民主法律時報

2011年12月号

2条例案撤回を求める府民集会

弁護士 楠  晋 一

1 集会の様子
 2011年12月7日に、中之島の中央公会堂大ホールで、「憲法と民主主義まもる府民共同の力で『教育基本条例案』と『職員基本条例案』の撤回を求める府民集会」が開催されました。当日は1400人を越える人が参加し、会場には立ち見の人があふれ、用意した資料がすべてなくなってしまうほどの盛況ぶりでした。
 集会も、現役高校生の発言から弁護士、大阪府の現役職員、実際に子供を持つ母親、PTA協議会会長や町会長まで幅広い方の発言や教職員による寸劇など多彩な内容で会場も笑いと熱気に包まれました。
 集会のメインは大阪大学大学院教授の小野田正利先生による教育基本条例案に関する講演でした。先生は、ちょっと奇抜な服装と舞台を所狭しと動き回る型破りな講演スタイルで聴衆の心をがっちりつかみつつ、具体例を織り交ぜて分かりやすく話すことで聴衆をうならせました。

2 落ちこぼれゼロ法施行後のアメリカは大阪の近未来予想図です
 まず、小野田先生は堤未果氏の「社会の真実の見つけかた」(岩波ジュニア新書 2011年)第2章「教育がビジネスになる」の一節を引用し、アメリカでブッシュ(息子)政権が2002年春に導入した「落ちこぼれゼロ法」施行後のアメリカの惨状は2年後、5年後の大阪の予想図であると述べられました。 落ちこぼれゼロ法導入の経緯は教育基本条例案提案の経緯と驚くほど似ています。「アメリカで学力が低下しているのは、公教育が腐っているからだ。公教育が腐っているのは労働組合や州の教育関係者といった特定の利益団体がのさばっているからだ。これからの教育は国が徹底的に管理する。全国一斉学力テストを義務化しその結果で評価する。ノルマが達成できれば補助金アップ。できなければ教師は減給かクビ、ひどい場合は学校をつぶして民営化する。」というものでした。
 その結果、2010年2月にはジョージア州の公立小中学校1857校で行われた学力テストにおいて、約400校から不正答を正答に書き換える不正が行われていたことが判明しました。
 学力テストの不正で辞職したアトランタの教師が残した「どうしようもなかったんです。国の要求するとんでもない学力ノルマを達成するために、学区も教育委員会も教師一人ひとりに圧力をかけてくる。できなければ非難は教師に集中し、給料が減らされたり解雇されたりする。すさまじいプレッシャーです。学力の低い子どもたちを取り巻く環境は変わっていないのに、教師の工夫だけでどうやって点数を上げろと言うんですか?」というセリフを、大阪の先生方が述べる日が来るのかと思うとぞっとします。
 教育基本条例が導入されると、日本の学校に存在する学力以外の多様な物差し、例えば部活動、運動会、文化祭は学力テストの陰に追いやられ、教師も評価につながらないこれらの活動を縮小せざるを得なくなるでしょう。落ちこぼれゼロ法によって進級できなかった子どもが負のレッテルに押しつぶされていったように、大阪の子どもたちを押しつぶすようなことだけは避けなくてはなりません。

3 教育基本条例によって保護者が追い詰められます
 次に小野田先生は、教育基本条例によって保護者が追い詰められるという点を指摘されました。
1つは、教育基本条例案46条で部活動について「校長は、部活動については、教員が授業に最大限注力できるよう、保護者の参加及び協力の下、個々の教員に過度に依存することなく実施できる環境の整備に努めなければならない」と定める一方、5条2項で「保護者は、部活動をはじめとする学校運営に参加する等、主体的に積極的な役割を果たすよう努めなければならない」と定めていることから、部活動指導に保護者がボランティアで参加することを強制されると指摘します。つまり、教師は学力向上対策で忙しくなり、部活動に割く時間がなくなるから保護者でやりなさいというわけです。しかし、平日昼の3時間や土日に、仕事も投げ出して部活動のために時間を割ける親が果たしているのでしょうか。仕事を優先したら、親としての努めを果たしていないということになるのでしょうか。高校生の部活動で生徒が大怪我した場合、その責任はたまたまそのときその場にいた親が取るのでしょうか。
 小野田先生は、保護者に関わるもう1つの問題点は、家庭教育が学校教育遂行のためにあると考えている点だと言われます。
 10条3項は「保護者は、学校教育の前提として、家庭において、児童生徒に対し、生活のために必要な社会常識及び基本的生活習慣を身に付けさせる教育を行わなければならない。」といいます。ここには、家庭教育は学校教育の妨げになってはいけないという考え方が表れていて、子どもがちょっとでも逸脱行動をすると親が学校から責められかねません。しかし、親が子どもに逸脱行動させまいと縛り付けると、子どもは親に反抗し、自分のことを分かってくれないと学校にも反発することでしょう。
 そうなると親と子の対立関係が増し、学校と保護者のトラブルも増えることになるだろうと小野田先生は予測します。ただ、教育基本条例案は、トラブルの対応策を準備しています。いわゆるモンスターペアレンツ排除条項です。10条2項は「保護者は、教育委員会、学校、校長、副校長、教員及び職員に対し、社会通念上不当な態様で要求等をしてはならない。」と定めています。小野田先生は、そもそも排除すること自体が問題だと述べられます。その上で、保護者も最初からモンスターになるわけではないにもかかわらず、「不当な態様」という抗議の「方法」で規制をかけるこの条項は、抗議の内容が正当であっても例えば3回同趣旨の抗議をすれば、この条項で抗議を排除されかねないと危惧されます。

4 強い人しか生き残れないような社会にしてはいけません
 小野田先生は、教育基本条例案の最大の問題は、この条例で小中校生が本当に幸せになるかどうかについて何も語られていないことだと言います。
 この条例案の2条に基本理念が6項目示されていますが、いずれも「人材を育てること」というまとめ方をされています。人材とは、才能があり社会に役立つ人のことを言います。この人材という定義に当てはまらない人は無意味な人間なのでしょうか。学校教育法には「人材」という言葉は出てきません。それは「人材」という言葉には危うい意味があるからこそ使われないのだと言います。
 小野田先生は、最後に、先生の下に寄せられた3通のメールを紹介しながら、子どもたちの学ぶペースを無視して、同じスタートラインから競争させ、結果で子どもたちを比較しながら、「あの子はできるのにどうしてあなたはできないの?」と言われ続けたら、その子の自尊心に深刻な悪影響が出る。逆にできると言われた方も、根拠のないプライドに安住して謙虚さを失い、困ったときに助けてもらえなくなる。そのようなことをどうして想像できないのかと問いかけ、また、過労自殺の話しも絡めながら、強い人しか生き残れないような社会にしてはならないと語られました。

5 こんなはずではなかったと思わないために今やるべきこと
 小野田先生が危惧していることが絵空事ではないことは、イギリスやアメリカの現在が証明してくれています。5年先に「こんなはずではなかった。そんなことは夢にも考えなかった。」と大阪人が後悔して、私たちに「そうなることが分かっていたならどうしてあのとき言ってくれなかったのか」と言いたくなるような事態にしないためにも、最後まで力を尽くして2条例案に反対していきましょう。

 

大阪空襲訴訟1審判決のご報告― 敗訴ですが一定の成果を得ました―

               弁護士 大 前  治

 2011年12月7日、「大阪空襲訴訟」の判決が言渡されました(大阪地裁第17民事部、黒野功久裁判長)。
 この裁判は、66年前の空襲で被害を受けた23名の原告が国に対して謝罪と補償を求めたものです。
 提訴は3年前の12月8日(日米開戦の日)。その後、最終弁論まで法廷は11回開かれました。原告14名と証人(水島朝穂教授、直野章子准教授)の尋問は、2日間の終日をかけて実施されました。
 2011年7月11日の最終弁論の後、判決言渡期日は「12月7日」と指定されました。原告・弁護団は、「日米開戦日の前日を指定するからには、それなりの判決が書かれるべき」という思いで、この日を待ちました。
 判決の概要を以下に報告します。

◆「戦争損害受忍論」は採らない
 ―戦争被害者の放置は平等原則違反となりうる
 最高裁は、「戦争という国家危急の事態においては国民は等しく苦難の受忍を強いられるものであり、戦争被害の救済は現憲法の予定しないところである」という戦争損害受忍論を採用してきました。かつて名古屋大空襲訴訟においても、この考え方により上告を棄却しています(昭和62年6月26日判決、判例時報1262号100頁)。
 しかし、戦争損害受忍論には法律上の根拠は全くなく、戦後補償を終わらせるため政府審議会から出てきた政治的言説にすぎません。そのことを、本件訴訟で証人として出廷した九州大学の直野章子准教授(社会学)は、歴史資料を示しながら証言しました。
 これを受けて大阪地裁判決は、戦争損害受忍論を採らず次のように述べました。
 「戦争被害を受けた者のうち、戦後補償という形式で補償を受けることができた者と、必ずしも戦後補償という形式での補償を受けることができない者が存在する状態が相当期間継続するに至っており、上記の差異が、憲法上の平等原則違反の問題を全く生じさせないと即断することはできない」。
 まわりくどい言い回しですが、要するに戦争被害補償は現憲法の枠外だと切り捨てるのではなく、不合理な差別があれば憲法による救済が可能であると認めているに等しいのです。これまでの同種裁判例と比較すれば画期的といえます。
 ここまで認めるのであれば、旧軍人と民間人との厳然たる格差に目を向けて、平等原則違反が認定されるべきでした。しかし、補償状況に違いがあるが不合理な差別というまでに至っていないという理由で否定されました。あと一歩まで迫ったとはいえ、残念です。

◆防空法制(空襲から逃げられない状況)を認定
 もう一つの成果は、戦時中の防空法制についての事実認定です。判決は、戦時中は都市からの退去を禁止する方針がとられた事実と、原告ら国民が空襲から避難することは困難であったという事実を認定しました。
 これまで存在が知られていた法令(防空法、同法施行規則)は、国民に対して「内務大臣は国民に対して退去を禁止できる」と定めたものです。これだけでは、実際に退去が禁止されたか否かは分かりません。もちろん、社会のすみずみまで戦争協力体制・国家総動員体制が敷かれたことにより、都市から逃げだせない風潮が存在したことは事実ですが、具体的な法規により明確に退去禁止が実施されたか否かは不明のままでした。
 弁護団が調査したところ、真珠湾攻撃の前日である昭和16年12月7日に内務大臣が発した通牒「空襲時ニ於ケル退去及事前避難ニ関スル件」が国立公文書館で発見されました。この通牒は各府県長官および警察署長に対する指示文書であり、「退去ハ一般ニ之ヲ行ハシメザルコト」を指導原則と定め、老幼病者についても退去を抑制し、これに反して退去する者には適宜「統制」を加えよというものです。防空法と同法施行令に続いてこの通牒を発することによって、国民を空襲の下に縛りつける法制度が確立されたことが明らかになりました。
 このほか、GHQに押収されてから日本へ返還された書綴類から多数の防空関係通牒が見つかり、証拠提出しました。早稲田大学の水島朝穂教授が防空法制について証言していただいたことも大きな力となり、詳しい事実認定につながりました。
 さらに判決は、空襲火災時の避難を許さず消火を義務付けた防空法改正や、隣組の組織化、徹底した情報統制(空襲の危険性や被害実態を隠匿したこと)などを事実認定しました。「焼夷弾が落ちてきたら、直ちに防空壕から飛び出して火を消せ」、「そのためには、防空壕は庭先ではなく床下に作った方がよい」という指導がなされたことも、認定されました。こうして本判決は、空襲必至の状況下で国民がおかれた状況を具体的に事実認定した司法史上初の判決となりました。
 ここまで事実認定するならば、「原告らは軍人と同様の危険な状況におかれ、軍人と同様に危険な義務を課された」として、戦後の補償において軍人と差別するのは不合理であると認定すべきでした。しかし判決は、こうした戦時中の体制は原告だけでなく広く国民に影響を与えたのであり、原告らに補償しないことが不合理とはいえないと結論づけました。あと一歩のところまできて、話をすり替えられた印象です。

◆軍人以外も幅広く補償されていることを認定
 このほか判決は、戦傷病者援護法が空襲被災者以外のあらゆる公務員・民間人に対して補償をしている事実を認定しました。法律改正だけでなく、こっそり通達で解釈変更するなどして同法の適用対象は順次拡大されました。そのことを判決は認定しました。
 ここまで認定するならば、「空襲被災者だけが補償を受けず取り残されている、不合理な差別が存在する。」と認定すべきでした。しかし判決は、「軍人を補償することは不合理ではない」という話を唐突に持ち出して、不合理な差別はないと結論づけました。

◆いよいよ控訴審です
 原告らは控訴して、引き続き謝罪と補償を求めていきます。
 控訴審では、1審が認定した事実をより詳細に主張・立証し、さらに救済法を制定しない立法不作為の違法性につなげていく点で、いっそうの努力が必要と考えています。
 皆様方のさらなるご支援をお願いします。 

三洋電機多重偽装請負労災切り事件が和解解決

弁護士 谷  真 介

1 はじめに

 本件は、平成21年11月に、三洋電機の元請負(派遣)社員であるIさん(北河内合同労組組合員)が、三洋電機及び請負(派遣)会社2社の合計3社を被告にして大阪地裁に提訴した事件である。平成23年9~10月にかけて原告本人尋問・証人尋問が行われた後、裁判所(裁判長・中垣内健治裁判官、主任・別所卓郎裁判官)の強い和解勧告の末、裁判上の和解によって解決したので、報告する。

2 事案の概要

 事案は極めて複雑であり、Iさんが三洋電機で就労を開始した時点から順を追って説明する。

(1)デジタルカメラ事業部時代(平成17年12月~平成19年9月)
  Iさんは、設計業務などを専門とする請負会社ヒップ(この会社は被告にしていない)の正社員として契約し、平成17年12月から請負契約という名目で三洋電機大東事業所において事前面接を受けた上で合格し、デジタルカメラのCCD基板の設計業務に従事した。三洋電機とヒップとの間には、三洋電機とリクルートが共同出資した人材派遣管理会社であるリクルートファクトリーパートナーズ(RFP。当時の社名はリクルート三洋ヒューマン)が介在し、二重の請負契約の形であった。
 Iさんを含むRFPを介した派遣・請負社員は、皆RFPの作業着を着て業務を行っており、直接三洋電機の正社員から口頭やメールで指示を受けて作業に従事していた。ヒップやRFPの社員は業務内容の把握すらしておらず、職安法44条に明確に違反する2重の偽装請負状態での就労であった。

(2)テレビ事業部時代①(平成19年10月~平成20年4月)
  平成19年9月、IさんはRFPと三洋電機から、事業所内での部署をデジタルカメラ事業部からテレビ事業部に無理矢理移籍させられた(配置転換)。それと同時に、請負会社もヒップから静岡の請負会社である東和テックへ移籍することとなった。東和テックもRFPを通しての請負契約であり(二重の請負契約)、しかもその際、東和テックとIさんとの契約は「業務委託契約」(いわゆる個人請負契約)とされ、社会保険等も未加入の状態となった。しかし就労時間によって給与計算がなされるなど「業務委託」とは名ばかりで、Iさんは完全に労働者として就労していた。この事案を複雑にしているのは、ここで東和テックとの間で問題となる労働者性の問題に加え、さらに偽装請負(しかも2重)が加わるため、使用者性の問題も生じることであった。
 Iさんは設計業務をすると言われてテレビ事業部に移籍したはずであったが、実際に従事したのは、大型テレビの試験器の部品を運搬して、組み立てて検査、試験をするという仕事であった。部品のうちとりわけ液晶パネルは非常に重く、またパネルの中に手をつっこんで固いコネクターを抜き差しするなど、手や指に常に負担のかかる過酷な仕事であった。仕事の指揮命令は、三洋電機の社員から毎朝のメールや週1回のミーティング、また日々の直接の指導によりなされており、デジタルカメラ時代と変わらず、間にRFPが介在する2重の偽装請負状態であった(しかも、東和テックとIさんとの間の契約が偽装の業務委託であったため、実に3重の偽装状態となったのである)。
 上記の過酷な労働が続く中、平成20年2月、Iさんは手の指に痛みが走り出した。3月になり病院を受診すると、重度の腱鞘炎の疑いと診断されギブスをつけることになった。Iさんは東和テックに報告し仕事を休みたい旨告げたが、東和テックの担当者は「RFPに言っておく」と言うばかりであり、RFPも「三洋電機に報告して指示を仰ぐ」というばかりで、Iさんの訴えは放置された。その後も休業は認められず、Iさんは作業をこなすため、残業や休日出勤さえ強いられた。

(3)テレビ事業部時代②(平成20年4月~6月)
 そのような中、平成20年4月、Iさんを含め、三洋電機社員より、RFP関連の派遣・請負社員は部署の1箇所に移動するように指示された。後に裁判の中でわかったことであるが、このとき大阪労働局が製造部門に立入調査して、三洋電機とRFPに違法な偽装請負について是正指導を行ったため、テレビ事業部における偽装請負の隠蔽をはかったものであった。それだけでは駄目だと思ったのかその1週間後には、Iさんは、ついにこれまで契約関係の間に入ってきたRFPが契約から離脱し、三洋電機と東和テックとの直接契約にすると告げられ、「請負」から「派遣」に切り替えると説明された(裁判でも三洋電機は「派遣」であったと主張して、派遣契約書を提出している)。しかしその後も東和テックとIさんとの間の契約は業務委託契約のままであった。東和テックは三洋電機と労働者派遣契約を締結しながらIさんとは派遣労働契約ではなく業務委託契約を継続するという、全くもって信じがたい契約形態をとっていた(東和テックは団体交渉の際に労災を受け付けない理由として業務委託契約であることを強行に主張し、裁判でもIさんの労働者性を否定し続けた)。
  このころより、無理をして作業に従事させられたことで、Iさんの右手指の状態はさらに悪化し、平成22年6月には手の痛みでほとんど仕事ができない毎日となり医師からついに手術をしなければならないと告げられた。Iさんは三洋電機テレビ事業部の部長に事情を説明し、手術をしたいから休みたい旨を告げると、部長は「仕事投げよった。もうあかんな。」と言って、即座にIさんの派遣契約を中途解除した。
 こうしてIさんは、三洋電機で正社員同様に指揮命令を受けて約2年半働き続けた結果、業務上の怪我として右手指腱鞘炎で手術をしなければならなくなったことを理由に、職場を追われることになったのである。

(4)その後の労災申請、団体交渉
 その後、Iさんは手術を行い、契約解除問題と労災申請を求めて、会社と交渉すべく北河内合同労組に加入し、東和テック、RFP、三洋電機それぞれに団体交渉を申し入れた。しかし、いずれもIさんは自社の労働者ではないという理由で団体交渉を拒否した。東和テックは何と労災保険にすら加入しておらず、それが発覚することを恐れ、形式上の業務委託契約を強行に主張して、事業主証明を拒否した(労災隠し)。平成20年11月、やむなく入江さんは事業主証明のないまま東和テックを管轄する磐田労基署に労災申請をし、労働者性の問題や業務起因性の問題など壁がいくつもあり時間を要したが、約1年後の21年10月に労災支給決定を受け、平成21年11月に提訴に至ったのである。
 なおIさんは、裁判中の平成22年12月には、後遺障害14級の認定を受けた。

3 裁判での請求内容と争点

(1)裁判での請求内容
      裁判において、Iさんは次の3点を請求した。
    ① 三洋電機に対する地位確認と賃金請求
    ② 予備的に三洋電機、RFP及び東和テックに対する契約解除に伴う損害賠償請求(共同不法行為)
    ③ 腱鞘炎の発症に関し、3社に対する共同の安全配慮義務違反に基づく損害賠償請求(後遺障害14級の認定が出された後に損害額をさらに拡張)

(2)争点
    ① 三洋電機とIさんとの間が2重(3重)の偽装請負状態にあったか(三洋電機が入江さんに対して指揮命令を行っていたといえるか)
    ② 偽装請負状態にあったとして三洋電機と入江さんとの間に黙示の労働契約が成立するか
    ③ 2重(3重)の偽装請負、あるいは派遣契約の中途解除に関し、共同不法行為が成立するか(被告らの行為に違法性があるか、入江さんに損害があるか)
    ④ Iさんに発症した腱鞘炎が業務上のものか(業務起因性)
    ⑤ 被告らにIさんの腱鞘炎発症について安全配慮義務違反があるか
    ⑥ 損害額とその範囲(Iさんの治療及び休業の必要性とその期間、素因減額の有無)
  など、多岐にわたっていた。

(3)Iさんの主張と被告らの反論
 ①については、Iさんはメール等大量の証拠を提出し、事前面接の事実や三洋電機による指揮命令や労務管理の事実を詳細に主張し、被告らも概ね事実関係は認めている。ただ被告らは、事前面接は「業務内容の事前の打ち合わせ」であったと社員からの指示や連絡は請負契約上の「調整、すりあわせ」であったなどと評価について苦しい主張を行った。
 ②については、被告は松下PDP最高裁判決を根拠として、一貫して黙示の労働契約の成立を否定した。Iさんは松下PDP事件と異なり、多重請負状態にあった本件は明らかに派遣法違反にとどまらず職安法違反の労働者供給にあたることは争いなく、また事前面接も存在するため、松下PDP事件最高裁判決が示した「特段の事情」が存在すると主張した。証人尋問においても、請負会社である東和テックが何らかの労務管理を行っていたことが明らかとなり(むしろIさんとの間を業務委託にしていた東和テックは、積極的に、労務管理などしていないと断言していた)、十分に「特段の事情」が認められうる事案であった。
 ③については、Iさんは、本件では極めて複雑な形態をあえてとることにより、労基法19条の労災の解雇制限も潜脱し、またその後の解雇権濫用法理の適用も潜脱して本来許されない労災切りを実現し、これにより入江さんの雇用を求める地位(ないし期待権)を侵害したと一定の賃金相当額ないし慰謝料が認められるべきという主張をした。この点については、3重の偽装請負状態にあったこと、東和テックが労災保険にすら加入していなかったこと、派遣契約の更新拒絶ではなく中途解約であったことなど、名古屋地裁で慰謝料請求が認められているパナソニックエコシステムズ事件や三菱電機事件に比べても尚更、違法性が際立っており、不法行為の違法性を満たしていると確信していた。
  ④については、労災認定が出て後遺障害認定が出されているにもかかわらず、被告は、Iさんが従事した業務で過去にIさん以外に腱鞘炎を発症した者はおらず、私病であるとの主張を繰り返した。Iさんの方は労災の認定資料を提出するだけでなく、主治医の意見書を追加で提出するなど、万全の主張立証を行った。
 ⑤については、これもIさんは大量のメール等を提出して、Iさんが手指の痛みや業務の変更について被告らに訴えていたにもかかわらず被告らが何らの対応もとらなかったことについて具体的に主張を行った。被告3社の担当者が出廷した証人尋問では、見事にお互いが責任をなすりつけ合う証言がなされた。東和テックはRFPに改善を要求したと言い、RFPは三洋電機に改善を要求したと言い、三洋電機はそこまで悪いとは聞いていなかったと言い張った。被告担当者らの三者三様の不誠実な証言と、痛みを訴えながら改善されないまま痛みを押して死にものぐるいで働いたIさんの真摯な証言はまさに対照的で、尋問終了後、勝負あったと確信した。

4 裁判上の和解による解決と本裁判の意義

    冒頭にも述べたが、証人尋問が終了した後、裁判所から強い和解勧告がなされた。我々は勝利を確信していたため判決をとるという考えもあったが、平成20年6月にIさんが労災切りされてから既に3年以上経過するなど争議が長期化していたこと、勧告された内容がIさんや弁護団、組合としてもIさんが違法状態で就労させられた中で労災事故に遭い雇用を打ち切られたことの補償として十分なものであると判断できる内容であったことから、和解に応じることとなった(和解内容については秘匿条項が付されているため詳細を述べることはできない)。
 この事件は、労災認定が出される前、全く団体交渉にも応じない中、困り果てたIさんが労働組合の方と私のところに相談にこられたのが最初であった。Iさんは怪我をして働けなくなったにも関わらず、労災もおりず、妻と3人の子、介護を要する父を抱えながら貯蓄は底をつき、車のローンなど借金の返済を迫られるなど、本当に追い詰められていた。Iさんの話を聞いても、法律関係、事実関係ともに複雑すぎて全く把握できず、提訴に至るにも大変な労力と時間を要することとなった。しかし、Iさんが大量のメールを残しておりまたこのような苦境に陥らせた三洋電機らを絶対に許さないという強い気持ちをもっていたこと、労働組合の支援の元で労災認定(後遺障害認定も)を勝ち取ることができたことなど、条件が揃い、何とか提訴にこぎ着け、複雑多岐にわたる争点についての主張、立証を尽くした後に、解決をすることができた。
 本件は、2重の偽装請負に偽装の業務委託が加わりさらに派遣に切り替えるなどといった非常に複雑な契約形態をとり、Iさんに対する雇用責任を曖昧にして、労災の発生で通常解雇制限がかかるはずであるにもかかわらず簡単に解雇を許し、あるいは労災申請さえさせない労災隠しを容易にさせる状態にさせてきた事件であり、派遣・請負といった間接雇用の問題点が全て表れている。このような事案において、組合の支援を背にIさんがおかしいと声を上げ、大企業相手に裁判闘争を構え、問題点を正面から捉えた上での全面解決をすることができたことの意義は大きい。この事件は私が初めて主任として取り組んだ民法協の弁護団事件でもあり、感慨もひとしおである。この闘いの経験や誇りを胸に、今後も非正規労働者の無権利状態を問い正す闘いに取り組みたい。

                                  (弁護団は梅田章二、鎌田幸夫、谷真介、牧亮太)

旧大阪シンフォニカー交響楽団(現大阪交響楽団)事件

弁護士 牧  亮 太

1 事件の概要
 私は、昨年の6月ころから弁護団に加入しました。私が加入してから行ったことは、相手方(大阪シンフォニカー協会)が実質的に団体交渉に応じない状況が続いていること(不誠実団交)についての府労働委員会への不当労働行為救済申立てでした。
 もっとも、このシンフォニカ-事件には、実は、2004年からはじまった組合員への嫌がらせ、2007年の花石さんの降格処分(首席奏者からトゥッティー・一般奏者への降格)という何年もの間続く労使間の争いが背景にあったのです。特に、花石さんの降格事件については、府労委・中労委で花石さんへの降格処分が不当労働行為であると認める救済命令が出ていたにもかかわらず、相手方は東京地裁へ取消訴訟を提訴したという経緯がありました。
 そうしたことから、私が弁護団に加入してからの不当労働行為救済申立は、そうした長年の争いを終結させるという目的がありました。

2 花石さんが長年にわたり被ってきた被害
 相手方(大阪シンフォニカー協会)の不誠実団交や、それに先立つ花石さん降格事件などの不当労働行為の原因は、相手方の代表理事の組合軽視・嫌悪にあります。代表理事は、団体交渉に出席することはなく、いつも権限のない者が団交に出席し、「回答は持ち帰って後日行う」という回答を行うだけという完全に団体交渉が空転した状態が続いていたのです。花石さんの問題も、団体交渉において話し合うことさえできない状態でした。
 長きにわたる労使間の争いが続く中、不当に降格処分を受けた花石さんは、月額8万円の給与減額のみならず、首席奏者としての権限を剥奪され、音楽家としての誇りをも傷つけられ続けたのです。

3 難航した和解案の検討
 府労働委員会では、委員より、早い段階で和解が提案されました。相手方の一連の不当労働行為は明かであったことから、後はどのような条件で和解ができるのか、ということだけが問題でした。
 こちらからは、花石さんの主席への復帰(降格処分前の地位への復帰)とバックペイ、他に組合が団交で求め続けてきた要求(例えば、消耗品の補助等)を提示しました。しかし、相手方から提示されたのは、花石さんの主席への復帰だけでした。
 相手方の態度は固く、最後は、花石さんら組合側が相手方の提案をのむか否かだけとなりました。組合としては、長年にわたる闘いの中で、少しでも成果を獲得して、一緒に闘ってきた組合員や組合員以外の人にも闘いの意義を理解して欲しいという気持ちがありました。他方で、花石さんの地位の回復というどうしても組合が獲得したかった目的が目の前にあるという現実もありました。
 最後は、組合は花石さんの主席への復帰を選びました。この組合の話し合いには、弁護団も参加したのですが、結論を出すための話合いは、府労委での争いよりも深刻なものでした。まさに苦渋の決断で、最後は花石さんの主席復帰という当初の獲得目標を保持することとしたのです。
 私は、本格的に労働委員会への申立事件に参加したのは今回が初めてで、組合の方々が方針を決める過程を見ることができたことは貴重な体験でした。

4 最後に
 私は、花石さんら組合員の演奏を聴かせてもらったことがあります。音楽の全くの素人である私が聴いても感動する素晴らしい演奏でした。音楽家のような芸術を業とするには、大変な努力と才能が必要です。音楽家のような、子供の頃に職業にしたいと思うような仕事(私の場合はプロ野球選手です)は、どれも特別な努力と才能を要するものだと私は思っています。子供の夢となるような職業において不当労働行為が行われ、素晴らしい演奏者が力を発揮できなくなるということは、法律上違法というだけにとどまらず、子供の夢を壊し、大人の文化にも悪影響を与えるものだと思います。それだけに、今回の相手方の対応は許されるものではなく、花石さんの主席復帰という成果を勝ち取ったことは非常に意義のあることでした。
 本事件は、和解ができましたが、相手方の対応を見ると、まだまだ労使関係が円満なものになったとはいえない状況があります。これからも、シンフォニカ組合の方々が自由に演奏できる日が続くことを切に願います。

      (弁護団は梅田章二・小林徹也・今春博・笠原麻央・牧亮太です。)

 

大阪・泉南アスベスト国賠訴訟―上告代理人就任のお礼と今後の闘いについて

                                                                  弁護士 谷  真 介

 大阪・泉南アスベスト国賠訴訟について、今年8月25日の耳を疑うような大阪高裁判決(三浦潤裁判長)から、すでに4か月が経ちました。
 高裁判決は、アスベスト被害に関する国の責任を正面から認めた地裁判決を根底から覆し、未だ病苦に苦しむ被害者を奈落の底に突き落としました。判決内容もまたひどいもので、国の規制権限行使のあり方について、工業製品の製造等によって労働者の生命健康に被害の発生が懸念されても、厳格な許可制とすれば、工業技術の発達と産業社会の発展を著しく阻害し、労働者の職場自体を奪いかねないと言い放ち、憲法で最も尊重されている国民の命と健康と、経済発展とを天秤にかけました。また、被害者らが健康被害を受けたのは、事業者が労働者に防じんマスクを徹底せず、労働者自らも防じんマスクを着用しなかったからだとして、国の責任を全否定しました。泉南の石綿産業の実態や原告らの被害を正視せず、劣悪な環境で必死に働き国の経済発展を下支えしてきた原告らをばっさりと切り捨てたのです。
 勝利を確信していた原告団は、まさかの逆転の敗訴判決に打ちひしがれました。しかし、全国から多数の判決に対する怒りの声、原告団への励ましの声をかけてただき、原告団もこの不当判決に絶対に屈するわけにはいかないと、原告全員で最高裁に上告しました。最高裁には、この判決は全国民が許さない、正当と評価する者は誰一人としていないということを示すため、上告理由書・上告受理申立理由書の提出に併せ、全国の弁護士に上告代理人への就任を依頼したところ、全国で1008名の弁護士に代理人に就任いただくことができました。民法協会員弁護士におかれては、ほとんど全ての方に就任をいただき、この場をお借りしてお礼を申し上げます。11月22日には、弁護団が渾身の思いで作成した上告理由書、上告受理申立理由書を提出し(弁護団のホームページhttp://www.asbestos-osaka1.sakura.ne.jpにアップする予定です)、年明けからは、いよいよ最高裁に対する要請行動も開始します。
 ところで、高裁判決の後、大阪地裁第8民事部において同時並行で進んでいた2陣訴訟(被害者数33名)が10月26日に結審し、判決言渡し期日が来年3月28日午後2時に指定されました。同じ大阪での判決ですので、大阪高裁判決の影響を受けることは必至ですが、逆にそれを乗り越えて勝訴判決が得られれば、不当な大阪高裁を覆したと評価することができます。原告団・弁護団・支援一同、この2陣判決を最重要と捉え、また建設アスベスト訴訟や尼崎クボタ国賠訴訟など来年全国で判決が続くであろうアスベスト被害について国の責任を問う訴訟と一緒になって、不当な高裁判決を絶対に最高裁で覆し、泉南アスベストの全面解決まで戦い抜きたいと決意をしています。どうぞ今後とも、変わらぬご支援をよろしくお願い致します。

平成24年1月21日(土)午後2時30分~ 泉南アスベスト国賠原告を励ます新春の集い 泉南市立樽井公民館
平成24年3月28日(水)午後2時~ 2陣大阪地裁・判決言渡し
                午後3時~ 報告集会(大阪弁護士会館2階ホール)

韓国市民が求める―もうひとつの韓流― 康宗憲氏講演報告

 弁護士 有 村 とく子

1 世界の民主化に学ぶシリーズ第1弾としての学習会
 国際交流委員会では、2011年11月22日、世界の民主化運動に学ぶ企画の第1弾として、康宗憲さんを講師にお招きし、韓国における民主化運動の成果と未来への課題についてお話を聴く集いを持ちました。インターネットのUstreamを通じて実況中継もされました。 

2 軍事独裁政権下で大学生活を送り、国家保安法違反で死刑判決を受ける
 康宗憲さんは、1951年に生まれ、在日韓国人2世として、母国のソウル大学医学部在学中の1975年11月、国家保安法違反の容疑で拘束されました。1977年、最高裁で死刑判決が確定しましたが、1982年無期懲役に減刑となり、1988年に仮釈放され、翌年日本に帰還されました。死刑判決を受け、いつ執行されるかわからない状況で5年間、減刑された後も6年間、通算13年もの間、収監生活を送ってこられた方です。そのなかで持ちこたえられたのは、「この国には未来があると思えたから」とお聞きし、私は強い感銘を受けました。韓国には康さんのような方が厚い層をなして民主化運動を連綿と支えてこられたのだと思います。

3 民主化運動の根底にあるもの-抵抗の歴史とより良い社会を目指す共同体意識
 韓国社会は、日本以上に厳しい格差社会で、サムソンをはじめとする5大財閥が富を集中させているそうです。韓国では、アメリカ政府の支援で1948年に誕生した李承晩(イ・スンマン)政権以降、全斗煥政権が1987年の光州民主化抗争で事実上退くまでのおよそ40年にわたる軍事独裁政権が続いていました。しかし、ファシズムの吹き荒れる中でも、根底に歴史的に形成された民衆の抵抗意識があり、また、「より良い社会、人間らしい世の中」を目指す青年労働者や学生が、命を捧げた仲間の死を決して無駄にしないで、弾圧に屈せず抵抗し続ける、それはものすごいエネルギーです。韓国では抗議の意味での自殺はあるが、基本的にテロはしない、ということも印象的でした。自分一人の安楽や幸せを追求しない、仲間を大切にすること、分裂せず、団結することによって、民主化は可能であるという康宗憲さんのメッセージを多くの人に広めたいと思います。

4 内なる「韓流」に目を向けたい
 「韓流」は、日本では今やひとつの文化的な潮流として定着しつつあるけれど、自分たちの身近な在日韓国人が置かれた問題状況には目が行かない「韓流ブーム」に、康さんは物足りなさを感じるとおっしゃっていました。北朝鮮との関係も、テレビで報道されるのは拉致問題や食糧危機などがクローズアップされ、北朝鮮に対する不信感と敵意が煽られていて、和解や交流が実現するまでには道遠しの状況です。けれども、私たちは日本の視点だけからではなく、冷静で客観的な認識を持つべきではないかという指摘もされていました。これはとても大事なことだと感じました。むき出しの憎悪や排外主義は、我々から「つながり合う力」を失わせるだけなのだと思います。
 物静かな語り口で心に沁みる貴重なお話にひきこまれ、あっという間に時間が過ぎました。皆さんも是非Ustream(http://www.ustream.tv/channel/minpokyo-kokusai)にアクセスしてごらんになってください。
 韓国では、ソウル高等法院が今年10月12日、康宗憲氏に対する再審決定を下したそうです。「司法の民主化」でも、韓国は日本の先を行っていると思います。