。
 しかし、その後、吹田市では、市長(阪口前市長)が推進する「職員体制再構築計画」によって職員の退職不補充がすすめられ、学校校務員についても、正規職員が補充されずに、労使協定で定められた配置基準が満たされない状態となった。
 退職不補充によって生じている欠員について、2007年以降、労使間で団体交渉が行われ、2002年協定を抜本的に改定する労使協議が整うまでの緊急避難措置として、2008年度限りの職員配置体制について労使間で合意しようとしたが、市教委当局は確認書の取り交わしを拒否し、結果的に2002年協定が無視されたまま欠員状態が続いている。

3 大阪府労委命令

 大阪府労委は、2011年8月2日付で、申立人の申立を棄却した。
 府労委命令は、人員配置の問題は管理運営事項であることから団体交渉事項ではないとする吹田市の主張に対し、管理運営事項そのものは団交の対象とはなり得ず、労働協約を締結することができないとしても、その処理の結果、職員の労働条件等に関連する事項に影響を及ぼす場合は、その範囲内において団交事項となり、また労働協約を締結することができるとの一般論を展開した。
 その上で、不当労働行為の成否については、本件協定で定めた人員配置がなされないことが不当労働行為に該当するものではなく、本件協定によって想定された公務員の労働条件との関係で、市が本件協定の遵守についてどのような対応をしたのかという観点から不当労働行為の成否を判断すべきであると述べ、吹田市としては、人員配置を減らさざるを得ない理由について説明を行ったとみることができ、市教委も、申立人らに説明を行い、校務員の労働条件を可能な限り維持できるよう対応を行ったということができるとして、不当労働行為の成立を否定した。
 しかし、府労委の判断は、本件協定で定めた人員配置につき不当労働行為が成立し得る場面を十分に検討していないばかりか、職員体制再構築計画や人員配置等について実質的な交渉権限を何ら有していない市教委が組合側に一定の説明をしたことをもって、不誠実な団体交渉ではないというものであり、不当であって、組合は再審査を申し立てた。

4 中労委命令

 中労委は、校務員の人員配置問題は管理運営事項にあたるが、これが労働条件に関連する限り、関連する労働条件については団体交渉の対象となり、かつ労働協約締結の対象となると解するとの一般論を述べた。
 その上で、争点①について、平成  年度の校務員の人員配置について、市の職員体制再構築計画等に関する取り組み状況に照らせば、本件協定の配置基準通りに行わなかったことそれ自体は、組合ら組織及び運営に対する妨害若しくは組合の弱体化の意図に基づくものと見ることまではできないため、労組法7条3号に該当しないと判断した。
 争点②については、まず、組合側は、市教委との交渉では不十分であるとして労働協約を履行できる権限を有する市長に対して団体交渉を申し入れており、交渉の当事者は市教委ではなく吹田市であると述べた。そして、吹田市が市教委の職員をして交渉を担当させていたわけではなく、また、正規職員の配置人数の変更に関連する校務員の業務態勢や職務内容等の具体的な労働条件等について協議がなされていたわけでもなく、市教委の対応は団体交渉と見ることができない旨を述べ、吹田市の対応は、正当な理由のない団体交渉拒否であり、労組法7条2号に該当すると判断した。
 そして、「正規職員の配置人数の変更に関連する校務員の業務態勢や職務内容等の労働条件について、実質的な交渉権限を有し必要な説明を行うことができるものを出席させ、上記変更の理由や必要性を示す等して、誠実にこれに応じなければならない。」との救済命令を下したのである。
 かかる中労委の判断は、吹田市の形式的な対応では不十分であることを真正面から認定し、吹田市に、実質的な交渉権限を有する者と具体的な労働条件等についての協議をするように要請したものであり、十分に評価できるものである。

5 今後

 吹田市労連は、中労委命令を確定させるため、団体交渉を申し入れたり、議員要請をする等して訴訟提起をさせない取り組みを行ってきた。
 ところが、吹田市議会本会議採決の結果、18対16の賛成多数で、取消訴訟提訴が承認された。中労委は、吹田市に対して、実質的な交渉権限を有し必要な説明を行うことができるものを出席させて団体交渉に応じろと命じただけであるにもかかわらず、これを訴訟で争うとする吹田市の態度は、これまでの不当労行為に対する反省が全く見受けられず、もはや税金の無駄遣いという他ない。
 吹田市では、2011年4月の統一地方選挙で当選した大阪維新の会公認の市長が、「財政非常事態宣言」を行い、「吹田市行政の維新プロジェクト」を推進しており、2012年2月10日には、「吹田市アウトソーシング推進計画」が策定された。
 同推進計画は、「これからの公共サービスの担い手」に関して、「すべての公共サービスについて、国や地方公共団体などの公共機関が担うことは、財政、職員数、組織面から限界があります。」として、事業の廃止・縮小、民営化、業務委託、規定管理者制度を導入することとし、また、平成24年度から平成30年度を計画期間として、計画的かつ段階的にアウトソーシングすることとしている。
 小中学校校務員について言えば、「業務の効率化、人件費の削減」を目的として、新規職員採用を完全に凍結し、除草、樹木剪定、修繕、清掃等の一部業務について「業務委託」を拡大して活用し、また学校長が直接指示すべき業務については再任用職員や臨時雇用員を活用することとされている。現に、2012年4月から新規採用が凍結され、臨時雇用員(アルバイト)の配置が始まっており、毎年複数名の配置職員を毎年複数名減少させる計画となっている。
 組合としては、中労委命令を生かし、吹田市との誠実な団体交渉を通じて、吹田市が進める公務労働、公務職場環境の破壊をなんとか食い止めていきたい。
 弁護団としても、中労委の救済命令をいち早く確定させるべく、闘うつもりである。

泉佐野市職労不当労働行為救済申立

弁護士 半 田 みどり

 泉佐野市職員労働組合は、5月31日、泉佐野市による不誠実団交・組合事務所使用料の徴収について、不当労働行為救済申立を行った。
 今回の申立に至る前提事実としては以下の経緯がある。

 平成23年4月に就任した千代松市長は、職員給与20 %削減をマニフェストに掲げ当選した。そして、前市長時代に誠実な労使交渉の積み重ねにより実現してきた賃金水準の引下げの経緯を無視し、給与削減を強行しようとし、労使交渉の「公開」を要求した。そして、20 %削減案が成立の見込みがないと分かるや、急遽8~13%の削減案を上程し、労使交渉もないまま成立させた。これに対し、組合員を中心にした514名の職員が、公平委員会に、8%削減を取り消すこと等を求めた措置要求を行った。要求事項は棄却されたが、判定書において、「当局側においては、今後は、十分に説明責任を果たした上で、職員団体と誠実な交渉を行い、円滑な行政運営に支障が出ることのないよう希望し、特にこれを意見として申し添える」と異例の意見が示された。

 しかし、市は、この意見の重みを無視し、次には職員基本条例・特殊勤務手当の廃止に関する条例案の制定・時間外勤務手当の見直しに関する規則の改正を強行せんとした。組合は誠実な団交を行い、上記3点の必要性の説明をするよう求めたが、市は団交の公開に固執し、団交の実施日も一方的に指定したため、結局団交が開催されないまま上記3点の条例も可決された。

 組合は、誠実に団体交渉に開催することを求め、平成24年12月19日労働委員会にあっせんを申請し、以下のあっせん案が示された。
 (1)使用者は、職員基本条例・退職 手当条例等について、組合に対し短期の協議期間の提案となったことを謝罪するとともに、結果とし て団体交渉が開催されなかったことに遺憾の意を表すること。
 (2)今後、労使は団体交渉を行うにあたって、下記を遵守すること。
  ①使用者は、団体交渉の開催にあたって、「公開」を条件としないこと。
  ②組合は、使用者からの提案に対し、特別の理由のない限り、原則協議に応じるものとすること。
  ③団体交渉開催にあたって、労使双方は地方公務員法第55条に基づく予備交渉を行い、日時、議題、場所、人数をあらかじめ取り決めて行うこと。
 (3)使用者は、泉佐野市公平委員会の意見を尊重し、今後組合と誠実に協議するよう努めること。また、労使双方は信義誠実の原則に 基づき、相互理解に立って、円滑な労使関係の確立に努めること。

 しかし、市は、あっせん案を受諾せず、あっせんは不調に終わった。
 そこで、組合は、今回、組合員の労働条件に関わる条例について、市長が泉佐野市議会に議案を提出するに先立ち、組合との間の団体交渉に誠実に応じなければならないとの救済命令申立を行ったものである。

 さらに、市は、平成25年3月、組合事務所の無償貸与を不承認とする形で新たな組合攻撃を加えてきた。
 泉佐野市職労の組合事務所は昭和23年以降無償貸与とされており、遅くとも平成12年頃より、「地公法52条に規定する職員団体であり、かつ職員団体の登録についての条例(昭和41年泉佐野市条例第26号)で公平委員会へ登録を行っている職員団体の活動事務所であるため。」との理由で、100%減免が承認されてきた。

 今までこの理由で減免が認められてきたのに、今年度から減免を不承認とした理由について、市当局は、減免不承認決定通知書には「本来は不承認の理由を明記する」ところであるが、実際は「市長の意向だけの理由であり明記不可」としか説明できない有様であった。

 組合は、平成25年4月4日、①従前どおり組合事務所の使用料の減免を行い、組合事務所を無償貸与すること、②従前とは異なり組合事務所の使用料の減免申請を不承認としたことの理由を説明し、協議を行うこと、③組合事務所の使用料の減免申請の不承認によって労働組合が受ける不利益の回避について協議を行うこと、④代替手段・措置の可能性の存否やその条件、検討状況について説明し、協議を行うこと、を議題とする団体交渉を申し入れた。これに対し、同月8日、市は、組合に対し、上記団体交渉申入れについては、地公法55条3項の管理運営事項に該当することを理由に、交渉を拒否した。

 組合事務所は団体的労使関係の運営に関する事項そのものであり、その使用料に関する事項についても、当然に義務的団体交渉事項であって、市の上記団交拒否は不当労働行為にあたる。組合事務所は組合の団結及びその組合活動にとって不可欠であり、このような組合の性格は何ら変化はないにもかかわらず、平成  年度より突如として、しかも何ら協議も経ずに、組合に対してのみ使用料を徴収することは、組合の弱体化を意図した組合嫌悪意思に基づく行為と断じざるを得ない。また、これにより組合の財政に打撃を与え、その存続や活動を困難ならしめることで、支配介入に該当するものである。

 そこで、救済申立においては4月4日の団交申し入れに応じること、平成25年4月1日以降も、申立人らから使用料を徴収してはならないこと等を求めた。

 千代松市長は、このように職員攻撃・組合攻撃を繰り返し、自らのブログでもその正当性を発信し、公務員と市民との対立をあおっている。一定数の市民がこれを歓迎する向きがある中で、職員らは、頑張っても分かってもらえない、と悩みつつも組合活動を行って日々団結を強めている。組合を孤立させず、共感を広げていく活動が私たちにも必要だと感じる。

(弁護団は、大江洋一、増田尚、半田みどり、谷真介)

阪神バス事件――会社分割における労働契約承継法の適用について重要な判断を示した保全抗告決定

弁護士 立 野 嘉 英

1 はじめに

 この事案は、民法協ニュースにも既に2回報告がなされているが、今回、身体障害を有する労働者に対する勤務配慮の打ち切りが公序良俗に違反するとした仮処分の認可決定に対して、阪神バス側が大阪高裁に申立てた保全抗告について、完全勝利の決定を得た。今回の大阪高裁の決定には、会社分割における労働契約承継の手続を定めた労働契約承継法について、実務に重大な影響のある解釈が示されている。

2 事案の概要

 本件は、阪神バスの従業員(バス運転手)であり、「腰椎椎間板ヘルニア」の手術後、排便障害の身体障害を有するA氏が、勤務シフトにおいて従前受けていた配慮を受けられなくなったことで、従前受けてきた配慮された内容の勤務シフトによって勤務する義務のない地位にあることの仮の確認を求めて、仮処分を申立てた事案である。

 A氏は、1回目の仮処分命令申立を行い、暫定的に和解をしたが、勤務配慮制度に基づく協議によって定まった内容以外の勤務シフトによって勤務する義務のないことの確認を求めて、神戸地方裁判所尼崎支部に本訴を提起した。
 前記1回目の仮処分和解は期限を区切った暫定的なものであったため、その後、2回目の仮処分を申立てた。

 神戸地方裁判所尼崎支部(揖斐潔裁判長)は、昨年4月9日、身体障害を有するA氏に対する勤務配慮の打ち切りが公序良俗ないし信義則に反するとして申立てを認容する決定を下した。阪神バスは保全異議を申立てたが、これについても、同支部(石田裕一裁判長)は、同年7月13日、原判決の判断を維持し、認可した。
 阪神バスは、上記認可決定を不服として更に保全抗告を申立てた。本決定は上記保全抗告申立に対しての判断が示されたものである。  

3 本決定の意義①~阪神電鉄時代の労働条件が、会社分割に伴い阪神バスに承継されると明確に判断

 労働契約承継法は、会社分割制度の導入に伴い、労働者保護の観点から、労働契約の承継等についての特例を定めたものである。
 すなわち、会社分割においては、承継会社等は、分割計画書等の記載に従い、分割会社の権利義務を承継し、労働者が承継されるか否かは、分割計画書等に記載されるか否かで決定される。 

 しかし、それでは、労働者の意思と無関係に、従事してきた業務から切り離されることになってしまうから、労働契約承継法は、労働者に異議の申出を認め、異議の申出がなされた場合には、承継会社等に承継される又は承継されないこととし、当該労働者の保護を図っている。
 また、上記異議の申出の機会を労働者に与えるため、法は、労働者に対する通知により異議の申出の機会を与え(労働契約承継法4条1項)、また、個別の事前協議(商法等改正法附則5条)の手続を履践することを要求している。
 そして、労働契約承継法の下では、労働条件はそのまま維持され、包括的に承継される。

 ところが、本件では、分割会社である阪神電鉄は、分割契約書にはその雇用する労働者を承継するか否かを記載せず、労働者から個別の転籍同意書を取り付けており、これによって転籍させたものであるから、労働契約承継法の適用はないと主張した。そして、労働契約承継法の適用がないがため、転籍に伴い承継会社である阪神バスでの労働条件が適用されることになるのは当然であると主張した。

 これに対して、当方は、労働契約承継法の前記趣旨からすれば、会社分割に伴いおいては例外なく労働契約承継法が適用されるのであり、個別の転籍同意を取り付ける方法は労働契約承継法の潜脱であり許されないと反論した。なお、阪神電鉄がA氏から取り付けた同意書には、包括承継を定めた労働契約承継法のルートが本来あることは何ら説明されていなかった。

 会社分割の実務において、労働者保護の観点から労働契約承継法が種々の手続を定めているにもかかわらず、個別転籍の同意を労働者から取り付けることで、その適用を会社が免れることができるとすれば、会社分割において労働者の保護が全く図られなくなることは自明である。労働者は、従事してきた業務を継続できるか否かに最も不安を感じるはずであり、その不安や力関係を背景に、同意書に判子を押してしまうであろう。

 もっとも、これまでの裁判例で会社分割において転籍同意方式が許されるかについて判断されたものはなく、本訴においても相手方が熾烈に争っていた。また、本事案のように、会社分割において転籍同意方式がとられる実務がまかり通っていたとすれば、労働者保護の観点から極めて深刻な事態である。

 この点、大阪高裁(前坂光雄裁判長)は、5月23日付決定で、「労働契約承継法が、承継事業に主として従事する労働者の労働契約は、当該労働者が希望する限り、会社分割によって承継会社等に承継されるものとしている趣旨にかんがみると、転籍同意方式による契約は、労働契約承継法の趣旨を潜脱する契約であるといわざるを得ず、これによって従前の労働契約とは異なる別個独立の労働契約が締結されたものとみることはできない」と明確に転籍同意方式を否定し、労働契約の包括承継を認めた。

 これは、個別の転籍同意を取り付けることでは労働契約承継法の適用を免れないという裁判所の立場が初めて示されたもので、労働契約承継法の解釈として重要な先例的価値を持つと同時に、会社分割の使用者側実務に対する重大な警鐘となるものといえる。

4 本決定の意義②~労働協約も公序に反し無効と判断

 大阪高裁は、「原則として勤務配慮を行わない」と定めた労働協約も、転籍同意方式を前提とするものであり、本来は労働契約を承継させるべきところ、上記労働協約の効力を認めることは、「労働契約承継法が承継会社に分割会社と労働者間の労働契約を承継させることを労働者に保障した趣旨を実質的に失わせるものというべきであるから、4者合意中の勤務配慮に関する条項は公序に反して無効であると解するのが相当である」とした。

 すなわち、転籍同意方式を前提とした労働協約も、労働契約承継法の趣旨を失わせるもので公序に反して無効としており、労働契約承継法の労働者保護の趣旨を徹底する解釈を示している点で重要である。労働組合としても、会社分割の際の労使協議に当たっては、転籍同意方式が労働契約承継法の趣旨から許されないものであることを十分理解しておく必要があるだろう。

5 本決定の意義③~A氏の身体障害に対する勤務配慮は労働条件であり、勤務配慮の必要性があるという判断を維持

 まず、原審でも認められていたことだが、身体障害を有するA氏に対する勤務配慮は事実上の温情的措置であるとの阪神バスの主張を排斥し、労働条件であると判断している点は出発点としてやはり重要である。

 また、阪神バスは、A氏の身体障害について、病状や障害の程度に関する説明に信用性がないとして勤務配慮の必要性がないとか、手術により治療可能な疾患等と主張していたが、大阪高裁は、排便障害の残存を認め、抹消神経障害ないし馬尾症候群に起因するもので、手術によっても上記排便障害が解消されるものとはいえないとして、勤務配慮の必要性を認めた。この点も、本訴において相手方が重点的に主張してきた点であり、大阪高裁の判断が示されたことは本訴追行にとって意義が大きい。

6 おわりに~二重の公序良俗違反が示された事案

 以上のように、本保全抗告決定は、会社分割において転籍同意方式が許されないという労働契約承継法の解釈上これまで先例のなかったところについて明確な判断が示されたものであり、会社分割実務に対する影響は極めて大きいと思料する。
 また、本事案について高等裁判所が下した初めての判断であり、本訴に対する影響も大きいのは言うまでもない。

 仮処分及び保全異議においては、障害者の勤務配慮の打ち切りが障害者の権利を害することになり公序良俗に違反するという判断がなされていたが、本決定では、これに加えて、労働契約承継法の趣旨に反して公序に反するという判断を示し、本事件では、二つの理由から公序良俗違反が示されるという仮処分手続としては異例の結果となった。

 これは、本事案が、「障害」を持つ「労働者」という二重の属性を持つ者に対する権利侵害がなされたものであり、仮処分手続においては、それぞれの属性に光を当てて、あるべき保護についての司法判断が示されたものとして評価したい。
 本訴はいよいよ人証段階に入ることになるが、今回の高裁決定を受けて、勢いを得ながらも気を緩めることなく取り組んでいきたい。

(弁護団は、岩城穣、中西基、当職)

街頭宣伝の自由確立をめざす各界懇談会(街宣懇)第2回総会・学習会

弁護士 南 部 秀一郎

 2013年5月27日、街宣懇の第2回総会・学習会が、国労大阪会館中会議室で開かれ、日頃から街宣活動を行っている労働組合員の方々をはじめとする、43名の方が参加されました。
 会は、まず、街宣懇代表委員の川辺和宏大阪労連議長のあいさつから始まりました。続いて、学習会に移り、関西学院大学法学部の長岡徹教授から、「政治活動規制条例と国公法弾圧事件最高裁判決」をテーマに、お話し頂きました。

 街宣懇が、今回の学習会のテーマに、この「国公法弾圧事件最高裁判決」を掲げたのは、この判決が昨年  月に出た、公務員の政治活動に関する最新の最高裁判決であるのと同時に、大阪市で、維新の会を中心とする勢力が、いわゆる「2条例」制定に続き、「政治活動規制条例」を制定したところにあります。この政治活動規制条例は、大阪市職員に対し、同条例が定める「政治的行為」を制限するものですが、この「政治的行為」は国公法及び人事院規則が定める、国家公務員の禁止される「政治活動」とほぼ同等のものです。したがって、ここ大阪でも、この国公法に基づく弾圧に対する画期的な内容を含む最高裁判決について学習することで、公務員の政治活動を制限させないということにつながります。

 長岡教授は、今回の学習会のお話で、国公法弾圧事件判決について、「公務員の政治的中立性」という言葉が判決中から消えており、公務員の政治活動を正面から認めたものであると評価されました。長岡教授は、国家公務員の政治活動の自由について、先例とされてきた1974年の猿払事件の判決では、①「公務員にも政治活動の自由がある」と一言も言っていないこと、②「行政の中立性」だけでなく「公務員の政治的中立性」を要求していることを、指摘されました。すなわち、国公法の政治的行為の禁止は、憲法  条の表現の自由を制限するもので、国民一般に及べば憲法違反になるが、公務員には「全体の奉仕者」であり政治活動の自由はなく、「行政の中立性」確保の目的から「公務員の政治的中立性」が維持されることは国民の重要な利益であり、それを損なう恐れのある政治的行為の禁止は合憲との判断を、猿払事件判決は述べていると説明されました。

 しかし、国公法弾圧事件では、上記①、②の点が覆され、結果、国公法違反について、「公務員の政治的中立性」の観念的抽象的危険では足りず、現実的実質的危険を構成要件要素としたものである。長岡先生はそう指摘されました。これはつまり、国公法違反を認定するには、単に公務員が禁止される行為を行ったとの形式判断では足りず、様々な事情から実質的に判断を行わないといけないことになり、適用の範囲を狭めることになります。

 最後に、公務員労組の選挙運動が、「現実的実質的危険のある行為」にあたるかについては事案に即して判断されるべきものであり、これから運動で「あたらないこと」を勝ち取るべきと話を締めくくられました。

 会は長岡教授の話に続いて、自治労連の小山国治氏から、政治活動規制条例の下、苦労して組合活動を行われている状況が報告されました。また、2012年度の街宣懇の活動が報告され、干渉事例の紹介が行われたのち、来年度の活動方針について採択されました。
 2013年は、7月の参議院選挙もあり、いよいよ改憲の危機が足下に迫る状況で、反原発から大衆運動も広がりを見せ、言論、ひいては街頭宣伝活動にも、締め付けが迫ることが考えられます。街宣懇の活動により、街宣の自由、言論の自由を守ることができますよう、協力をお願いいたします。

熊沢誠さん・西谷敏さん講演会――労働運動の再生と復権を目指して

新聞労連近畿地連 伊 藤 明 弘

 労使関係論の第一人者、熊沢誠・甲南大学名誉教授と、労働法の第一人者、西谷敏・大阪市立大名誉教授の二人を招いた講演会「労働運動の再生と復権を目指して」が2013年5月30日、大阪市のエルおおさか南館ホールで開催された。この催しは西谷氏の「労働組合法 第3版」の出版を記念して民主法律協会と大阪労働者弁護団が企画。ちょうど同時期に「労働組合運動とはなにか―絆のある働き方をもとめて」を出版した熊沢誠氏を招き、対談が実現した。会場には240人が詰めかけ、熱気あふれる学習の場となった。

最初に、熊沢氏が「労働運動の復権を目指して」と題し講演。近著の執筆に至った理由として労働組合の存在の希薄さを挙げた。
正社員の働きすぎと、非正規労働者のワーキングプアが近年さすがに問題視され、報道される機会も増えているが、報道の中で、現場労働者の発言権、決定参加権の不在には触れられず、労使関係をきちんと論じていない、と指摘。そこに運動の決定的後退があり、組合の存在が希薄になり、組合に期待しない労働者が増えているとした。
その上で、ノンエリートの自立のための労働組合運動、すなわちノンエリートが階級を上げて行って解放されるのではなく、ノンエリートのままで生活の安定と発言権の拡大を獲得するための運動が大切だと強調した。
そして現状の企業別組合はエリートの支配下にあり意義も限定的であるとし、産別組合の企業支部やコミュニティユニオンの重要性を説いた。
また労働条件の個人処遇かが進む中で、労働組合は個別労働紛争を闘う個人の受難に寄り添うべきであるとした。

続いて西谷氏が「労働組合の復権と労働法の課題」と題し講演。冒頭「法に頼りきるのは危険」と警鐘を鳴らした上で、法が労働運動に及ぼす影響について、労働法が良くなれば労働運動が発展するという事はあり得ない、と断言。現在の日本は自発的労働運動に対しては積極的承認の立場にあるが、あくまでも組合が積極的に行動しようとするときにそれを保障するだけのものであるとした。しかし運動が次第に制限されていく中で労働者が萎縮し、さらなる規制がかけられるという悪循環を起こしており、このままでは民法などの市民法に限りなく近づいてしまうと指摘した。
そうした現状を踏まえ、法律主義に陥り過ぎない、現行法を超える運動が必要だとし、労働者個人の権利を最大限に実現するために何が必要かを考え、再度労働組合を捉えなおすことが重要だとした。
また、橋下大阪市長の組合バッシングに市民が加担した例を引き、市民と労働者の対立は、実は労働者同士の対立であり、分裂を生み出すと指摘。国民的課題に労働組合が市民とともに積極的に関わる必要を強調した。

 後半は民法協副会長の豊川義明弁護士と大阪労働者弁護団幹事の在間秀和弁護士を加えてのパネルディスカッション。
豊川氏は、労働組合同士のつながりや地域とのつながりの大事さを説き、弱者のために連帯して闘うことが、市民との連帯につながらなければならない、と指摘。
在間氏は、労働法によりかかるのではなく、力にする工夫が必要とした上で、注目されるコミュニティユニオンの役割について、金銭解決型の運動からいかに脱却するかが課題、と問題提起した。

その後、会場からの質問に答える形で、まず熊沢氏が学生への労働問題の教育について、権利だけを教えるのではなく、しんどい時には「助けて」と言える、という存在としての労働組合運動を教える事が大事だとした。
また、女性と若者が労働運動に参画しない問題について、自己責任論の浸透を指摘。そうした意識を変え、労働組合の組織構造を変えるところに進み出て欲しい、とした。
西谷氏は法律を超える運動の例として、労働時間の問題を挙げ、法を守っても過労死が発生する現状に問題意識を持って取り組むべきだとした。また、労働組合運動と市民の感覚の亀裂について、既存の組合はまだ正社員の利権だけを守るという印象が強いと指摘。格差の問題に真剣に取り組まないと、市民との溝は埋まらない、と話した。

おおさか労働審判支援センター総会

弁護士 西 川 大 史

1 はじめに
 おおさか労働審判支援センターでは、2013年6月11日、第8回総会を開催し、25名が参加しました。

2 これまでの労働審判を振り返って―これからの活用

 冒頭、支援センターの新所長に就任した染原剛さんからの開会挨拶に続き、鎌田幸夫弁護士から、「これまでの労働審判を振り返って―これからの活用」について、お話をいただきました。
 鎌田先生からは、大阪地裁労働部の傾向や、これまでに経験された多くの労働審判などを踏まえた上で、労働審判は迅速な手続であり、本人が参加することによる審理の充実、解決水準・労働者側の満足度が高いことから、迅速・適正な権利救済を図ることが出来ているのではないかと評価をいただきました。そのうえで、労働審判は、大衆的裁判闘争や大規模な労働争議には適していないが、大衆的裁判闘争により多くの判例を蓄積することで、それを用いて多くの労働者を迅速に救済すること、これが労働審判の意義だと述べられるとともに、労働審判における労働組合との共闘、組織化に向けてなどの新たな課題についても問題提起をいただきました。
 また、総会当日は、労働審判支援センターを通じて、労働審判を経験された当事者にも参加いただきました。労働審判により職場復帰を果たした当事者からは、労働審判の経験を踏まえて、今後は企業内で組合を結成し、泣き寝入りさせない運動を広げていきたいと力強い言葉をいただきました。また、勝利解決を勝ち取られた方からは、今後身近に解雇された労働者が現れたら、泣き寝入りしないことや、労働審判を勧めるつもりであるとの言葉をいただくなど、労働審判支援センターの意義を改めて感じることができました。

3 年々増加する労働審判?

 大阪地裁では、労働審判の申立件数は年々増加しており、昨年は400件を超える労働審判の申立てがありました。その反面、民法協会員が申立代理人を務めた労働審判の件数は減少方向にあります。一昨年から実施しています事件集約一覧表でも、一昨年、昨年に比べて集約件数が減少しており、支援センターの事務局を務めている弁護士も労働審判申立て件数が減少しています。
 大阪では労働審判申立件数が増えているにもかかわらず、なぜ民法協会員による申立が少ないのか、今後は、方法選択の理由等も含めて検討する必要があるかと思います。

過労死110番25周年シンポジウム&過労死・過労自殺110番の報告

弁護士 瓦 井 剛 司

1 過労死110番25周年記念シンポジウム

 平成25年6月11日、エルおおさかにて、過労死110番  周年記念シンポジウム「過労死社会は変革できるか ―過労死110番の四半世紀から考える―」が開催されました。約50名の皆様にご参加いただき、良いシンポとなりました。過労死防止基本法制定に向けた新しいパンフレットの完成が間に合い、ご参加いただいた皆様に配布できたことも個人的にとても嬉しく感じました。

 シンポジウムは、カン・ミンジョンさん(韓国中央大学、立命館大学大学院社会学修士課程)による「韓国における過労死・過労自殺問題」の報告で始まりました。カンさんの報告には、さらに立命館大学産業社会学部教授の櫻井純理先生からの補足・コメントがあり、両報告により韓国と日本との共通点と相違点を意識することができました。

 続いて、熊沢誠先生から、「過労死・過労自殺の四半世紀」と題して、この  年を、①日本経済の成功とバブル景気、企業内での日本的能力主義の定着などを背景とした前期Ⅰ(1980年代後半~1994年)、②平成不況と企業間競争の激化などを背景とした前期Ⅱ(1995年~2000年)及び③企業経営の環境悪化などを背景とした後期(2001年~現在)と、大きく3つの時期に分けて分析する分かりやすいお話しがありました。時代背景、労働環境及び労災認定の状況などとともに緻密に分析されたお話は、非常に興味深いものでした。

 そのお話に続いて、岩城弁護士の司会進行の下、「遺族が語る四半世紀」として、熊沢先生が整理された各時期を代表する3つの事案のご遺族(前期Ⅰ・平岡さん、前期Ⅱ・下中さん、後期・中村さん)をお迎えしてのリレートークがありました。平岡さんは、過労死110番の初回に相談をされた方とのことでした。どなたのお話もそれぞれの時代背景の中での悲しみと戦いがありありと伝わるものでした。

 さらに、全国過労死を考える家族の会代表の寺西笑子さんから、ジュネーブでの「国連・社会権規約第3回日本政府審査」に関する報告がありました。過労死を考える家族の会有志の皆さんの国連への直接の訴えなどの結果、国連から日本政府に対して、過労死・過労自殺を防止する立法・措置をとるようにとの異例の改善勧告が出されたのです。国連が過労死まで踏み込んだ勧告を日本に出すのは初めてであり、寺西さんからは、この勧告を生かすべく、①勧告を日本社会へ広く知らせ、運動に役立てる、②日本政府に対し、実施を迫ることが提案されました。
 最後に、過労死防止基本法制定実行委員会委員長の森岡孝二先生からの報告とまとめでシンポジウムは幕を閉じました。  周年にふさわしく、  年を振り返るとともに未来を見据える内容のシンポジウムとなったと思います。

2 過労死・過労自殺110番

 シンポジウムと連動して、6月15日は、過労死110番電話相談を実施しました。大阪では約10名の弁護士が参加し、総数26件の相談をお聞きしました。
 26件の相談の内訳は、労災補償相談が4件、過労死予防・過重労働相談(パワハラの相談含む)が16件、その他が6件でした。労災補償相談では死亡事案も2件ありました。早朝に出社し深夜まで仕事で帰宅できない日々が続く中で倒れられた方のご遺族など過労死に直面したからの御相談のほか、今回も、働き過ぎの労働実態をどうすればよいかという予防相談も多数寄せられる結果となりました。
 
 なお、これまで定期的に実施してきた「過労死・過労自殺110番」ですが、今回から、常設(平日9時半~5時半)の相談電話番号を設置することになりました。電話番号は06-6364-7272です。開設初日に既に3件ほどの相談が寄せられており、今の日本の過重労働の深刻な実態が窺えるものとなっています。

日本の歴史に輝く憲法9条の源流――歴史をかえりみて改憲を許さぬ決意新に

弁護士 橋 本   敦

1 今日の憲法をめぐる情勢

 言うまでもなく、「憲法改正手続」を定める憲法96 条の改正はその入口、改憲の最大のねらいは、9条の「戦争の放棄」の廃棄と国防軍の設置・戦争する国への道である。
 自民党は、本年3月17日の定期大会で決定した2013年度の運動方針で「自主憲法制定に向けた取り組みを加速させてゆく」と明記し、これを受けて安倍首相は今国会の施政方針演説で、政府がこれまで憲法上許されないと言明してきた「集団的自衛権の行使」を認めるように検討すると明言し、さらに「憲法改正に向けた国民的議論をおこしてゆこう」と呼びかけた。
 こうして朝日新聞(4月9日)は、「改憲・参院選争点に浮上」と大きく報道し、続いて「こうした中、自民党が期待するのが日本維新の会だ。橋下徹共同代表は、自民党と我々の勢力を合わせて参議院の3分の2を確保すればよいと指摘し、憲法の改正に向けて参院選後のキヤスチングボートを握る戦略を描く」と書いている。

 憲法改正問題は、目前の参議院選挙における重大問題となった。
 その維新の会が党綱領で憲法改正について、どう書いているか。それは次のとおり、まことに驚くべき不見識と独善の謬論と言うほかないものである。
 「日本を孤立と軽蔑の対象におとしめ、絶対平和という非現実的な共同幻想を押し付けた元凶の占領憲法を大幅改正」
 「過去の歴史を正しく見ない者は、未来にも盲目となる」とはドイツのヴァイツゼッカー大統領の名言であったが、まさにこの日本維新の会は、平和をめぐる日本人民の過去のたたかいの歴史を全く顧みないばかりか、今日の日本と世界の新しい平和の動きにも盲目となっている。
 我が国の近代史には、今日の「憲法9条」を生み出す源流と言うべき貴重な先人の軍備全廃を求める平和のたたかいの歴史がある。その歴史を今顧みて、今日の憲法をまもるたたかいに確信を深めたい。
 
2 中江兆民の時代に先がけた軍備全廃の主張

 日本の近代史に輝く反戦平和のたたかいは、まさに憲法9条の源流であったというべきものであり、この歴史的事実を検証する意義は極めて大きく、かつ、重要である。
 早くも明治天皇体制に抗して、中江兆民は1887年(明治20年)に公刊した「三酔人経綸問答」で軍備全廃を主張した。

 これについて、京大教授山室信一著「憲法9条の思想水脈」(朝日選書)は、その重大な歴史的意義を次のように述べる(122頁以下)。
「中江兆民は次のように言う。
『日本が、アジアの片隅から自信をもって立ち上がり、一挙に自由と友愛の境地にとびこみ、要塞を破壊し、大砲を鋳つぶし、軍艦を商船にし、兵士を良民とし、ひたすら道徳の学問を究明し、工業技術を研究し、ただ純粋に哲学を学び尊重することになったら、文明国だとうぬぼれているヨーロッパ諸国の人たちは、はたして心に恥じないでいられるでしょうか。もし彼らが頑迷凶悪で、心に恥じないどころか、日本が軍備を撤廃したことに乗じて荒々しくも侵攻してきたとして、私たちが一切の刃物を手にせず、一発の銃弾ももたずに、礼儀をもって迎えるとしたら、彼らははたしていったいどうするのでしょうか。剣をふるって風を切ろうとしても、剣がいかに鋭利であれ、軽くてとりとめのない風をどうすることもできないでしょう。私たちは風になりましょうよ。・・・・・
 小国の私たちは、彼らが内心ではなりたいと憧れながら未だに実行できないでいる無形の道義というものをもってなぜ軍備としないのでしょうか。自由を軍隊とし、艦隊とし、平等をもって砦とし、友愛を剣や銃砲とするとき、これに敵対するものが世界にあるでしょうか。』
 ここには戦争放棄・軍備撤廃を世界に先駆けて実行し、一国をあげて道徳と学術・技術の向上をはかるという意味で、戦後日本において多くの国民が共感をもって迎えた「文化国家」論とまったく同じ国家像が、明確に掲げられている。そして、それが憲法9条の理念とまっすぐにつながっている思想であることは、誰の目にも明らかなことと思われる。戦争放棄・軍備撤廃という主張は、憲法9条によって初めて現れた新奇なものではなく、それに先立つ六〇年ほど前に日本人自身によってすでに発せられていたのである。さらに、他国が望みながらも実行できないでいる戦争放棄・軍費撤廃に日本が率先して踏みきることを促し、その意義を説く文章は、『われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ』という憲法前文と同じスタンスに立つものであろう。」

 山室教授のこの指摘は重要である。まさに、中江兆民はすでに早く明治の反動的体制下にあっても、今日の我が平和憲法が示す戦争の放棄・軍備撤廃による平和と正義の新しい歴史の進歩と発展を見すえていたのである。

3 社会民主党の結成と軍備全廃綱領

(1)1901年(明治34年)5月18日の社会民主党の結成と平和綱領
 次に重要な歴史的事実は、片山潜、幸徳秋水、木下尚江、西川光次郎・安部磯雄らによる社会民主党結成と社会民主党の軍備全廃綱領である。
 社会民主党は「純然たる社会主義と民主主義に依り、貧民の懸隔を打破して全世界に平和主義の勝利を得せしめん」ことを目的として結成された。それは日本で最初の社会主義政党の誕生である。その「宣言書」には「万国の平和を来すためには、先ず軍備を全廃すること」が重要課題に掲げられた。

 そして、「行動綱領」の説明では、「戦争は、これ野蛮の遺風にして、明(あきらか)に文明主義と反対す。もし軍備を拡張して一朝外国と衝突するあらんか、その結果や実に恐るべきものあり。我にして幸いに勝利を得るも、軍人はその功を恃(たの)みて専横に陥り、終(つい)に武断政治を行うに至るべし。これ古今の歴史に照らして明なる所なりとす。もし不幸にして敗戦の国とならんか、その惨状もとより多言を要するまでもなし。兵は凶器なりとは古人も已(すで)にこれを言えり。今日のごとく万国その利害の関係を密にせるに当り、一朝剣戟(けんげき)を交え弾丸を飛ばすことあらば、その害の大なるは得て計るべからず。ここにおいて我党は軍備を縮小して漸次全滅に至らんことを期するなり」として、軍備撤廃・戦争廃止を政党の綱領として初めて訴えた。それは、当時における実に堂々たる平和の訴えであった。

 しかし、この社会民主党は、無念にもその前年に制定され、労働組合死刑法と言われた治安警察法により即日解散にされた。それは、やがて日清戦争・日露戦争へと向かう軍国主義体制強化の道であった。そして、その解散の最大の理由は、社会民主党が「軍備全廃」を主張したからであった。

 工学院大学教授松下芳男「反戦運動史」は、次のように書いている。
「しかしこの宣言発表の日が、その党の最後の日であって、時の内務大臣末松謙澄は、逸早く本党の解散を命じた。斯くして『国際平和』を宣言した我が国最初の団体は、ただ一日の存在をも許されなかったのである。」
 さらに、これについて、山室教授の前掲書は、次のように書いている。
「この綱領が印刷所に入る前、所轄の警察署長が訪れ、綱領の軍備撤廃、一般人民投票制、貴族院廃止の三項目を削除するならば、結党を許可するとの政府の内意を伝えたが、安部らは『あくまで理想主義で進む決心であったから、これらの三ヶ条を削除することは卑怯の行為であると考え、断然これを拒否』した。このため、予告通りに治安警察法違反として即日結社禁止の処分を受けることになったのである。こうして軍備撤廃を明確に綱領に掲げた社会民主党は、結党と同時に解散を命じられた」(143頁)

 このように軍備撤廃、そして平和という国民の生存権にかかわる根源的要求を明治政府は権力によって圧殺したのであった。しかし、幸徳秋水らが権力に抗して、勇敢に平和の理念を掲げて立ち上げた社会民主党の理念は、我が歴史の中に今もその光を放っている。まさに、今日の憲法9条の源流をここに見ることができるのである。

(2)田中正造の非戦論
 次に注目すべき反戦・平和のたたかいは、足尾鋼山の公害による住民の苦しみの解決のためにその生涯を捧げた田中正造にも見ることができる。
 田中正造は衆議院議員として足尾鉱毒問題の解決を政府に迫ったが、1900年(明治33年)2月被害農民が請願の途上、凶徒嘯聚罪で  名が逮捕・起訴されたことに抗議して議員を辞任、そして、1901年12月に、もはや他に方策がないとして幸徳秋水が書いた嘆願書をかかげて、天皇への直訴を試みたが果たすことができなかった。

 一方、庶民が苦しむ戦争に反対の田中正造は、1902年(明治35年)ごろから世界海陸軍全廃論を説き勧めていた。
 そして、日露開戦前にも「鉱毒問題は対露問題より先決問題なり。・・・・・わが理想は非戦なり」(1903年10月26日、日記)と書いて開戦に反対していたが、日露戦争が強行されるに至って1904年(明治37年)4月6日の原田定助宛書簡では「正造は今日といえども非戦論者なり。倍々(ますます)非戦論者の絶対なるものなり。然れども同胞の、海外への国法上の出兵あり、なんぞその悲惨なる」と書いた。さらに「畢竟(ひっきょう)小生の主義は無戦論にて、世界各国皆海陸軍全廃を希望し、かつ祈るものに候。ただ人類は平和の戦争こそ常に奮闘すべきもの。もしこれを怠り、もしくは油断せば、終に殺伐戦争に至るものならん。誠に残念に候」(1904年9月9日、佐藤良太郎長女宛書簡)と書いて、軍備全廃に向け平和のために奮闘すべきことを自他に課していたのである。(山室教授の前掲書)

 「世界各国皆海陸軍全廃せよ」と、ここにも我が歴史上、今日の9条につながる先駆的な平和の理念の発露を見ることができる。

4 平民新聞の「軍備撤廃・戦争禁絶宣言」

 明治政府の弾圧に屈せず、反戦平和のたたかいは続いた。
 いよいよ日清・日露戦争へと風雲急を告げるなか、1903年(明治36年)3月、堺利彦・幸徳秋水・木下尚江・内村鑑三らは平民社を設立し、週刊「平民新聞」を発行して反戦のたたかいを進めた。

 その創刊号(1903年11月15日号)は「自由、平等、博愛は人生世に在る所以の三大要義也」にはじまる五ヶ条の宣言をかかげ、平和と戦争の禁絶については次のように宣言した。
「吾人は人類をして博愛の美を尽くさしめんが為めに平和主義を唱道す。故に人種の区別、政体の異同を問わず、世界を挙げて軍備を撤去し、戦争を禁絶せんことを期す。」
 ここには、幸徳らの世界的視野にもとづく平和の理念が明快に示されている。

 その翌年1904年(明治37年)に至り、開戦はもはや必至の情勢となるや「平民新聞」はその第10号(1月17 日)を 非戦論特輯号として、「吾人は飽くまで戦争を非認す」との社説をかかげ、次のように宣言した。
「時は来たれり、・・・・・正義の為に、天下萬民の利福の為に、戦争防止を絶叫すべきの時は来たれり。・・・・・人種の区別、政体の異同を問わず、世界をあげて軍備を撤去し、戦争を禁絶するの急要なるは、平民新聞創刊の日、吾人既に宣言せり。」
 まさに、これは、気迫にみちた反戦の宣言である。
 そして、さらにきびしく
「(戦争は)之を道徳に見て恐る可きの罪悪也。之を政治に見て恐る可きの害毒也。之を経済に見て恐る可きの損失也。社会の正義は之が為に破壊され、万民の利福は之が為に蹂躙せらる。」
と批判して、今日に通ずる正論である「戦争の違法性」をきびしく解明した。

 しかし、戦局がすすむにともない明治政府の弾圧は激しさを加え、幸徳秋水・堺利彦らが新聞紙条例違反により相次いで検挙投獄され、平民新聞は発行禁止、発売禁止、印刷機械没収等の処分を受けた。その結果、遂に「平民新聞」は1905年(明治38年)1月29日の第60号を最終に廃刊となった。

 塩田庄兵衛教授は、その著「弾圧の歴史」(労働旬報社)の中でこの間の歴史的事実を次のように述べている。
「政府は、さっそく治安警察法を使って、社会民主党を即日禁止するという弾圧を加えました。とくに支配階級を刺激したのは、軍備廃止、一般人民の直接投票、貴族院の廃止など、平和と民主主義を求める要求で、これら支配階級にとってがまんのならない主張のために、この党は即日禁止されたのでした。
 日本の近代史は、日清戦争から太平洋戦争まで、戦争につぐ戦争によって血なまぐさくいろどられています。このような条件のもとで、このような情勢に立ちむかう社会主義運動の事実上の初陣は、日露戦争にたいする反対闘争でした。幸徳秋水、堺利彦、木下尚江などの先駆的社会主義者が平民社を結成し、週刊『平民新聞』を発行して、日露戦争反対の活動を展開しました。日本の人民に呼びかけるばかりでなく、『敵国』ロシアの社会民主労働党(今日のソ連邦共産党の前身)にも呼びかけて、帝国主義戦争反対の国際的共同闘争を誓いあいました。これら、軍国主義・帝国主義に反対する勇敢な闘争は、むろんきびしい弾圧を受けました。『国利を害し、社会秩序を壊乱すべき事項を掲載した』という理由で、新聞はたびたび発売禁止をうけ、編集者や執筆者は罰金刑だけではなく、懲役刑を宣言されて投獄されるという、いわゆる『裁判攻め』にあいましたが、かれらは屈しないでたたかいつづけました。しかしこの先駆者の奮闘が、のちに次第に大きな反戦・平和擁護の大衆運動に発展していく先がけをしたという意味で、時流に抵抗し、弾圧に屈せず展開された日露戦争反対闘争は、日本人民の誇るべき戦闘的伝統として生きています。」(20頁)

 この「平民新聞」の「終刊の辞」は新約聖書の「一粒の麦」を引用して、「平民新聞は一粒の麦種となって死す。多くの麦は青々として此より萌出でざる可らず」「平民新聞死す、嗚呼、平民新聞本月本日を以て死す、知らずや全紙眞紅の文字は、是れ満天下志士の胸中の熱火、眼底の涙血なり」と書いた。なんという気迫に満ちた平和への熱い信念であらうか。そして、この最終号は、1849年、マルクス・エンゲルスがプロシヤ政府によるライン新聞廃刊に対する抗議として全紙面赤刷りで発行した故事にならって、全紙面赤刷りで出された。

 その一粒の麦は死なずにたくましくもえだして、今、わが憲法第9条となって、世界に向かって花開いているのではないか。このかけがえのない歴史の「一粒の麦」を今われわれは、歴史に学び誇りをもってまもりぬかねばならない。
 このように、今日の憲法9条の源流はまぎれもなくわが日本の近代史のなかにあるのである。歴史を顧みて我々は憲法9条の歴史的意味を自覚する。

5 憲法9条をまもりぬく決意あらたに

 終わりにあたって、黒田了一教授がその「憲法学」で次のように書かれていることを想起しよう。
「第二次世界大戦の悲痛な体験と反省にもとづき、ふたたび戦争をひき起すような行為は絶対にしないとの決意をかため、世界に向かって恒久絶対平和の国是を宣明したわが国が、その後の国際情勢の変化により、あるいは特定国の圧力に屈して、かんたんに国家の基本方針を変えるようなことがあるならば、それこそ世界の不信を招き、国を破滅にみちびく最も危険な道をえらぶものといわねばなるまい。
 要するに、日本国憲法の基本的な態度としては、いわゆる「力による平和」、たとえば「自衛軍の増強による国の防衛」、或いは「集団安全保障機構への軍事的参加による国の安全」といった体制をみとめていない。それよりも、原水爆時代における最もすすんだ、人類文化の最終段階にあたかもふさわしい、「全面的な戦争の放棄」、つまり「絶対非武装・恒久平和」の理想をかかげて、「いっさいの国際紛争は、これを平和的な手段を通じてのみ解決する」との決意を表明しているのである。それは、国連憲章の現体制よりも、さらに一歩すすんだものであり、日本が率先して、かかる態度を採ることにより、これをやがては全世界の諸国に及ぼし、もって世界平和に寄与し、人類をその破滅から救済せんとの大理想・大悲願にもとづくものである。」(193頁)

 このように、黒田教授が言われる9条にこめられたこの「大理想・大悲願」の源流を我が国近代史の中に見ることができることは、我々の誇りである。

 日本維新の会が、平和憲法は「日本を孤立と軽蔑の対象におとしめた幻想」であると誹謗することが、いかに歴史の真実に背く暴論であるかは、以上に述べた事実から明白である。
 そして、「孤立」どころか、日本の平和憲法は、今や世界から注目され、希望と期待の的となっていることは、憲法会議の梅田章二幹事長がその演説で「1999年オランダハーグの世界会議では、『世界中すべての国が日本の憲法9条のような政府が戦争を禁止する決議を採択すべきだ』という平和アピールがありました。」と言われているとおりであることに、我々はさらなる誇りと確信がもてるではないか。
 自民党や日本維新の会が唱える歴史を知らぬ皮相な改憲論を断固許さず、近代日本の非戦のたたかいの歴史に、その源流を見る我が憲法9条について、決意新たに憲法をまもりぬくたたかいを進めよう。