民主法律時報

2条例案撤回を求める府民集会

弁護士 楠  晋 一

1 集会の様子
 2011年12月7日に、中之島の中央公会堂大ホールで、「憲法と民主主義まもる府民共同の力で『教育基本条例案』と『職員基本条例案』の撤回を求める府民集会」が開催されました。当日は1400人を越える人が参加し、会場には立ち見の人があふれ、用意した資料がすべてなくなってしまうほどの盛況ぶりでした。
 集会も、現役高校生の発言から弁護士、大阪府の現役職員、実際に子供を持つ母親、PTA協議会会長や町会長まで幅広い方の発言や教職員による寸劇など多彩な内容で会場も笑いと熱気に包まれました。
 集会のメインは大阪大学大学院教授の小野田正利先生による教育基本条例案に関する講演でした。先生は、ちょっと奇抜な服装と舞台を所狭しと動き回る型破りな講演スタイルで聴衆の心をがっちりつかみつつ、具体例を織り交ぜて分かりやすく話すことで聴衆をうならせました。

2 落ちこぼれゼロ法施行後のアメリカは大阪の近未来予想図です
 まず、小野田先生は堤未果氏の「社会の真実の見つけかた」(岩波ジュニア新書 2011年)第2章「教育がビジネスになる」の一節を引用し、アメリカでブッシュ(息子)政権が2002年春に導入した「落ちこぼれゼロ法」施行後のアメリカの惨状は2年後、5年後の大阪の予想図であると述べられました。 落ちこぼれゼロ法導入の経緯は教育基本条例案提案の経緯と驚くほど似ています。「アメリカで学力が低下しているのは、公教育が腐っているからだ。公教育が腐っているのは労働組合や州の教育関係者といった特定の利益団体がのさばっているからだ。これからの教育は国が徹底的に管理する。全国一斉学力テストを義務化しその結果で評価する。ノルマが達成できれば補助金アップ。できなければ教師は減給かクビ、ひどい場合は学校をつぶして民営化する。」というものでした。
 その結果、2010年2月にはジョージア州の公立小中学校1857校で行われた学力テストにおいて、約400校から不正答を正答に書き換える不正が行われていたことが判明しました。
 学力テストの不正で辞職したアトランタの教師が残した「どうしようもなかったんです。国の要求するとんでもない学力ノルマを達成するために、学区も教育委員会も教師一人ひとりに圧力をかけてくる。できなければ非難は教師に集中し、給料が減らされたり解雇されたりする。すさまじいプレッシャーです。学力の低い子どもたちを取り巻く環境は変わっていないのに、教師の工夫だけでどうやって点数を上げろと言うんですか?」というセリフを、大阪の先生方が述べる日が来るのかと思うとぞっとします。
 教育基本条例が導入されると、日本の学校に存在する学力以外の多様な物差し、例えば部活動、運動会、文化祭は学力テストの陰に追いやられ、教師も評価につながらないこれらの活動を縮小せざるを得なくなるでしょう。落ちこぼれゼロ法によって進級できなかった子どもが負のレッテルに押しつぶされていったように、大阪の子どもたちを押しつぶすようなことだけは避けなくてはなりません。

3 教育基本条例によって保護者が追い詰められます
 次に小野田先生は、教育基本条例によって保護者が追い詰められるという点を指摘されました。
1つは、教育基本条例案46条で部活動について「校長は、部活動については、教員が授業に最大限注力できるよう、保護者の参加及び協力の下、個々の教員に過度に依存することなく実施できる環境の整備に努めなければならない」と定める一方、5条2項で「保護者は、部活動をはじめとする学校運営に参加する等、主体的に積極的な役割を果たすよう努めなければならない」と定めていることから、部活動指導に保護者がボランティアで参加することを強制されると指摘します。つまり、教師は学力向上対策で忙しくなり、部活動に割く時間がなくなるから保護者でやりなさいというわけです。しかし、平日昼の3時間や土日に、仕事も投げ出して部活動のために時間を割ける親が果たしているのでしょうか。仕事を優先したら、親としての努めを果たしていないということになるのでしょうか。高校生の部活動で生徒が大怪我した場合、その責任はたまたまそのときその場にいた親が取るのでしょうか。
 小野田先生は、保護者に関わるもう1つの問題点は、家庭教育が学校教育遂行のためにあると考えている点だと言われます。
 10条3項は「保護者は、学校教育の前提として、家庭において、児童生徒に対し、生活のために必要な社会常識及び基本的生活習慣を身に付けさせる教育を行わなければならない。」といいます。ここには、家庭教育は学校教育の妨げになってはいけないという考え方が表れていて、子どもがちょっとでも逸脱行動をすると親が学校から責められかねません。しかし、親が子どもに逸脱行動させまいと縛り付けると、子どもは親に反抗し、自分のことを分かってくれないと学校にも反発することでしょう。
 そうなると親と子の対立関係が増し、学校と保護者のトラブルも増えることになるだろうと小野田先生は予測します。ただ、教育基本条例案は、トラブルの対応策を準備しています。いわゆるモンスターペアレンツ排除条項です。10条2項は「保護者は、教育委員会、学校、校長、副校長、教員及び職員に対し、社会通念上不当な態様で要求等をしてはならない。」と定めています。小野田先生は、そもそも排除すること自体が問題だと述べられます。その上で、保護者も最初からモンスターになるわけではないにもかかわらず、「不当な態様」という抗議の「方法」で規制をかけるこの条項は、抗議の内容が正当であっても例えば3回同趣旨の抗議をすれば、この条項で抗議を排除されかねないと危惧されます。

4 強い人しか生き残れないような社会にしてはいけません
 小野田先生は、教育基本条例案の最大の問題は、この条例で小中校生が本当に幸せになるかどうかについて何も語られていないことだと言います。
 この条例案の2条に基本理念が6項目示されていますが、いずれも「人材を育てること」というまとめ方をされています。人材とは、才能があり社会に役立つ人のことを言います。この人材という定義に当てはまらない人は無意味な人間なのでしょうか。学校教育法には「人材」という言葉は出てきません。それは「人材」という言葉には危うい意味があるからこそ使われないのだと言います。
 小野田先生は、最後に、先生の下に寄せられた3通のメールを紹介しながら、子どもたちの学ぶペースを無視して、同じスタートラインから競争させ、結果で子どもたちを比較しながら、「あの子はできるのにどうしてあなたはできないの?」と言われ続けたら、その子の自尊心に深刻な悪影響が出る。逆にできると言われた方も、根拠のないプライドに安住して謙虚さを失い、困ったときに助けてもらえなくなる。そのようなことをどうして想像できないのかと問いかけ、また、過労自殺の話しも絡めながら、強い人しか生き残れないような社会にしてはならないと語られました。

5 こんなはずではなかったと思わないために今やるべきこと
 小野田先生が危惧していることが絵空事ではないことは、イギリスやアメリカの現在が証明してくれています。5年先に「こんなはずではなかった。そんなことは夢にも考えなかった。」と大阪人が後悔して、私たちに「そうなることが分かっていたならどうしてあのとき言ってくれなかったのか」と言いたくなるような事態にしないためにも、最後まで力を尽くして2条例案に反対していきましょう。

 

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