民主法律時報

2012年8月号

民法協第57回定期総会のご報告

事務局長・弁護士 増 田  尚

 2012年8月25日、大阪グリーン会館2階ホールにて、民法協第57回定期総会が開催され、68名の参加者がありました。
冒頭、萬井隆令会長のあいさつがあり、派遣法「改正」や、「日本再生戦略」で示された「40歳定年制・有期原則」など、労働者の権利破壊の攻撃が始まりつつあり、野田内閣が原発やオスプレイの配備、TPP、消費税など、国民にとって有害な政策を強行していることを批判し、橋下・維新の会が推進する政治的行為の制限に関する条例を受けて自民党が地公法改悪を打ち出すなど、全国に与える影響を軽視することはないと指摘し、総会での具体的な議論を呼びかけられました。

続いて、現在裁判闘争中の4名の方から支援のうったえがありました。ダイキン事件原告であるJMIUダイキン工業支部の青山一見執行委員長は、20年を超す偽装請負を指弾され直用しながら、業績も堅調であるのに、203名も雇い止めにし、従業員を補充するなどのダイキンの横暴に対し、11月1日の地裁判決で雇用責任を果たさせる決意を語られました。泉南アスベスト訴訟弁護団の鎌田幸夫弁護士は、昨年の大阪高裁の不当判決を乗り越え、第2陣訴訟の大阪地裁で勝利判決を獲得したことを報告。他方で、「判例タイムズ」誌上で訟務検事が国の規制権限の行使の裁量の違法を認めると賠償による財政負担が増えると述べ、人命を軽視して産業を優先させる「司法の逆流」をつくろうとしていることを指摘し、これに立ち向かい最高裁での勝利をめざすと述べられました。JAL不当解雇撤回訴訟原告の西岡ひとみさんは、東京地裁の不当判決の後510名を超す客室乗務員が採用され、整理解雇がまったく必要でなかったことが明らかになる一方、職場では、休むことのできない状況が生み出され、「不安全事例」が多発するなどの異常事態が起きており、全員の職場復帰を果たして、航空の安全確保を実現するため、高裁での逆転勝利へのいっそうの支援を呼びかけられました。ビクターサービスエンジニアリング訴訟について、JMIUビクターサービス分会の新垣内均執行委員長が、東京地裁での不当判決以降、「弾丸バスツアー」などの支援を強めて、最高裁での逆転勝利を獲得したことを紹介し、差戻審での勝利と、会社の「兵糧攻め」ともいうべき業務配置差別を止めさせ、条件改善に向けたたたかいを進めていく決意を語られました。

記念講演では、東海林智・MIC議長(前新聞労連委員長)が「99 %の運動を始めよう~市民・労働者を取り巻く情勢に抗して」と題し、労働の現場での資本の乱暴な振る舞いと、これを支える民主党政権の危機に対抗するため、困窮している労働者に寄り添い、連帯と共闘を広げていくことの重要性を訴えられました。
東海林さんは、新聞業界での事例として、ブルームバーグ社でPIP(Performance Improvement Plan)と呼ばれる労務管理手法による退職強要が行われていると紹介されました。これは、実現不可能なノルマを押しつけ、達成できなければ退職を迫るというものです。外資系では、常に、下位にいる従業員を退職に追い込む手法をしており、職員基本条例で導入された相対評価による分限免職で、日本にも導入されようとしていることを指摘しました。また、JAL整理解雇や社保庁の分限免職などに対しても、総労働の立場から抗議の声を挙げるべきであると述べられました。一方、民主党政権下では、消費増税や派遣法「改正」、有期契約法制などがごく短時間の審議で強行されており、さらに、秘密保全法制やTPPなど、なし崩しの突破が企まれていることへの警鐘を鳴らしました。
このような情勢の下、若年・女性労働者は、2人に1人が非正規労働であり、失業が住宅の喪失や生存の危機に直結していると指摘し、プリペイド携帯の料金が支払えず停止されれば仕事の確保もできず、自殺を考えなければならない状況に追い込まれていること、女性労働者が寝泊まりする場所を確保できず、ファストフード店やコンビニを渡り歩き、山手線の始発に乗り込んでようやく眠り込む日々であるなど、異常な状況にあることを告発されました。有期契約法制については、5年の継続雇用での無期への転換が図られるようになったとしても、5年間使用して選別する労務管理へと転換し、その際に、非正規時代の低い処遇が固定化されるなど、「第2正社員」化が起きるのではないかと、韓国の事例を引き合いにしながら、警告されました。
こうした状況に対し、労働組合の役割として、単組や産別の枠に留まるのではなく、連帯や共闘という本来の運動に立ち返り、困窮させられている多数の労働者に寄り添い、1%の富裕層に富が集中する異常な構造に反撃をすることを呼びかけられました。脱原発をめざす官邸前行動における労働組合の活動などを挙げて、声を挙げなければ無視され、声を挙げることで社会を変革する可能性が開かれているとし、そうした変革に立ち上がることを訴えられました。

休憩をはさんで、事務局長より、1年間の総括と新たな活動方針の報告がありました(議案書は、「民主法律」289号に掲載されています。)。この1年には、橋下・大阪維新の会による地方自治、公教育、生活と権利を破壊する動きへのたたかいが、民法協の活動の大部分を占めましたが、その中で、機敏で的確な反撃によって、アンケートの中止などの無法を阻止することができたこと、立場や潮流を超えた共闘が始まりつつあること、自治体職員と住民との共同こそが反撃の鍵であることなどの教訓が得られたことを指摘し、国政進出をねらう維新の会によるファシズムの萌芽の時代において、どう対抗するのか歴史的な検証を受けうるたたかいを繰り広げることを呼びかけました。

討議では、まず、大阪府市問題についての集中討論を行いました。大阪市労組の永谷孝代さんからは、アンケート調査に立ち上がった市職員の悩みと決意を赤裸々に語り、萎縮する職場を変えていくためにも、思想調査国賠と職場での運動を結びつけてたたかう決意を語りました。また、大阪自治労連の大原真さんからは、維新系首長による攻撃に対し、住民と連携した運動で反撃する経験を報告されました。大教組の藤川真人さんは、府で教員評価について不当な攻撃を押しとどめている状況を報告し、学校選択制や授業評価など教育基本条例の具体化を阻止する運動を保護者・地域とともに広げていくことを訴えました。思想調査国賠弁護団の遠地靖志弁護士からは、  月から審理が始まる同訴訟への支援を呼びかけ、傍聴席を満席にして、大法廷での審理を求めていきたいと述べました。藤木邦顕弁護士から、教育基本条例の具体化を阻止する運動のポイントとして、組織・世代を超えた共闘と新たな行動スタイルの模索について問題提起がありました。また、梅田章二弁護士は、おおさか社会フォーラムの活動を紹介し、ウィスコンシン州で公務員バッシングを繰り返した知事を追い込んでいった運動に学ぶことを指摘されました。
その他の議題に関連して、大阪過労死を考える家族の会の塚野信子さんが、ご自身が遺族として提起している過労死行政訴訟(報知新聞事件)での勝利判決への支援を呼びかけるとともに、過労死防止基本法の制定を訴えられました。また、河村学弁護士が、改正派遣法・労働契約法について、政省令や指針、通知なども含めて学習して、どう現場で活用するのかの検討をただちに始めることを呼びかけました。
その後、決算報告と予算の提案、会計監査報告に続き、活動方針案と予算案が採択されました。また、新役員の提案も承認されました。
最後に、城塚幹事長より、橋下市長によるアンケート調査に対して、当該組合をまじえて、土日をつぶして方針を討議し、月曜日には市役所前宣伝を行ってビラを配布するなど、アンケート調査の無法を知らせて職員を励ます行動にただちに立ち上がった経験にふれ、民法協らしい役割を遺憾なく発揮することができたとして、こうした運動を通じて反撃を広げていくことを訴えられました。
総会で採択された活動方針案に即して、様々な分野で、労働者や市民の権利を擁護する活動にとりくまれることを会員各位にあらためて呼びかけたいと存じます。

思想調査国賠訴訟―憲法を守り、市民・職員が当たり前にものが言える大阪市を取り戻すために

原告団長 永 谷 孝 代

 今年2月9日から大阪市職員に橋下市長がおこなった「職員アンケート調査」に対して大きな精神的苦痛を受けたことに対して、7月30日、55名の原告で大阪地裁に提訴しました。

 「職員アンケート調査」は、まず「市長の業務命令として全職員に真実を正確に回答していただくことを求めます。正確な回答がなされない場合には処分の対象となりえます」という橋下市長の署名入り前文から始まります。「処分」という文字に脅威を感じました。それまでの市長の言動も「職員に民意を語ることは許しません」とか「民意を無視する職員は大阪市役所から去ってもらう」など連日マスコミを通して報道されていましたので、市長の言うことに従わない職員をあぶりだすためのものだと思いました。アンケートの内容を見るとそれはまさしく、職員の思想・信条に踏み込んだもので「これは憲法違反」だと思いました。アンケートの項目一つ一つに目を通すだけでも苦痛でした。自治体職員として市民のための仕事をしたいと一生懸命がんばってきた自分の生き方を土足で踏みにじられた感じがしました。

 わたしは、保育士として35年勤務してきました。保育という仕事を通じてたくさんの子どもたち・保護者・地域の人たちと出会いました。とりわけ、障害を持った子どもたちや生活困窮の中で一生懸命生きる子どもたちとの出会いは、私の保育士人生を大きく変えました。マニュアルどおりの保育では決して解決しない問題が保育所の中には山積みにされています。雇用問題、社会保障問題など国の根幹から見つめなおすことや市民の声を聞き、声にできない子どもたちの悲痛な叫びをしっかり受け止めることなくして、解決しない問題がたくさんあることを学びました。私のような小さな力でも子どもたちの笑顔を守る運動に携わっていきたいと今まで労働組合を通して地域の人たちとの手つなぎを続けてきました。それは、子どもたちに背を向けるようなことはしたくないという私の生き方でした。日本の国は「憲法」があり、基本的人権や思想・信条の自由や幸福追求権など人間としての尊厳を守ってくれていることが、この社会で生きていく普通の人間の安心につながっています。私たちの運動も憲法で守られ、労働法で守られている適法の中の活動であると信じての運動でした。

 しかし、橋下市長の行なったアンケートは私が今まで行なってきたことが全て違法であり、「悪」であるかのように決め付けた中身であり、今までの生き方を否定するものでした。「どんなことで処分されるかわからない」「まじめに働いていても市長の意に沿わなければ処分されるかもしれない」常にそんな不安が職場の中に漂っています。「市長の言いなり」になることが公務員の役割なのか、就職の時に私たちは「全体の奉仕者として働くこと」「憲法を守ること」を誓約したはず、いろんなことを考え悩みました。職場感情を考えて提出したが、どうしても自分に納得ができず、悩んだ挙句、震えながら「アンケートを返してください」と返してもらった人、「処分する」の言葉にまだ幼い子どものことを考え、自分がもし職をなくしたらどうなるか考えたが、やっぱり母として子どもに胸を張って前を向ける道を選択しようと提出しなかった人、家族会議を開いて裁判の原告になる気持ちを家族に訴えた人、「お母さんのやりたい方向を選ぶのか一番いい」と言う息子の言葉に背中を押された人など、「処分」も覚悟で決意した原告たちは「どんな時も許してないけないものがある」と自分の生き方を貫きました。

 そして、私たちが踏み切るためにたくさんの方々の温かい励ましがありました。現役の職員を処分されてはいけないと立ち上がってくれたOBや、連日、市役所前に駆けつけて反対運動に参加してくださった団体・市民の皆さんの「市役所の職員頑張れ」の励ましが、今回の裁判提訴に踏み切る大きな勇気につながっています。私たちは自治体職員として、市民の声を聞き、市民とともに歩む道を選んで市労組を結成しました。今回の裁判は個々が原告としての決意を固め、立ち上がったものですが、だれもが、「これは自分の生き方だ」と胸をはり、「市労組」の組合員であることに誇りを持って決意しました。私たちのたたかいを通じて、職員を励まし、市民の応援に応えられるものにしたいと思っています。これから始まるたたかいは険しい道かもしれません。不安もたくさんあります。しかし、私たちにはたくさんの応援団がいる、一緒にたたかう仲間がいる、みなさんとともに原告団も勇気をもってたたかっていきたいと思います。

精神障害による自殺未遂の労災事件 逆転勝訴判決報告(平成24年7月5日大阪高等裁判所第11民事部判決・確定)

弁護士 波多野   進

第1 事案の経過・概要

 浄化槽の保守点検業務に従事する労働者が突然の懲戒を突きつけられての退職勧奨後の数日後に自殺を図ったところ(平成15年6月)、視力喪失等の重い障害を残して労働能力を喪失した事案である。
 労災申請するとともに民事訴訟(損害賠償)を並行して行ったが、民事訴訟の一審、控訴審、最高裁とも敗訴が続いた。
 一方の労災手続きについても負け続け、行政訴訟の一審である平成23年10月17日大阪地裁第5民事部における裁判でも敗訴し、今回の控訴審となった。

第2 争点

 行政訴訟における争点は概ね下記の3点であった。
 1 被災者の発症した精神障害の有 無
 2 アルコール依存症か否か、アル コール依存症に基づく2次性うつ病などによる自殺に及んだのか
 3 解雇の心理的負荷の程度

第3 弁護団の方針

1 民事訴訟と行政訴訟とは判断枠組みが異なる
 民事訴訟については最高裁において敗訴が確定してしまっていたが、会社を相手とする損害賠償についての民事訴訟で負けたとしても労災の枠組みはそれとは異なる。したがって、民事訴訟において敗訴が確定していたとしても、行政訴訟では十分勝機があると信じていた。波多野が担当した国立循環器病センター事件(一審・控訴審とも勝訴・看護師の過労死の公務災害・大阪地裁平成20年1月16日判決・労働判例958号21頁 大阪高裁平成20年10月30日判決・労働判例977号42頁)においても、民事賠償の訴訟において最高裁まで行って敗訴が確定していたが、行政訴訟では勝訴できた。

2 主張立証方針は単純明快(これまでの手続きで獲得した事実認定・判断を基礎に)
 民事訴訟で敗訴したとはいえ、民事賠償の大阪高裁判決は、「自宅謹慎中の従業員を社用車に乗せた話をしていたというだけでは、直ちに控訴人の従業員としての適格性に疑問を生じさせたり、労使関係における信頼関係を破壊するとはいえないことは明らかであって、専ら上記のような理由で行われた本件解雇に正当な理由があったとは認めらない」として、不当解雇であるとの判断がなされていた。
 弁護団としてはこの大阪高裁判決の事実認定・判断を足がかりに「退職強要(本件解雇)」(心理的負荷Ⅲ)→精神障害発症(適応障害等)→自殺企図という因果の流れを具体的に立証することに成功すれば、勝てるはずとの見通しを立てた。

第4 大阪地裁平成23年10月17日判決・労災一審の敗訴判決の概要

1 適応障害発症否定
 大阪地裁判決は、本件解雇後、被災者が社長に「辞めてやるわい」と言って退社していること、労基署へ相談に出向いていること、再就職先について相談しているなど退職に向けて合理的な行動をしているとして適応障害発症を否定した。

2 本件解雇の負荷の評価の誤り
 大阪地裁判決は、不当な労務管理による負荷があったとまでは認めることはできないとしつつ、本件解雇について「一定程度の心理的負荷」があったことは認めつつも、被災者が社長に対して、「辞めてやるわい」と反論したり、異議を述べていない、再就職の行動をしていたなどとして、「解雇によって受けた心理的負荷は、その程度が強いものであったとまでは認められない」とした。
 大阪地裁のかかる判断は、最低基準であるはずの行政基準すら無視する極めて不当なものであった。すなわち、退職強要は旧「判断指針」においても「心理的負荷の強度がⅢ」(人生の中で希に経験することもある強い心理的負荷)となっているのであるから、結論はさておき議論の出発点はここであるのに、大阪地裁判決は、完全にこれを無視して、「解雇によって受けた心理的負荷は、その程度が強いものであったとまでは認められない」としてしまったのである。
 その結果、大阪地裁判決は、本件解雇の心理的負荷がたいしたことがないという前提で判断を押し進めていったため、必然的に「精神障害を発症するに値するほどの強い心理的負荷を受けた事実を認めることはできない」とし、仮に適応障害を発症していたとしても、本件解雇後の「脆弱性」などの個別事情に起因して発症したに過ぎないとした。
 大阪地裁判決は、その脆弱性はアルコール依存症を否定する判断をしながらも、「アルコール依存傾向」があり、生活面での変調を認めて、被災者側の個別事情によって「精神的変調」をきてしていたとして、自殺企図の原因を被災者の「脆弱性」「個別事情」にもとめて業務起因性を否定してしまった。

3 大阪地裁判決の事実認定は概ね原告が立証したとおりであったこと(基礎となる事実認定は概ね適切であったこと)
 原告が主張立証した事実関係を概ね認定していたので、大阪地裁判決の誤りはその事実評価を誤ったことにあった。
 弁護団としては、勝訴を期待していただけに敗訴判決には納得できなかったが、大阪地裁判決の事実認定をもとにして控訴審において逆転を狙うことができると確信していた。

第5 控訴審(大阪高裁)における訴訟活動

1 総合評価に持ち込む
 労災事件で敗訴する場合、判決の判断の方法として各事実を個別に判断してそれぞれの事実は全体と切り離してみたらたいしたことがないというものが多い。今回の地裁判決もそのようなものであった。したがって、控訴審においては、総合的に事実を評価させることに留意した。
 例えば、本件解雇は出来事として突然の面があったことは事実であるが、背景的な事情として、正義感の強い被災者が、会社において、他の同僚が金銭の横領をしていたことについて会社のためにその不正を糺すべきことを忠告したのに逆に犯人扱いされたり、そのような一連の流れで本件解雇に至っていること、大阪地裁判決が本件解雇後に再就職活動をしたり労基署に相談をしているという一見合理的な行動をしつつも、原判決が全く無視しているおかしな行動(一睡もせずに布団に座ってぶつぶつ言う、5月なのに暑い暑いといいながら、冷房を入れたり、逆に寒い寒いといいながら毛布をかぶったりなどなど)を指摘しつつ、本件解雇の心理的負荷の高さを評価する際にも、発症の有無を判断する際にも事実を総合的に評価すべきことをもう一度証拠や証言等に基づいて事実を摘示しつつ示すようにした。
 控訴理由書は期限内に提出することはもちろん国の準備書面に対して時期をおかずに反論をしきることを意識して行った。

2 大阪高裁が結論を見直そうとしている徴表(積極的な釈明)
 被控訴人である国は、答弁書において「適応障害の症状は、その症状が直後・数日以内に顕在化するような疾患ではない」として、ICD―10の診断基準に真っ向から反する主張を行っていた。おそらく、国は発症を否定しようとする余り、外傷後ストレス障害(PTSD)の診断基準(外傷後、数週から数ヶ月にわたる潜伏期間を経て発症する)と混同して、国自ら根拠とするICD―10の診断基準に反する主張をしてしまっていた。
 これに対し、裁判所が国に対し、国の上記主張がICD―10とほぼ同一内容の操作的診断基準であるDSM―Ⅳ―TRにおける記載と齟齬があることを証拠を指摘しながら、国の主張に医学的根拠があるのかどうかについて積極的に釈明を求めた(なお、控訴人は準備書面で指摘済みではあった。)。
 裁判所がこのような求釈明を行うことは、発症の有無について原判決の判断に疑問を持っていることと記録をよく読んで検討してくれていることを意味しているため、原判決を見直す蓋然性が高まったと判断した。

第6 大阪高裁判決の概要

 大阪高裁判決は、大阪地裁の事実認定をほぼ踏襲しながら、本件解雇の評価など適正にしたため、大阪地裁判決と正反対の結論となった。大阪高裁の逆転判決は一貫して被災者側が主張立証し続けたことを認めたものである。

1 本件解雇の心理的負荷を適正に評価
 大阪高裁判決は、本件解雇は、「退職を強要された」という具体的出来事に該当し、「その心理的負荷の強度は、最高値の「Ⅲ」【人生の中でまれに経験することもある強い心理的負荷】」であるという判断指針の立場から出発しており、極めて妥当である。そのうえで判断指針の「心理的負荷の強度を修正する視点」の要素、つまり、「解雇又は退職強要の経過等、強要の程度、代償措置の内容等」に照らしてⅢから下げる修正の余地があるかどうかを検討している。大阪高裁判決は「本件解雇は控訴人にとって予期しない突然の出来事であり、社長と口論となるなど尋常でない経過があったことを考慮すると、上記Ⅲの評価を修正すべきであるとは言えず、業務による心理的負荷の強度の総合評価としては、「客観的に精神障害を発病させるおそれのある程度の心理的負荷といえる『強』にあたる」とした。
 大阪地裁(被控訴人の主張でもある)が「辞めてやるわい」等と対応していたことなどから心理的負荷がさほどではないとした判断に対しては、同僚の非違行為について会社が「何らの処分もしないことに不満を高じさせていたところ、たまたま本件会社を訪ねてきた謹慎中の同僚を社用車に乗せて会話したというだけで、社長から突然本件退職通告を受けたことから、それまでの鬱憤が一挙に爆発し、上記のような応答となったもので、納得ずくで本件解雇を受け入れたものではない」として、表面的な応答の内容で表面的な判断に終始した大阪地裁判決を完全に否定する内容になっている。
 そして、大阪地裁判決が事実認定しながら判断に際して無視していた通常でない身体の状態(食事を取らない、暑いと言ったり寒いと言ったり)をきちんと評価して、たとえ労基署に訪問するなど合理的な行動を取っているように見えてもそれが本件解雇による心理的負荷が強くなかったことを示すものではないとした。

2 アルコール依存の否定
 アルコール依存症の診断基準や知見に沿って、アルコール依存症を否定し、アルコール依存症又はアルコール依存傾向によって抑うつ症状などの精神障害を発症して自殺企図に及んだとは言えないとした。

3 大阪高裁判決の意義
 退職強要という出来事を行政基準に従って適正に評価したこと、精神障害発症後でも一見合理的な行動を取ることがあること、それが精神障害を否定したり出来事の心理的負荷の強度が弱いものを示すものではないこと、精神障害発症と脆弱性とを安直に結び付けるべきでないことを明言している点で、意義がある。

                                                                           
(弁護団は、渡辺和恵、下川和男、波多野進【当職】)
当職(波多野)は民事訴訟の控訴審と労災の審査請求から弁護団に加わる。

地位確認裁判を終えて(ジェイテクト雇い止め事件)

原告 谷 口 栄 次

 この7月2日に私の、株式会社ジェイテクトに対する地位確認を求めた裁判が和解という形で終了しました。提訴から2年4か月でした。
 この誌面を借りて改めて河村学先生・西念京祐先生・藤井恭子先生の弁護士の方々、JMIU大阪地本の林田さんや役員の方々、証言に立って頂いたJMIU光洋精工支部の辻岡前委員長・渡辺現委員長、傍聴に来て頂いた全ての方々に感謝いたします。

 今回のジェイテクト事件は、2008~2009年におけるリーマンショック後の派遣切り・期間工切り等の雇い止めに対する地位確認を求めた裁判でした。私はジェイテクトの国分工場で2002年6月から雇い止めになった2009年2月まで6年9か月間働いていました。勿論、会社側の勝手な都合で偽装請負・違法派遣・期間工と契約形態は変えられていましたが、作業の内容は変わりありませんでした。しかし、会社側は景気の悪化を理由に当時国分工場で働いていた約300人の派遣社員・期間工を雇い止めにしたのです。私は、仲間たちと労働組合「JMIUジェイテクト国分工場関連支部」を結成し、団体交渉を行いましたが会社側は全く誠意を示さなかったので提訴に踏み切りました。

 しかし、私が提訴した時は前年の12月に松下PDP事件の最高裁判決が出ており、大きな逆風がふいておりました。正直、私も提訴をするのかどうか考えました。しかし、このまま誰も提訴をしないとこの不当な雇い止めの問題が風化してしまう様に思い提訴に踏み切りました。

 いざ裁判が始まってみると、何もかもが初めての事なので最初は戸惑う事が非常に多く、右も左も分からない状態の私を弁護士の先生方や労働組合の役員の方々は丁寧に根気よく指導して下さいました。2年4か月もの間さぞ大変であったことかとおもいます。

 裁判が始まって私が最初に感じたのは、「よくこんなでたらめが書けるな」と思える様な会社側の文章でした。具体的には、非正規社員の方が能力が低く正規社員の方が能力が高いとのことですが、現場で確認すればそのような事は無い事が直ぐに分かるはずなのに、何故このような事を主張してくるのかと思い情けなくなりました。

 裁判の引き延ばしとも思える様な対応をとられた事もありました。さすがに、この時は裁判官も怒っておられたように思います。私自身は、会社側はもう何も主張する事が無くなって来た様だと感じていました。

 しかし、今回の裁判で私が一番問題だと考えているのは、一人の裁判官の発言です。「非正規の社員は景気の調整弁である」との発言です。雇用の安定が社会的にも求められている事さえも理解出来ずに裁判官をしているのかと思い恐ろしくさえ感じました。多くの地位確認裁判や労働裁判で不当な判決が出ているのも裁判官の資質に問題があるのではないかとも思えました。「木を見て森を見ず」の言葉のように、法律の条文だけを見ておりその条文をどの様に活かすかをまったく考えていない発言です。これでは裁判官など無くしてしまいコンピューターを置いておくだけで事足ります。裁判官という人間を配置しているのは、「社会においてこれでいいのか?」、「社会正義においてどちらが正しいのか?」等を判断する為に裁判官はいるのだと思います。現役の裁判官がこの様な調子では、今後の裁判も心配です。

 私が裁判をしているあいだに期待していた労働者派遣法の改正も骨抜きになり、今回の労働契約法の施行と、ますます現代の身分制度が推し進められています。正社員、無期限社員、期間工、アルバイトの様に身分をつくり労働者同士を分断しようとしているだけで正しい社会構造とはとても言えません。先の見えない財界の方々には都合が良いのかもしれませんが、そのような社会が持続することはありません。誰もが平等に働ける社会こそが求めていくべき社会だと思います。2009年のテレビのニュースで連合の会合の様子が流されていました。そのニュースで流されたある女性の発言が今も私の脳裏に焼きついています、「非正規の人達を助けたら自分たちの給料が下がる。」との発言でした。年越し派遣村等が社会的にも注目され労働者派遣法の改正に流れが向いていくのを望まない人々がいることを訴えたかったのであろうが、私は、そのような人々に聞いてみたい「あなたの子供は全て正社員になり安定した生活が送れていますか?」、「あなたの身内に非正規の人はいませんか?」、「非正規の人々と年金未納の関係は深くこのままでは将来無年金の人々が大量に生まれますがどうしますか?」。

 私の裁判は和解という形で終了しましたが本当の意味での闘いはこれからだと感じながらこの記事をかいております。

おおさか労働審判支援センター第7回総会のご報告

弁護士 西 川 大 史

1 はじめに
 2012年7月18日、おおさか労働審判支援センター第7回総会が開催され、約25名が参加されました。

2 労働者の権利救済・擁護となるような労働審判の活用を
 まず初めに、労働審判支援センター所長の河村武信先生から、ご挨拶をいただきました。
 河村先生は、労働審判について「一定の成果を挙げている」と評価されながらも、解雇事件の解決内容のほとんどが金銭解決であるという現状について、「解雇事件であれば職場復帰まで勝ち取ることが本来の権利救済であり、奪われた権利を奪い返すことが重要である。労働者の権利の救済、擁護ができるような労働審判実現に向けて、支援センターが活動していくことが大切である。」との提起がなされました。

3 学習交流講演
 次いで、学習交流として、今年度は、2008年4月から2012年3月まで労働審判員として活躍された吉田暢さん(堺労連)に講演をいただき、労働審判員としての豊富な経験を語っていただきました。
 吉田さんは、4年間で多くの労働審判を経験されましたが、労働審判にあたり常に心がけていたこととして、申立書と答弁書を何度も読み込み主張整理し、裁判所から審判員には送られない書証についても必ず2回は裁判所に足を運び精査して、審判に臨んだと話されました。吉田さんといえば、有名な東亜ペイント事件の原告であります。吉田さんは、長年当事者として闘った経験があったからこそ、必死になって記録を読み込み、申立内容をくみ取って権利関係を明らかにするという姿勢で臨むことができ、今後は、労働者の権利を理解して判断できるような審判員の増員を期待すると話されました。
 近年、労働審判の申立件数が増加し、労働事件の解決手段として極めて重要な役割を有していますが、審判員の中には、記録さえ読んでいないのではないかと疑いたくなるような方も少なからずいます。労働審判の充実のためにも、吉田さんのように、記録を丁寧に精査され、労働者の権利救済実現のために奮闘される審判員が一人でも多く増えることを切に願います。

4 意見交換・討論等
 その後、鎌田幸夫弁護士からは、東大社会科学研究所の労働審判調査についての報告がなされ、審理が迅速化する一方で、審判委員会が労働者の言い分を十分に聞いているのか疑問であることや、解決金の水準が低いものが多いことなど、労働審判が泣き寝入りを強いられている労働者救済制度になっているかについて、解決水準も含めて再検討する必要があるとの問題提起がなされました。
 また、参加者からは、本人申立の是非や、許可代理の拡充、組合員の同席を求める意見が出されるなど、充実した意見交換がなされました。

5 労働審判事例の集約、分析
 労働審判支援センターでは、昨年度に引き続き、労働審判事例を検討、分析するために、民法協会員弁護士及び労働組合から、計50件の事例を集約し分析しました。
 今年度に集約した労働審判事例には、地位確認等請求事件で職場復帰解決が2件あったり、高額な金銭解決などの事例もあり、また審判を使った代理人の評価も概ね高いものが多くありました。
 集約事例の詳細等については、民主法律協会総会議案書で報告を予定しておりますので、そちらを参照ください。

6 さいごに
 労働審判が施行されて今年の4月で6年を迎えましたが、申立件数は年々増加傾向にあり、昨年度は大阪地裁で300件を超える申立がありました。
 労働審判支援センターでは、労働審判が労働者の権利救済のために充実した制度となるよう、今後も意欲的に取り組んでいきたいと思います。

「声を上げれば世界は変わる」 働き方ネット大阪第16回つどいを開催

働き方ネット大阪副会長 柏 原 英 人

 2012年7月24日に働き方ネット大阪の第16回つどいが、「声を上げれば世界は変わる」をテーマに開催され、68名が参加しました。
つどいは、会長の森岡孝二関西大学教授の開会の挨拶で始まり、報告1として服部信一郎さん(大阪革新懇ソウル訪問団事務局長)の「韓国における市政改革の新しい波から何を学ぶか」、報告2として後藤宣代さん(福島県立医科大学講師)の「世界に拡がる草の根運動―オキュパイ運動とフクシマをつなぐもの―」がありました。
その後、恒例のリレートークで岩城穣弁護士(働き方ネット大阪事務局長)の司会のもと川村遼平さん(NPO法人POSSE事務局長)、北出茂さん(大阪青年ユニオン)、呉竹陽子さん(新日本婦人の会大阪府本部中央支部事務局長)、大口耕吉郎さん(全大阪生活と健康を守る会連合会事務局長)のみなさんの報告がありました。

服部さんからは韓国訪問の朴元淳(パク・ウォンスン)ソウル市長との懇談で、ソウル市長が市民に軸足を置き歩もうとしていること、「格差を解消するのが市長である私の役割」と述べ、ソウル市非正規職員の4割近い1054人を正規化した実績等を紹介しました。大阪の橋下市長と対照的な市長であるとの感想を持ったとの報告がありました。
又、イギリスのフェビアン協会をモデルに「普遍的福祉」が政党スローガンになるようにと活動している福祉国家ソサエティ(シンクタンク)の運動と韓国の900万人(51.4%)非正規労働者の雇用不安と不合理な差別の撤廃を求めて闘っている韓国非正規センターの「希望バス」争議支援等の闘いを紹介しました。
最後に服部さんは韓国においては「統治能力」を視野にした活動と運動、青年と非正規労働運動の捉え方、大企業に対する社会的責任追及と市民が主人公の政治が生きていると結びました。

後藤さんは、まず今回の震災で被曝者になり、「見えない恐怖」におびやかされ闘っていること、被曝者としての生々しい体験と社会科学者として現地でなければわからないことを、世界に声を広げようと頑張っていると述べられました。
続いて、アメリカのオキュパイ運動について、運動の始まりが、2005年のカリフォルニア大学バークレー校における学生運動と労働者の連帯からだといわれていること。「99%のための経済政策を…」「99 %にテイクバックし全てを取り戻そう」をスローガンに、運動が「当初は、なんだあんなもの…」といわれていたことが全米に広がり、世界に広がっていったこと等を紹介されました。
オキュパイ運動にはそれぞれが新たな役割をになう多様な社会階層の参加があり、さらに開かれた闘いとして民主主義の巨大な合流と国際連帯があると指摘されました。
運動の合言葉は「スペインの若者のようにたたかおう」「カイロのタハリール広場のようにたたかおう」となっていること等、実際にアメリカに行って「オキュパイ運動」をつぶさに見てきた後藤さんの話は私達に臨場感を持ってわかりやすく説明していただきました。
最後に、3・11フクシマで「フクシマを綺麗にして返せ、全面補償せよ」と東電へ乗り込んだ農民が東電に要求を認めさせ、「子供たちを放射能から守れ」と文科省へ押しかけた保護者が、「福島の子供たちをモルモットにするな、年間放射線量  ミリシーベルトを1ミリシーベルト(国際基準)以下に」と声を上げ実現させたことを紹介されました。

続いて岩城弁護士の司会でリレートークがありました。
NPO法人POSSE(ポッセ、20~30代の若者が中心になって運営する特定非営利活動法人、2006年設立、若者の労働相談・生活相談を年間350件ほど受付)の川村さんは、若者へのアプローチで「NOという選択肢はある」、「NOは無理でもSOSを!」と取り組んでいる事例を紹介しました。
その中で、特に大阪青年ユニオンとの連携で、類似の苦難に立ち向かう者との出会いが勇気を与え、声を出させ、解決後の定着を図る場として有効に機能していると報告がありました。
大阪青年ユニオン(全大阪地域青年層の労働相談を年間200件ほど受付、団体交渉を20件ほど行う)の北出さんは、相談に来た若者が声を上げ、勝利解決した数多くの事例の中で、「会社も、ユニオンとの団体交渉が勉強になった」と団交後も良好な関係が築けたことなどの事例を紹介しました。
また、ポッセとの連携は大阪青年ユニオンにとっても同様に有効に機能しているとの報告がありました。
全大阪生活と健康を守る会連合会の大口さんは、強まる生活保護攻撃のなかで申請者と受給者を支援する活動を果敢に展開している事例を紹介した後、政府は世界と比べて極端に低い生活保護の捕捉率のさらなる低下を推し進めようとしていると指摘しました。
新婦人(平塚らいてう・いわさきちひろ・壺井栄等532人が呼びかけ、5つの目的を持って活動し、今年創立50年になる)の呉竹さんより、新婦人は府下に820の班があり、月に1、2回小組(こぐみ)をつくって、様々な要求に合わせて行っている活動を紹介した後、今、新婦人は、さよなら原発・平和への思いを持って、消費税増税反対や原発ゼロを目指し、「発信&行動しよう」と「私は言いたい」運動を広げているとの報告がありました。

わたしはこの「第16回のつどい」で、社会の閉塞感の中でも「声をあげる」ことによって変えられるということを感じることができました。また、3・11以降の反原発運動の高まりが、民主党政治に対する怒りといらだちの中で日本においても大きな変化を起こそうとしてきていることも強く感じました。
さらにポッセと大阪青年ユニオンの連携は、オキュパイ運動のスタートが学生と労働者の連帯であったことを連想させ、恒例の懇親会と合わせて大変有意義なつどいとなりました。

ファシズムの危機

弁護士 大 江 洋 一

 私も自治労連弁護団の立場で組合事務所使用不許可処分等の事件を担当しているが、それまでは橋下市長のことを、ノックの延長線でマスコミにもてはやされて有頂天になって新自由主義のお先棒を担いでいるという程度の認識に留まっていた。しかし、アンケート問題が発生して、その質問事項と橋下市長の回答指示文書を一読して衝撃を受けた。人の心の中まで土足で入り込んで心の底まで支配しようとしている。それを職務命令をもって懲戒処分の脅しのもとに強制しようとしている。市の職員たちは、回答を拒否したら家族を路頭に迷わせかねないと深刻に思い悩んでいた。「あの時代」がフラッシュバックした。

 どうみてもこれはナチズムではないのか。しかし、書かれたものは「ポピュリズム」を云々するだけで、正面からファシズムを論じるものは寡聞にして見当たらない。身近な何人かの人に訴えかけても「ファシズムの定義は難しく学者の間でも一定していない」「変にレッテル貼りになってはかえって反発を買うだけだ」というような答えが返ってくるばかりでどうにも反応が鈍いのである。「それは違う!」と歯ぎしりしながら、ファシズム論の古典的名著と言われる山口定氏の「ファシズム」(岩波現代文庫)を読んでみた。

 出版当時の時代背景があったからだと思われるが、確かに同氏は随所で「レッテル貼り」になることには慎重姿勢を示しているが、さまざまなファシズム論説を吟味しながら氏のファシズム論を展開しており、私の『維新ファシズム論』は直感から確信になった。

 紙数の関係で祥細な内容紹介はできないので、関心のある方は直接お読みいただきたいが、山口氏は、ファシズムの基盤となった社会状況を「支配イデオロギーの危機・支配層内部における統一的意思形成の破綻、既成支配層の腐敗や失政の連続、社会主義運動が期待された変革の実現に失敗して大衆の幻滅を一挙に拡大、労働運動が社会的に孤立したまま不毛な突撃を繰り返す」と指摘するが(最近注目されているカール・ポランニ―の時代分析も一致している)、これは現在の社会状況と瓜二つではないか。

 山口氏が定義づけるファシズムの特性は「『指導者原理』を組織原理とし、制服を着用した武装組織を党組織の不可欠の要素として、街頭の暴力支配と示威行進・大衆集会とを結合した運動を展開する政治的大衆運動」というものだが、橋下市政の手口をみると、これを充分に備えている。直接的な「暴力」ではないものの、マスコミやインターネットを通じてさまざまな「恫喝」を加えるなど「街頭の政治的大衆運動」は新たな現代的装いをもって進められている(氏は、今後ファッショ化の動きが進むとしたら「管理ファシズム」的性格を一段と強くしたものとなるだろうと補説の中で指摘している)。主たる基盤を中間的諸階層に見出し、さまざまなタイプの社会からの「脱落者」集団を集めているという点まで同じである。

 橋下市長は「選挙で多数を得て選ばれた自分が全てを判断する。公務員は一切個人の判断を加えてはならず無条件に服従して実行するだけだ」と広言し、職員基本条例、政治活動規制条例、労使関係条例に現実化した。ナチスの『指導者原理』そのものである。とりあえずは大阪市の行政内部の問題に限定されているように見えるが、「彼らの運動が勝利したあとには、その政治社会全体に押し広げられた組織原理」となるであろう。ナチスが初議席をえてから5年を経ずして政権を奪取し、その後一気に世界を悲惨な戦争と殺戮に引きずり込んだ歴史的経験を想起されたい。それは「構成員に対して『個人』の立場を徹底的に放棄することを要求する」に至る。そして、至ってからでは遅い!のだ。

 美辞麗句を連ねた『維新八策』への内容的批判は各方面からなされているが、「ファシズムの思想には体系性などはなく、自己の勢力を強化したり、権力の確立・維持という目的のために大衆の支持を調達する必要から、訴えかける対象により、またその時々の状況に応じてもっとも好都合な思想が動員されるに過ぎない」というムッソリーニの率直な吐露を念頭に置いて考える必要があろう。原発再稼働をめぐる橋下市長の変節が示すように、いつ豹変するか分からない政策的美辞麗句であることを念頭においておく必要がある。

 最も注意すべきは、橋下市長の姿勢が、「ただ無制限な、あつかましい、一方的頑固さによってのみ宣伝は成功する」「もっとも簡単な概念を何千回も繰り返すことだけが、結局は覚えさせることができるのである」(『わが闘争』)などとオーバーラップして見えることである。無理を承知で言いたい放題まくしたて、攻撃する相手の失態には一切容赦ない一方で、自分の失態には極めて寛大であることも見逃せない。道義的な退廃というほかない。

 現状はあくまで大阪という地方に限られた現象ではあるが、全国的に『橋下首相』待望論がもてはやされる現状からみて、「厳密な意味での「ファシズム」には入らないが、すでにファシズムの諸特徴のいくつかを萌芽的に示しているか、それともそれ自体として顕著なファッショ化の道を歩み始めており、そこからやがて本物のファシズムの運動が分離・独立することになるような、しかも場合によっては極めて強大な力をもった運動体があちこちに見出された。それはさまざまの由来、背景をもっており、これを「前ファシズム」と呼ぶことにしたい。」との氏の指摘がそのまま今にあてはまるのではないか。

 私はひたすら恐怖心を煽ったりレッテルを貼るつもりで書いているのではない。私は、かなりの人々が漠然とした期待を持ち、ファシズムの危険を見ようとしていないからこそ、心ある人々には橋下市政と維新が現下の政治情勢の中で(前)ファシズムの特質を備えていることを正確に認識してほしいだけである。思い過しであったと後で笑えれば幸せである。

 ではどうすればいいのか。同じ社会状況であった同時代のイギリスその他民主主義システムが進んだ国々はファッショ化していない。司法や官僚やマスコミの中からでも最近は一定の批判論調が生まれ始めている。書店の店頭でも「橋下」批判の書物も目につくようになってきている。あまりのひどさに「大阪のおばちゃん」たちにも戸惑いが出始めた。反原発デモも民主主義の根付きを思わせる新しい動向である。そして何よりも頼もしかったのは、涙ながらに家庭や職場で苦しみ悩み励ましあうなかで、ついに思想調査アンケート損害賠償請求訴訟に踏み切った55人もの人々が、実に輝かしい笑顔で決意を語ってくれたことである。試練は人を磨き上げる。ファシズムが反ファシズムを育んだのだ。ここに進むべき道が示されているのではなかろうか。

 もう一度言うが、今の事態はたんなる人心収攬のための「ポピュリズム」ではない。
 そして、反ファッショの大同団結が必要なときである。

連載TPPリポート⑥(最終回) 食料と食の安全を脅かすTPP

 全大阪消費者団体連絡会事務局長 飯 田 秀 男

 今回は、TPPが日本の食の安全について及ぼす影響・懸念についてリポートする。

 TPPで食料自給率13%に

 TPPは、物品貿易の全品目について、例外を設けず、即時または段階的に関税を撤廃することを原則とする。2010年10月、菅首相(当時)がTPP参加を打ち出した際に、農林水産省はその影響を試算して公表した。この試算結果は、農業関係者をはじめ、各界に衝撃を与えた。食料自給率(カロリーベース)は激減し、13%にまで落ち込むという。今でも、先進国で最低の食料自給率の日本だが、それが極端に低下する。こうした状況下で、食料を武器に圧力をかけられたら、それがいかなる経済的・政治的圧力であろうと首を縦に振らざるを得なくなるのは必至である。また、自給率の低下は、輸入量の増加と裏表の関係であり、輸入検疫体制の問題に直結してくる。現在の輸入食品の検査は、393人(2011年度)の食品衛生監視員配置で、その検査率は数%でしかなく、民間の検査を含めても10数%となっている。200万件3千数百万トンの輸入量という現状の下においても、低い検査率である。政府が、輸入食品の検査体制の抜本強化の方針を持ち合わせていない中、関税撤廃されたら、大量輸入にどう対応するのかの不安・懸念だけが募る。

 地域経済への影響も甚大

 問題は食料自給率だけではない。農業生産額は4兆5千億円減少、国内総生産(GDP)の減少額は8兆4千億円、それによって就業機会を奪われる人が350万人にも及ぶという。それだけではなく、農業生産が果たしている国土保全、水田のダム機能、地下水の涵養などの多面的機能が失われることによる喪失額は3兆7千億円と試算された。この試算数値は、農家だけではなく、農産品を流通させる運搬業、食品加工業、肥料・農薬などの農業生産資材業、農業機械産業、それらで成り立っている地域経済などが崩壊の危機に瀕することを物語っている。

 非関税の規制撤廃促進へ

 TPPは、関税だけでなく、自由貿易の拡大に障壁となる事項を撤廃させようとする。外務省発表のTPP「分野横断的事項」では、「同一物品に対して適用される基準が国によって異なったり、重複する規制が国内規制当局によって適用されたりすることから生じる企業負担を減らすために、今後新たな規制を導入する前に当事国の規制当局同士の対話や協力を確保するメカニズムの構築を目指す」となっている。これまでも、日米の日米構造協議の場において、規制緩和・撤廃を求める両国政府の要望が出されてきた。その食の安全分野で、米国が日本に要求し続けてきた主要なものは、
①輸入牛肉の牛の月齢制限を20ヶ月齢以下から30ヶ月齢以下への緩和
②食品添加物の大幅な認可・緩和
③遺伝子組換え食品由来の製品の表 示義務の撤廃

 BSEへの不安を常に抱えて

 日本とは違い、米国では飼育牛の月齢管理がされていない。また、BSE検査も1%以下、杜撰な飼料規制がまかり通っている。輸出国ごとに異なるSRM(特定危険部位)除去ルールが食肉処理場の現場で遵守できないため、日本向けの輸出肉でSRM混入の事故が度々発生している。動物及び動物由来製品の国際貿易ルールを取り決めるOIE(国際獣疫事務局)から「管理されたリスク国」のお墨付きを得た米国は、それを盾に20月齢以下に限る輸入制限の撤廃を迫っている。

 ポストハーベストの不表示へ

 日本では、農薬は農産物の収穫前に使用するものであり、収穫後に添加するものは食品添加物になる。ポストハーベスト農薬は、農薬とは別の安全評価になるが、米国政府はそれを不当としている。また、農薬の最大残留基準値をコーデックス基準に合わせるよう、再三にわたって要求している。現在、ポストハーベスト防カビ剤は、イマザリル、OPP、TBZなど5品目だが農薬扱いになれば表示がされなくなる。また、表示義務がなくなり、コーデックス基準の残留値基準になれば、ポストハーベスト農薬の使用量が増えるのではないかと言われている。

 食品添加物の多用促進へ

 日本で承認された食品添加物は832品目だが、米国では約3000品目が使用されている。現行では、日本で認可されていない食品添加物を含む食品は輸入できない。米国の食品企業は、米国並みに食品添加物が自由に使えるようにすべきと圧力をかけている。食品添加物の日本の考え方は、「食品添加物の使用は極力制限する方向で措置すること」(1972年の食品衛生法改正時の衆参両院附帯決議)としている。しかし、米国の圧力に、「食品添加物の承認手続きの簡素化・迅速化」(菅内閣)を基本方針として確認し、米国要求に沿う対応をしている。

 GM食品表示がなくなる?

 また、遺伝子組換え(GM)食品由来の表示義務を課す日本の現行ルールに難癖を付け、「安全である食品」にGM由来かどうかの表示義務を課すのは不当だとその撤廃を求めている。米国は世界最大のGM栽培面積を誇り、とうもろこしや大豆などを日本に輸出している。今後は、農作物だけでなく、サケなどGM動物の商用化が予定されている。日本では、「GMである」ことが義務表示になっているが、「GMでない」旨の任意表示が大半を占める。これは、加工食品(しょうゆなど)や飼料には表示義務がないことが影響している。国内では、GM食品に対する抵抗感が根強くあり、現行の表示制度がつくられた経緯がある。しかし、モンサント社などGM作物開発企業は、GM表示制度が貿易障壁になると、その撤廃を求めている。

 このように、日本政府は、食品の安全分野においても規制緩和を推し進め、米国の要求ににじり寄っている。TPPに加入すれば、その動きはさらに加速することになる。
 TPP協定は、国際協定だから国同士の取り決めになるが、その本質は、国境を越えて自由な活動領域を求める多国籍企業の活動の場を整備することにある。

中国雲南省 麗江 シャングリラ紀行 (第3回)

弁護士 福 山 孔市良

納西族古代音楽会―古楽器の宝庫―

 私は麗江で行ってみたい第一番は納西族の古代音楽会であった。10年前の正月にもやって来たが、その後の変化もどうなっているのかわくわくして参加した。
 夕食後、バスで旧市街の入口まで送ってもらい、あとは徒歩で麗江旧市街の中心地四方街に近い「納西古楽会」に納西族の伝統音楽を聴きに行った。
 夜の8時からはじまったが、約30人の楽団員は4、5人を除いて80歳前後の古老ばかりであった。一番の最長は87歳で、87歳の現役の楽器演奏者はめずらしい。4月末といってもこの辺は2400メートルの高さがある街で、夜は寒い。暖房設備はないので、身体をちぢめて古楽を聴くことになった。
 私は60歳から長唄の三味線、73歳から民謡の三味線を練習しているので、納西族の使う楽器には興味がある。なぜなら日本で使用されている和楽器、雅楽を含めてすべての原型がこの麗江の古楽会で使用されているからである。琵琶、笙、横笛、琴、大小いろいろな三味線、沖縄で見る蛇三味線、低故琴もあり、銅鑼、チャルメラ等々。あらゆる古楽器が使用され、古老の楽団員によって演奏されている。案内書では「かつてペルシアから伝わった楽器の原型がせき止められたように残っている」と解説されていた。
 老人が多い楽団のためか、途中で鼻をかんだり、鼻くそを取ったり、横の人と喋ったり、なんとなくのんびりした雰囲気の演奏であった。しかし古楽器の音はきっちりとしたハーモニーをしており、あれだけ沢山の古楽器を使った演奏は、日本で聴くことは不可能であろうと思った。
 納西族がなぜ、古楽の保存を現在にまで可能にしたのか不思議であるが、中国でも中原地域では早くに消えてしまった古楽が、この雲南省の麗江地域に残るのはトンパ文字が残っているのと深い関連があるのかも知れないと考えた。三味線を弾くごとに古老達を思い出すだろうと思った。
 
4月30日、玉龍雪山(5596メートル)へ

 今日は朝から玉龍雪山の氷河公園へのハイキングに出発した。天気はまあまあであるが、山の上の方の天気は変わりやすいので少々心配である。
 玉龍雪山は麗江とは切り離せない関係ある山々であって、天気さえ良ければ麗江の町々から玉龍雪山はいつも目の中に入ってくる。
 麗江の15キロ北にあり、南北35キロにわたって13の峰々があり、一番高い主峰は扇子走(5596メートル)である。麗江の町は2400メートルであるから一番高い扇子走との標高差は3200メートル余りである。
 中国の高山にはロープウェイが多いが、この玉龍雪山でも1998年氷河の末端の4506メートルの高さまでロープウェイがかけられ、一気に高所まで行くことができる。ここから階段を登って4680メートルまで登ることができる。
 ホテルをバスで出発して少し走ると、道端ではサクランボやイチゴを売っているのが見られる。この時期はサクランボのシーズンである。途中、車を降りて酸素ボンベの携帯用を買うことになった。一本80元1200円は高いが、高山病対策のためには仕方がない。
 ロープウェイの登り口では、パスポートが必要と言われ、提出を求められたが、国内でロープウェイに乗るのになぜパスポートが必要なのかよく分からないで、いやに厳格であった。山頂は雪の中で、寒い。それでも沢山の人達が木道を登っていくのが見える。私は4560メートルの標識のところで記念撮影をしてすぐに下りのロープウェイに乗って下山した。途中ピンクのシャクナゲがあちこちで咲いているのが見られたが、花はシャクナゲぐらいであった。
 この山は北半球の最南端にあって、しかも万年雪をいだく山としても登山家があこがれの的の山である。1930年代から登頂が試みられてきたが、失敗ばかりで1985年と1986年の2回、アメリカ隊が挑戦して失敗し、1987年、やっとアメリカ隊が初登庁に成功したということである。

白沙村

 玉龍雪山からの帰り道、麗江に向かって2、3キロのところにある白沙村に立ち寄った。
 この村は、現在の麗江の発祥の地であり、納西族の木氏の本拠地でもある。かつては政治や文化の中心地であったということであるが、今では、日干しレンガの壁や黒い瓦屋根の農家が見られ、老人達がマージャンに熱中している姿が目につく位である。
 この白沙村には、白沙壁画があり、この壁画が中国でも貴重な文化財として有名である。この壁画は木氏がナシ族、ペー族、チベット族、漢族の絵師に数百年にわたって共同製作させたというものである。その特徴は釈迦をはじめとして儒教の孔雀明王や東巴教の神や道教の道士などが描かれており、「三教会一」といわれる民族の混合文化が表現されていることである。
 白沙村の土産物屋で100元の硯を買った。

麗江古城にて

 麗江は少数民族のうち、ナシ(納西)族が一番多く住む麗江ナシ族自治県のなかの中心都市で、麗江という名は県名で、正式には麗江県城といわれる。
 高度は2400メートルで、台湾と同じ緯度でありながら、高度が高いので、年間の平均気温は12~20度で、大変住みやすい町である。しかし、朝昼晩の温度差が大きく、昼はやはり暑いが、夜は寒く、納西古楽を聴きに行った時は、夜の9時ともなれば寒くて仕方なかった。
 麗江が有名になったのは皮肉なことに1996年2月のマグニチュード7の大地震によってである。麗江県全体で300人の死者を出し、麗江古城内の古い木造家屋の多くが倒壊した。このニュースが世界に知らされ、各国から救援隊が援助にやって来たことによって、約800年前からの黒い瓦屋根の木造家屋が建ち並んでいる古都が発見されたのである。
 この古都を保存し、修復する運動が起こり、これを機会にこの古都がユネスコ世界文化遺産に登録され一層麗江が世界的に有名になり、観光客を呼び寄せることになったのである。麗江のどんな宣伝写真を見ても黒い色瓦が連なる屋根の家並みは、日本の古い田舎町を見るようで大変魅力のある風景である。
 この風景は麗江古城の中15街、四方街を獅子山公園の方に登っていくと、古城地区の古い家並みや色瓦の波の屋根を見ることができる。
 私達は中途の茶店に入って雲布コーヒーを飲みながら、それらの景色をみて、写真に納めた。
 麗江古城のいいところは、町の中を流れる水路と石の橋々、そして何百年も踏みつづけてきた石畳の道と水路に影を落とす柳の木々である。
 ガイドのエンさんの話によれば、「納西族の男は全く働かない。労働の全てを女性に任せきりである。」ということで、彼女は「納西族の女性は豚まで殺して肉をさばいている。こんなことをしなくてはならないとするなら、納西族の男性とは絶対結婚したくない。」と言っていた。
 雲南省はなんといってもお茶の産地で、町の中にもお茶を売る店が多い。杭州の龍井(ロンチン)茶の茶畑には行ったことがあるが、雲南のシーサンパンナのプーアール茶の茶畑は行ったことがないが麗江でも固いかたまりになったプーアール茶を売っている。近いうちにシーサンパンナの茶樹の原産地で茶樹王を見に行きたい。

       (つづく)