民主法律時報

2011年3月号

アストラゼネカ社の責任断罪! 国の不十分な対応指摘!

弁護士 諸 富   健

 

  1. 大阪地方裁判所判決
     2010年2月25日、大阪地方裁判所において、薬害イレッサ西日本訴訟の判決が言い渡され、イレッサに指示・警告上の欠陥があるとして、アストラゼネカ社に対して製造物責任法上の責任を認めました。一方、判決は国の法的責任を否定しましたが、国の行政指導が不十分だったことを指摘しました。
  2. イレッサとは
     肺がん治療薬イレッサは、2002年7月5日、わずか5か月余りのスピード審査で、世界で初めて日本で承認されました。アストラゼネカ社の広告戦略もあって、承認前には副作用の少ない「夢の新薬」として大々的に宣伝され、医師も患者もイレッサの承認を待ち望んでいる状況でした。
     ところが、承認直後からイレッサによる間質性肺炎等の副作用死亡報告が相次ぎ、市販後半年で180人、2年半で557人もの副作用死亡者が生じました。2010年9月末現在で、副作用死亡者数は819人も上っています。
     イレッサの副作用により致死的な間質性肺炎等が生じることについては、承認審査段階で既に分かっていたことでした。ところが、国は、イレッサの副作用報告について十分な検討をせずに、添付文書の重大な副作用欄に間質性肺炎を記載するよう指導するにとどまったのです。その結果、添付文書の重大な副作用欄の4番目、下痢や肝機能障害等の後に間質性肺炎が記載されましたが、致死的であることについて警告欄等に記載されませんでした。
     そのため、現場の医師はイレッサの危険性について十分認識することができず、経口剤という手軽さもあって、2002年8月30日に保険適用されて以降、イレッサは爆発的に使用されるようになりました。その結果、前述のとおり、間質性肺炎等の副作用死亡報告が相次ぎ、同年10月15日、添付文書が改定されて急性肺障害、間質性肺炎についての警告欄が設けられて重大な副作用欄の最初に急性肺障害、間質性肺炎が記載されるとともに、緊急安全性情報が配布されたのです。
  3. 訴訟の経緯
     薬害イレッサによる被害者遺族・患者は、国とアストラゼネカ社を相手として、2004年7月15日に大阪地方裁判所、同年11月25日に東京地方裁判所にそれぞれ提訴しました。そして、6年にもわたる審理を経て、2010年7月30日に大阪地裁で、同年8月25日に東京地裁で、それぞれ結審しました。
     原告・弁護団は、薬害イレッサ事件の早期全面解決を果たすためには裁判上の和解が必要だと考え、2010年11月26日に和解勧告を上申しました。その結果、2011年1月7日、大阪・東京の両裁判所から所見を伴う和解勧告がなされました。所見は、致死的な間質性肺炎について十分な注意喚起を行わなかった国とアストラゼネカ社の責任を明確に認めるもので、原告・弁護団は、この所見を高く評価し、いち早く和解協議に応じることを表明しました。
     ところが、国もアストラゼネカ社も和解勧告の受入れを拒否しました。これは、がん患者の知る権利と医薬品の安全性確保の重要性を否定することにほかなりません。
     しかも、国は、日本医学会の会長に和解勧告に対する見解についての下書き(文案)を手渡していました。その結果、この下書きをベースにした会長名の見解が発表されたのです。さらに、この見解発表と同じ日に、日本肺癌学会、日本臨床腫瘍学会、国立がん研究センター理事長からも類似の見解が出されたのです。産官学の癒着による世論誘導の可能性が高く、許し難い暴挙だと言わざるを得ません。
     そのような経緯を経て、2011年2月25日、大阪地方裁判所で判決が言い渡されました。判決は、イレッサ承認当時、副作用に関する警戒を十分しないまま広く用いられる危険がある一方、イレッサにより致死的な間質性肺炎が発症することの認識可能性があったのであり、少なくともイレッサの間質性肺炎について重大な副作用欄の最初に記載すると共に、致死的な転帰をたどる可能性について警告欄に記載して注意喚起をはかるべきなのに、それがないイレッサには製造物責任法上の指示・警告上の欠陥があるとして、アストラゼネカ社の責任を認めました。
     他方、国の法的責任は否定しましたが、「添付文書の重大な副作用欄に間質性肺炎を記載するよう行政指導をしたにとどまったことは、必ずしも万全な規制権限の行使であったとは言い難い。」と断じ、国についても薬害イレッサ事件の早期全面解決を図る社会的な責任があることを指摘しました。
     間質性肺炎の致死性を警告欄に記載しなかったアストラゼネカ社の責任を認めながら、警告欄への記載を指導しなかった国の責任を否定したのは全く説得力を欠くものであり不当です。しかし、国家賠償法上の違法性について紙一重で免れたとはいえ、不十分な行政指導については指摘されたのですから、国は、判決が提起した課題を真摯に受け止め、速やかに原告との協議の席につくべきです。
  4. 今後の展開
     2011年3月11日、原告・弁護団は控訴しました。それは、判決が国の法的責任を否定したこと、また、アストラゼネカ社の責任についても緊急安全性情報を配布した2002年10月15日以降の法的責任を否定したこと、さらに、原告・弁護団が国とアストラゼネカ社に対して直ちに全面解決のための話し合いの席につくことを求めてきたにもかかわらず、誠意ある対応をとらず真摯な反省を示さなかったこと、以上のことから訴訟を確定させることができないからです。
     同年3月23日には、東京地方裁判所で東日本訴訟の判決があります。国とアストラゼネカ社が薬害イレッサ事件の解決を先延ばしする理由は全くありません。原告・弁護団は、薬害イレッサ事件の早期全面解決に向けて全力を挙げる所存です。みなさまのご支援をよろしくお願い致します。

(2011年3月17日記)

積水ハウス・リクルートスタッフィング業務偽装事件

弁護士 辰 巳  創 史
第1 事案の概要

  1. Aさんの就労実態
     平成10年ころ、Aさんは、派遣会社大手のリクルートスタッフィングに派遣労働者として登録した。
     平成16年12月9日、Aさんは、大手住宅販売会社の積水ハウスのカスタマーズセンターに派遣され、就労を開始した。Aさんが、派遣元リクルートスタッフィングから明示された業務内容は、いわゆる政令指定26業務の5号OA機器オペレーション業務及び8号ファイリング関係業務であった。しかし、Aさんが派遣先積水ハウスで行った実際の業務内容は、顧客からの販売家屋の修理依頼を受付け、その手配をするという電話応対業務と、会議資料の準備、荷物の受取といった一般事務が中心で、正社員の補助といった性格のものであった。
     Aさんは、リクルートスタッフィングから明示された業務内容と、実際に積水ハウスで行っている業務内容が異なるという点については、特に意識することなく、また、政令指定26業務に該当しない一般業務については、派遣可能期間が原則1年以内に制限されていることを知らずに、3ヶ月ごとに契約を更新して、平成20年8月31日まで約3年8ヶ月間同じ職場で同じ業務に従事した。Aさんは、同僚との人間関係もよく、仕事もてきぱきとこなしていたので、上司や同僚からの信頼が厚かった。
  2. 派遣先積水ハウスによる就労拒否
     平成20年4月17日、Aさんは、派遣先積水ハウスカスタマーズセンター所長から、8月31日での期間満了後、3ヶ月待機した後に12月から職場復帰することを打診された。Aさんは、積水ハウスカスタマーズセンターで勤務を継続することを望んでいたので、これを了承した。
     上記の3ヶ月間自宅待機して後の職場復帰については、所長とAさんから派遣元リクルートスタッフィングに伝えていたので、リクルートスタッフィングの担当者もこれを了承していた。
     同年8月31日、派遣期間が満了したが、Aさんは3ヶ月後に職場復帰する約束であったことから、雇用保険の申請もせず、私物もすべて事務所のロッカー等に置いたまま、自宅待機を開始した。
     ところが、待機から1ヶ月あまり経過した10月3日、派遣元リクルートスタッフィングの担当者から「積水ハウスカスタマーズセンターの所長から、Aさんの12月の再契約はしない旨の連絡がありました。」との電話があった。Aさんは、驚いて、翌日所長に電話をかけた。すると、所長は、「派遣社員を3年雇用した後、3ヶ月間休ませて職場復帰させることは今のところ違法ではないが、法の目をかいくぐった問題のある行為であり、本社の人事からこのようなことは止めて欲しいといわれた。」と、再契約をしない理由を淡々と述べた。
     Aさんは、派遣元のリクルートスタッフィングにも電話をかけたが、担当者は、「職場復帰を前提に待っておられたことは申し訳なく思う。近くの仕事があった場合は紹介します。」と言うのみであった。
     結局、Aさんは、職場で良好な関係を築いてきた同僚に挨拶もできず、職場においてあった私物も休日にひっそりと取りに行くという惨めな思いをして、12月からの職場復帰も叶わなかった。
  3. 提訴に至る経緯
     平成20年12月、派遣元リクルートスタッフィング・派遣先積水ハウスの対応に納得できなかったAさんは、当事務所に相談し、地域労組に加入した。
     平成21年1月20日、労働局に是正申告を行ったが、すでに派遣期間が満了しているので、申告としては受け付けられないが、調査をするとの回答であった。
     平成21年2月24日、労働局は、Aさんの業務内容は、電話応対などの一般事務が1割を超えていたとして、リクルートスタッフィング・積水ハウスの労働者派遣法26条1項1号違反、同法39条違反、同法40条の2第1項違反、同法26条7項違反、同法31条違反、及び同法35条の2第1項違反を認定し、両社に労働者の雇用の安定を図ることを前提として違法状態を是正するよう指導を行った。
     さらに、平成21年2月19日及び3月6日に派遣先積水ハウスに対して、同年3月4日及び3月26日に派遣先リクルートスタッフィングに対して団体交渉を申入れたが、両社はこれを拒否した。
     そこで、平成21年3月9日、Aさんは派遣先積水ハウスに地位確認、派遣元リクルートスタッフィングに損害賠償を求めて提訴した。
     また、平成21年6月、地域労組は、積水ハウス・リクルートスタッフィングの団体交渉拒否の不当労働行為救済申立を行った。

第2 大阪府労働委員会の命令

  1. 府労委による不当な命令
     平成22年9月10日、大阪府労働委員会は、団体交渉拒否の不当労働行為救済申立に対し、積水ハウスに対する申立てについては、積水ハウスの使用者性を否定して却下し、リクルートスタッフィングに対する申立てについては、義務的団交事項とはいえず棄却するという不当な命令を行った。
  2. 中央労働委員会への再審査申立
     府労委命令の結論は、派遣労働者に対し、派遣先・派遣元ともに団体交渉ができないとする不当なものであり、平成22年9月28日、地域労組は、中央労働委員会に再審査請求を申し立てた。


第3 大阪地方裁判所第5民事部の判決

  1. 被告積水ハウスに対し金30万円を支払えとの判決
     大阪地裁第5民事部(中村哲裁判長)は、平成23年1月26日、被告積水ハウス株式会社は、原告に対し、金30万円を支払えとの判決を言渡したが、その余の請求は棄却した。
     しかし、以下に述べるとおり、この判決は極めて不当なものである。
  2. 原告と被告積水ハウスとの間の黙示の労働契約の成否
     まず、判決は、原告の業務は、顧客のデータ管理が中心であって、政令5号業務に該当すると認定し、業務偽装を認めなかった(派遣法26条違反を否定)。
     しかし、原告の行っていた業務は、顧客からの修理依頼に対する電話応対が中心であり、顧客のデータ管理などはほとんど行っていなかった。裁判所の認定は被告側証人の証言を一方的に採用し、原告の証言を理由もなく切り捨てた上でなされた不当なものである。また、原告が申告を行ったことを契機に、労働局から被告らに対して是正指導もなされているが、本判決は、裁判所の判断に当たって労働局が行った判断内容に拘束されるものではないとまで言い放ってこれを無視している。
     そして、判決は、派遣法26条違反を否定しておきながら、わざわざ、派遣法26条違反等があったとしても、そのことだけで黙示の労働契約が成立するものではないと述べ、本件事案の下では黙示の労働契約は成立しないと判断した。
  3. 不法行為の成否
     判決は、被告積水ハウスカスタマーズセンター所長が、3ヶ月後の職場復帰を原告に打診したにもかかわらず、一方的に撤回した事実を認定し、原告の復職就労に対する期待を侵害したとして30万円の慰謝料を認めた。
     しかし、原告が求めていたのは、3年8ヶ月にわたって違法派遣をされたことにより、適法な労働者派遣契約関係で仕事をする地位が侵害されたことによる損害の賠償であり、被告リクルートスタッフィングに責任が認められなかったこと及び30万円という金額についても不十分な判決である。
  4. 控訴の提起
     大阪地方裁判所第5民事部による判決は、以上のように不当なものであり、原告は、平成23年2月9日、控訴を提起した。
     これからも皆様のご支援をお願いします。

(弁護団は、村田浩治、辰巳創史、高坂明奈)

戦後史の一大汚点レッド・パージ  -今こそ歴史をただす正義の判決を-

 弁護士 橋 本   敦
  1. 治安維持法の現代版レッド・パージ
    思想・信条の自由は人間の本源的権利と認める世界人権宣言(1948年)があり、そして、それを不可侵の基本的人権と定めている日本国憲法があるのに、わが国戦後史の最大汚点であるレッド・パージなる不法な国家的犯罪は、何故に今日に至るまでの60年、犠牲者の誰一人も名誉回復されなかったのか。戦前の治安維持法による許し難い弾圧、その人権侵害の負の歴史が戦後のレッド・パージに重なる。今こそ、この負の歴史の反省と清算・犠牲者に対する名誉回復が実現されねばならない。

    その正義のたたかいを敢然と立ち上げた神戸地裁でのレッド・パージ裁判は、来る5月26日に判決を迎える。

    その裁判所に意見書を提出された北海道教育大学の明神勲教授は、レッド・パージの不法を次のように論じられている。

    「レッド・パージは、到底日本国憲法の許容するところではなかった。なぜなら、レッド・パージは、外部的・具体的行為ではなく、内心が「アカ」であるという思想・信条そのものを処罰の対象として裁くものであったからである。その点でレッド・パージは、アメリカにおけるマッカーシズムと共通しており、さらに実質的には戦前治安維持法体制下における弾圧の復活に類似するので「戦後における治安維持法体制現象」というべきものであった。

    レッド・パージは、米ソの冷戦体制の進行とこれに伴うアメリカの占領政策の転換(「東洋のスイス日本」から「アジアにおける反共の砦」へ)を背景に、GHQの唱える「自由」、「民主主義」という言葉が「反軍国主義のシンボルから反共主義のそれへと変質」し転換させられた時点で、超憲法的占領権力を背景に、GHQと日本政府及び企業経営者の共同行為として強行されたものであった。」

    また、東京経済大学竹前榮治教授も次のように論述されている。

    「本来、思想・信条の自由は国家権力を持ってしても奪い得ない天賦の人権であり、特定の思想をもつ少数派と言えども解雇されたり社会の中から排除されてはならないのである。共産主義者はもちろん、使用者や上司の気に食わぬという理由だけで、『赤』のレッテルを貼られて便乗解雇された組合活動家、その家族たちは社会から白眼視され犠牲を払わされた。このようなことは二度と繰り返されるべきではあるまい、何人も人の幸福をこのように奪う権利はないのであるから。レッド・パージはまた侵略戦争とも不可分の関係があることも周知の事実である。1928年の『3・15』、1929年の『4・16』の共産党弾圧はのちに200万人の死者を出した『太平洋戦争』へと導き、1949年―1950年のレッド・パージは南北朝鮮人600万人の人的被害を出した朝鮮戦争と深い関連をもち、自由世界を守るためと称したベトナム戦争はベトナム人800万人の被害を出したことを考えると、このことはいくら強調しても強調しすぎることはあるまい」(『戦後労働改革』370頁、東京大学出版会、1982年)

    時は朝鮮戦争の前夜、レッド・パージの嵐が吹き荒れた。

    このようにレッド・パージは、まさしく思想・信条の自由を踏みにじり、戦争への道と時代の反動化をおしすすめたのであって、それは戦前の治安維持法弾圧の現代版と言えるのである。

  2. 今こそ歴史のあやまりをただす正義の判決をもはや90歳を超える老齢の原告ら3名が「生きているうちに名誉回復を」と立ち上げた神戸地裁のレッド・パージ裁判は、2年に近い審理の上、去る2月10日、最終の口頭弁論の日を迎えた。その日の法廷で、佐伯雄三弁護団長(原告代理人)は、「裁判所は憲法に従い人権擁護の司法本来の使命にもとづき、レッド・パージを強行した国の責任を認め、レッド・パージ犠牲者の名誉の回復をすべきであり、今こそ歴史の汚点をただす正義の判決を強く求める。それなくしては、日本の戦後史は終わらないのだ。」と強く裁判所に迫った。

    原告らも今日まで耐えてきた苦難の日々を振り返り、次のように気迫溢れる陳述をした。

    原告安原清次郎(1950.10..25 川崎製鉄解雇)

    「私自身は、ただ言えるのは、思想・信条・結社の自由、この基本的権利を守ってくれと、これだけです。守ってくれなかったから、私こんなになったんですから。」

    原告川崎義啓(1950.10.26 旭硝子解雇)

    「訴えたいことは、まじめに働く人間がまじめに生きていけるだけのちゃんとした秩序をもった社会をつくることが大事や。共産党員だからという理由だけで首にすることはもってのほか。ほかに言いたいことは、食べていけないから補償せよと。」

    原告大橋豊(1950.8.26 神戸中央電報局免職処分)

    「裁判官が一人一人独立して良心に従って、最高裁判決に従えじゃなしに、良心と日本国憲法に基づいて、真実に基づいて判決を頂きたい。3人が生きている間に。」

    今こそ裁判所は、憲法をまもり、司法の正義を具現する最後の人権擁護の砦として、本件レッド・パージ事件について、原告らに対して名誉を回復し、原告らの60年にわたる筆舌に尽くしがたい辛苦に対して、被害賠償を行う歴史的正義の判決を下すことをわれわれは強く要求する。

    そもそもレッド・パージは、わが国戦後史の最大の汚点であり、その犠牲者の人権回復なくして日本の戦後史は終わらない。

    今、特に重視すべきこと、それは、レッド・パージなるものが国民の不可侵の基本的人権を踏みにじる国家の犯罪なのであったと言うことである。

    明神教授も、前記の意見書で、レッド・パージの「国家犯罪」としての歴史的特質を次のとおり明確にされている。

    「思想・信条そのものを処罰の対象とするレッド・パージは、本来、憲法をはじめとする国内法の容認するところではなく、かつ最上位の占領法規範であるポツダム宣言の趣旨にも反するものであったが、占領下においては超憲法的権力であったGHQの督励と示唆により、それを後ろ盾とした日本政府、企業経営者の積極的な推進政策により強行された。レッド・パージという不法な措置を実施するにあたり、GHQ及び日本政府は、事前に裁判所、労働委員会、警察をこのために総動員する体制を整え、被追放者の『法の保護』の手段を全て剥奪した上でこれを強行したのであった。違憲・違法性を十分に認識し、法の正当な手続きを無視したレッド・パージは、『戦後史の汚点』とも呼ぶべき恥ずべき『国家の悪事』であった。」

    日本の司法の名誉にかけて、この「恥ずべき」歴史のあやまちは今こそ正されねばならない。

  3. 新たな歴史をひらく日弁連のレッド・パージ救済勧告本件裁判の提訴に先立つ2008年10月24日、わが国司法の一翼を担う公的団体であり、人権擁護を使命とする日本弁護士連合会は、本件原告らの申立をうけて慎重に審査した結果、原告らに対し、レッド・パージを重大な人権侵害と断じて、これに対する国の責任を認めた。そして、国と関係企業は原告らの名誉と損害回復の救済措置をとるようにとまさに画期的な勧告を行った。それは、レッド・パージは占領軍指令官の指示による超憲法的効力であるとするこれまでの最高裁判決の厚い壁をくずしたのである。この勧告が出たあと、原告大橋豊は、「まさに絶望の50年を経て天の岩戸が開いたようだ」と、その熱い思いをのべている(日弁連「人権ニュース」2009年3月1日号)。60年間の原告らをはじめ、すべてのレッド・パージ犠牲者の苦難の日々を思い、この言葉が身にしみる。

    そして、今、その「天の岩戸」を真に開いて、レッド・パージ犠牲者の人権救済と名誉回復を実現する歴史的課題は、本件裁判にかかっている。

    その点で、日弁連がこの輝かしい正義の勧告を出すにあたって自らの人権擁護の使命を次のように語るその真剣な姿勢と高い気概を、裁判所もくみ取るべきである。

    「当連合会は司法の一翼を担うものとして、人権の最後の砦たる役割を果たさなければならないと考える。さらに、レッド・パージは、憲法で保障された「思想良心の自由」と「結社の自由」という民主主義社会の根幹に関わる問題であり、(中略)どのような政治状況にあったとしても、一人一人の市民の「思想良心の自由」と「結社の自由」は、政治的党派的立場を超え、過去・現在・未来にわたって保障されるべきであることについて、関係者のみならず、広く社会の理解を求めるべく、人権擁護の視点に立って、この勧告に至ったものである。」

    この日弁連勧告に続いて、長崎、仙台、横浜などの各弁護士会でも相次いでレッド・パージ人権救済勧告が出された。それらは、憲法と国民の人権を守るわが国の歴史を今、大きく前へと進めたのである。

    今こそ、裁判所がレッド・パージを厳しく断罪し、わが国司法がになう人権擁護の使命を果たす時が来たと言えよう。

  4. レッド・パージを容認した最高裁決定の重大な誤りそのためには、これまでのすべてのレッド・パージ裁判を敗訴させたおおもととなった最高裁判所の1952年の共同通信事件と1960年の中外製薬事件の二つの大法廷決定は、今こそ否定されるべきである。この不当な最高裁決定については、すでに学界から厳しい批判がなされていた。本多淳亮大阪市立大学教授も、「思想・信条の自由と解雇」と題する論文で次のように厳しく批判されている。

    「思想・信条の自由は現代社会における人間存在の基底を形作るものである。重要な人権主体として人間の尊厳が保障されるためには、何をさておいてもまず確保されねばならない根源的な自由という性格を持つものである。思想・信条の自由の欠けているところでは必ず人権が蹂躙されることは否定できない。最高裁判決を初め日本の裁判はどうであったか。いやしくも裁判所が事件を扱う限り、厳密かつ明確に法的根拠を示さなければレッド・パージを肯認できないはずである。にもかかわらず最高裁判決を初め、下級裁判所の多くの裁判例は、あいまいな法的根拠のもとに解雇有効の結論を下した。この態度は占領軍当局の巨大な魔手におびえて自ら司法権の不羈独立を放棄した、と言われても仕方があるまい。」(『季刊労働法』別冊1号、124頁、1977年)

    また、明神教授も、その意見書で次のように厳しく二つの最高裁決定を批判されている。

    「公共的報道機関のレッド・パージについては、既に占領下に、共同通信社事件に対する最高裁決定(1950年4月2日)が、マッカーサー書簡の効力は公的報道機関にも及ぶと判示したことによって判例として確立していた感があった。残る問題は「その他の重要産業」に対する効力についてであったが、独立後にはこれを否定して国内法を適用し、レッド・パージ無効判決をくだす下級審判例が増加する傾向が強まった。しかし、「顕著な事実」論をもとに「その他の重要産業」にも及ぶと判示した中外製薬事件に対する1960年の最高裁決定を契機に、これを踏襲する下級判例が続出し、有効説が圧倒的多数となり判例の傾向は完全に逆転した。

    最高裁は二度にわたる決定によって数万人のレッド・パージ被追放者たちの法的救済を完全に断ち切り「職場からの追放」を合理化し、さらに彼らを「法の保護」という世界からも追放したのである。」

    以上で明らかなとおり、最高裁判所までもが占領軍当局の「巨大な魔手におびえて」自ら司法権の独立を放棄し、レッド・パージを容認して、被害者に重大な権利侵害を押しつけたのである。

    このような二つの最高裁大法廷の決定は、正当な規範的価値は無いものとして否定されねばならない。

    ここで注目すべき重大な問題は、本件裁判の審理で、この二つの最高裁大法廷決定が論拠としている「連合国最高指令官の解釈指示」なるものが存在しなかったことが、明神教授のGS(占領軍民政局)文書による検証の結果明らかになったことである。

    この文書にもとづく同教授の証言によれば、「問題となったのは、1950年8月7日のホイットニー・田中(最高裁長官)会談であったが、そこでホイットニーから言われたのは、最高指令官が出したのはレッド・パージの単なる助言あるいは、示唆にすぎないものであって、『指示』ではない。最高裁決定が判示しているような最高指令官の『解釈指示』はなかった。」のである。

    こうして、最高裁決定の根拠は崩れ去ったのである。

  5. レッド・パージの下手人になり下がった最高裁判所何故に最高裁は、このように人権擁護の正義の旗を投げ捨てたのか。レッド・パージの救済を拒否する不当な最高裁決定の背後には何があったのか。この事実を明らかににする上で、日弁連の最高裁判所に対する裁判所職員のレッド・パージ人権救済勧告(2010年8月31日)は、極めて重要である。

    最高裁判所はレッド・パージ事件について、占領権力に迎合して不当な判決をしただけではなかったのである。それどころか、自らも裁判所職員に対して不当なレッド・パージを強行したその下手人だったのである。

    この日弁連の勧告は、レッド・パージを受けた裁判所職員加藤栄一氏(元東京地方裁判所書記官補)の申立をうけて次のように最高裁判所の重大な責任を厳しく指摘した。

    「最高裁判所を頂点とする司法裁判所は、日本国憲法に基づき、法の支配の担い手として政治部門の権力濫用を防止し、一人ひとりの個人の人権を保障することこそが期待されるのである。(中略)

    最高裁は、裁判所職員に対する本件免職処分、すなわちレッド・パージにより、申立人の思想・信条の自由や結社の自由を侵害し、同人を処遇上差別したものといわねばならず、法の支配の担い手としてのその職責に照らし、その責任は極めて重い。(中略)

    占領下といえども、最高裁が毅然とした態度をとり、GHQの指示・命令に従わなければ、少なくとも、申立人が本件免職処分を受けることはなかったと思料される。(中略)

    仮に、最高裁がGHQ乃至連合国最高指令官の指示・命令に従いやむを得ず本件免職処分を行ったのだということが認められたとしても、平和条約が発効して占領が終了し主権回復に至った以後は、自主的にかかる処分を取り消すなどして申立人の地位と名誉の回復措置をとることは十分に可能であったし、行うべきであったといわねばならない。

    したがって、これを放置し、現在に至るまで何らの人権回復措置を行っていない最高裁の責任は極めて重いと言わざるを得ない。」

    これこそ、まさに、人権擁護と法の正義の実現に責任を担う日弁連の歴史的勧告である。なんと、自らの職員をレッド・パージしていた最高裁判所、その最高裁がレッド・パージ裁判でレッド・パージによる解雇を無効とする正義の判決をすることなどあり得る筈はなかったことが今日明らかとなったのである。

  6. 今究明すべきは、レッド・パージの国の責任戦後史におけるレッド・パージの一連の経過とその社会的状況を見るならば、それはGHQと政府、大企業、そして、最高裁までもが互いに意を通じ、協力し合ってあたかも「共同正犯」のように遂行したという歴史的社会的事実が明確なのである。レッド・パージについてのこのような認識に基づく国の責任の法的解明と追及こそが、今日のレッド・パージ反対闘争に新たな展望をひらくもので、極めて重要である。

    明神教授がその意見書で、次のようにこの日本政府の重大な責任を論述されているのは、まさに歴史の事実にもとづく正論である。

    「(一) 1950年6月6日マッカーサー書簡による共産党中央委員の追放、同年6月7日付マッカーサー書簡による「アカハタ」編集委員の追放および同年8月30日付マッカーサー書簡による全労連幹部の追放は、GHQの指令に基づくものでGHQの責任に属する。

    (二) それ以外の、1949年から1950年のレッド・パージは、GHQ、日本政府、裁判所、地労委および企業経営者の密接な協力と共同によって実施されたもので、GHQ、日本政府・裁判所、地労委および企業経営者は、それに対して「共同責任」を負うべきである。」

    さらに、前述の日弁連勧告書も次のとおり積極的にレッド・パージをすすめた国の責任を明確に指摘していることが重要である。

    「申立人大橋は国家公務員であり、日本政府はその人権侵害行為に対し直接責任を負っている。同時に、民間企業に勤めていた申立人川崎義啓及び同安原清次郎らに対する解雇についても、上記各会社等が自主的判断の形をとりながら実施したものではあったが、それらは連合国最高指令官マッカーサーの指示等に基づき、日本政府が支援したものであるから、日本政府にも責任がある。

    よって、当連合会は、国に対し、申立人らが既に高齢であることを鑑みて、可及的速やかに、申立人の被った被害の回復のために、名誉回復や補償を含めた適切な措置を講ずるよう勧告する。」

    このように、レッド・パージはまさしく国家の犯罪なのであった。

    レッド・パージという不法な人権侵害の暴挙について、GHQや関係企業、さらには裁判所とともに「共同正犯」である国の責任は、レッド・パージの歴史的事実に照らして、逃れようもない。

    本件レ・パ訴訟は、この国の責任追及という視点から国を被告として、レ・パ被害者の名誉回復と損害補償を求めるもので、従来の雇用主・経営者に対するレ・パ解雇無効の裁判とは根本的に異なる。新たな重大なたたかいである。

  7. 痛恨の歴史から正義の生きる明日の歴史へ今、世界の流れを見ても、スペインでは、フランコ独裁政権下の犠牲者を救済する「歴史の記憶に関する法律」、イタリアでは「犠牲者への年金補償法」、ドイツでは、ナチスによる弾圧に対し「包括的名誉回復法」が制定されるなど、今日では、過去の歴史の人権弾圧に対する名誉回復が進んでいる。反共マッカーシズムが荒れ狂った国アメリカでも、「赤狩り」の思想差別は違憲であるとする連邦最高裁判所の判決が出されるに至り、『世界週報』(1957年7月6日号)は、「マッカーサーシズムも臨終へ・米最高裁判所は、三つの重要な判決を下し、一つの主義(反共主義)に『墓標』をたてた」と書いた。

    明神教授もその意見書で、「過去に誠実に向き合うことにより、過去の誤りを見直し、その克服をめざす動向は世界における大きな潮流となっている。」と述べているとおりである。

    歴史は今、過去の不正不義を乗り越えて、正義の実現に向かって間違いなく進んでいるのである。

    まさに今や、日本の司法もゆるぎない正義を示す時ではないか。

    レッド・パージについて、法の支配がないがしろにされ、法の保護の枠外に置かれた反憲法的処置が是正されないはずはないと確信する。

    すべての裁判が全部敗訴とされたこれまでのレッド・パージ裁判の痛恨の歴史に、今こそ終止符を打って、歴史の正義とわが憲法が生きる画期的な判決が下される5月26日を迎えたい。

    皆さんの熱いご支援を心からお願いしてやまない。