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トキワ工業日野博さん事件 勝利和解―原職復帰へ
大阪芸術大学・組合掲示板無断撤去事件に救済命令


トキワ工業日野博さん事件 勝利和解―原職復帰へ
弁護士 横 山 精 一

  1. はじめに
     2007年4月10日、大阪高等裁判所第14民事部(井垣敏生裁判長)において、日野博さんと(株)トキワ工業の間で、和解が成立しました。
     和解の内容は、@日野さんを従来の営業職に復帰させる、A未払の所長手当及び一時金を支払う、B慰謝料を支払う、というものでした。日野さんが2002年11月5日に解雇通告を受けてから4年7か月後の全面解決でした。
     以下、この事件の概要及び解決にむけた活動について報告します。

  2. 事件の概要
     日野さんは2000年4月に(株)トキワ工業に入社し、2001年4月には、大阪営業所長に昇格するなど、順調に仕事をこなしていました。ところが、2002年11月、会社は、何の理由も告げず、日野さんに対し解雇を通告しました。日野さんが西区地域労働組合に加盟したところ、会社は、すぐに解雇を撤回しました。
     しかし、会社は、日野さんが労働組合に加入したことを嫌悪して、2003年5月より所長手当を支給しなくなり、同年夏以降一時金の支給も行いませんでした。同年11月から12月に行われた営業会議で日野さんを、長時間にわたり、つるし上げにしました。更に、日野さんを閑職である特販部へ配転しました。
     組合は、これらの問題について、団体交渉を申し込みましたが、会社は一度も団体交渉に応じることはありませんでした。

  3. 労働委員会での闘い
     以上の会社の行動は、日野さんが労働組合に加盟したことを嫌悪した不当労働行為であることが明らかでした。そこで、組合は、2003年11月、大阪府労働委員会に救済申し立てを行いました。
     2005年8月10日、大阪府労委は、組合勝利の救済命令を出しました。
     これに対して、会社は、中労委に再審査請求を行いましたが、勝つ見込みがないものと思ったのか、これを取り下げ、府労委命令は確定しました。
     この労働委員会の闘いについて、会社は、弁護士を代理人として依頼しましたが、労働組合は、弁護士に依頼することはせず、自分たちで闘いを組み立てました。
     本訴の段階で、私たちは、労働委員会での審問速記録や資料を検討しました。労働組合は、弁護士の仕事と比べても、決して劣らない、資料の作成や尋問を行い、これが、勝利命令に大いに貢献しました。
     私たち弁護団は、本訴の段階でこの闘いに参加したのですが、後述の通り、この労働委員会での闘いが重要な役割を果たしました。

  4. 裁判所での闘い
     労働委員会での闘いと並行し、2005年5月、日野さん個人として大阪地方裁判所に、本訴を提起しました。この本訴を提起するきっかけは、所長手当の時効を止めることにありました。所長手当の支給がされなくなってから既に2年が経過しようとしていました。給料の消滅時効は2年ですので、これが経過する前に時効を中断させておきたい。このような技術的な目的が、提訴のきっかけでした。
     しかし、提訴する以上、所長手当や一時金の支給を求めることは当然として、解雇処分、営業会議でのつるし上げ、特販部への不当配転などの不法行為に対しても、損害賠償請求を行うことにしました。
     本訴では、昇給、一時金支給での差別を明らかにするため、同僚の賃金台帳の提出が不可欠でしたが、会社側は、合理的な理由を示すこともなく、その提出を拒否しました。その為、文書提出命令を申立、裁判所も提出命令を出しました。
     本訴での闘いの特徴は、証人尋問をすることなく判決が下されたことでした。
     判決は、2006年10月6日に下されました。提訴後1年半ですので、決して早い進行とは言えません。しかし、賃金台帳の提出問題で半年以上が経過しましたので、その点を考慮すれば、異例の早期判決でした。裁判所は、労働委員会での資料、審問速記録をもとにして、事実認定を行いました。
     判決の内容は、労働委員会の命令に沿うものでしたが、二つの点で労働委員会を超えるものでした。
     第一に、特販部への配転を違法であると断罪したことです。この点は、労働委員会命令では認められなかった点でした。控訴審での和解での重要な武器となりました。
     第二に、慰謝料として110万円(内10万円は弁護士費用)が認められた点です。
     この間の様々な不当労働行為に対して、裁判所が明確な判断を下したことになります。
     この一審判決を武器として、控訴審では、前述の通り、勝利的な和解を勝ちとることができました。とりわけ、会社が不当配転を撤回し、日野さんを従来の営業職に戻したことは、大きな成果でした。労働組合としては、一審判決で配転が無効であることが認められたことを最大限利用して、日野さんを元の仕事に戻すことを主張しました。そして、判決での道理と組合の運動の力で、日野さんを原職に復帰させることができました。日野さんが配転された特販部は売上のほとんどない閑職でした。将来的には整理の対象となることは目に見えていました。この部門が閉鎖されれば唯一の担当者である日野さんが整理の対象となる可能性もありました。また、やりがいのない職場にいることほど、労働者にとって、苦痛なことはありません。そのような嫌がらせを許さないという意味でも、原職復帰は大きな意義を持っていました。

  5. おわりに
     本年6月22日、国労会館に於いて、日野さんの勝利集会がもたれました。多くの地域労組や大阪争議団共闘の仲間の皆さんが参加されました。日野さんも、当日、北陸での営業の出張から戻り、元気な姿を見せていました。彼は、事件解決後も、大阪争議団共闘の仲間の事件の傍聴に参加するなど、地域労組と争議団の中で活躍しています。
    今後とも、日野博さんが活躍されることを期待します。
     
(弁護団は、峯田和子弁護士と横山でした。)

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大阪芸術大学・組合掲示板無断撤去事件に救済命令
弁護士 愛 須 勝 也

  1. 事案の概要 
     学校法人塚本学院(学院)は、大阪芸術大学、大阪芸術大学短期大学部等を設置する学校法人であるが、大阪私学教職員組合(大私教)の大阪芸術大学分会(芸大分会)との間で、1976年以来の長きにわたり組合掲示板設置にかかる労働協約(本件協約)を締結していたにもかかわらず、これを無視して、一方的に組合掲示板を撤去したうえ、学院が適当と認める場所(講師控室内)に移動してしまうという極めて悪質な不当労働行為を行った。
     これに対して、大阪府労働委員会は、2007年6月12日、不当労働行為と認定して、救済命令を発した。
     本件に先だって、芸大労使間では、2003年4月、労働組合活動への敵意の下に、その活動の禁圧を企図して、組合三役全員を通信教育部や短大部へと不当に配転するという乱暴な不当労働行為を行い、2007年3月2日にも、救済命令が出されている。
     本件事件は、先行する不当労働行為事件が府労委で審理中にもかかわらず、さらに強行されたものであり、学院の不当労働行為の体質は際だっていた。

  2. 組合掲示板設置に関する労働協約
     もともと、分会と学院の間で1976年3月に締結された「協定書」では、「組合事務所、ビラ貼付場所について」の合意が成立していた。これは当時、学生運動も高揚していて、学生のビラと教職員組合のビラが窓に貼られ、それを学院がはがすなどの実力行使をしたため紛争が生じ、地労委(当時)でビラの貼付場所について組合掲示板を設置するという形で和解が成立したものであった。短大でも、協定書に先立って組合事務所、掲示板が存在していたので、これを追認する形で協定書の中に盛り込まれていた。その後、掲示板は、芸大、短大ともに通路に設置され、従来、協定に基づきビラ貼付場所として、芸大に3箇所、短大で2箇所が確保されていた。

  3. 掲示板の無断撤去・移動
     2005年3月、学院は、芸大の組合掲示板について、学内改装という理由で一方的に撤去した。学院は、その後に予定されていた団体交渉で意見を聞くとしながら、直前に要求書を提出してきたなどの難癖をつけて団交を一方的に拒否し、分会の意見を全く聞かないまま、一方的に講師控室内部に掲示板を移動した。同じく、同年5月、学院は、短大部の掲示板を、分会に無断で、同じく講師控室内に移動した。
     学院が行ったこれらの行為は、組合掲示板という組合活動の根幹にかかわる重要事項について、労働組合との協議も行わず、労働協約を一方的に無視して行われたものであり、労働組合活動への不当な介入を図る暴挙として不当労働行為であることは明らかであった。
     分会は、学院に対して、再三にわたり団体交渉を申し入れたが、学院は団交では、すでに移転したので元には戻せないとオウム返しするだけで話し合いに応じなかった。

  4. 労働協約は破棄したとの奇妙な主張
     ところで、学院は、府労委への申立後、突如として、「労働協約の一方的破棄を行ったから、労働組合法第15条3項により、通告後90日を経過することで労働協約の効力はなくなった」とあきれた主張するに至った。確かに、学院は、平成17年1月、校舎の工事期間中の一時的な申入れを行い、分会も工事期間中に限って一時移転することは受け入れていたが、労働協約の破棄などという主張は一切なされなかった。形式的に行われた団交でも、「労働協約は破棄できる」という話題を持ち出しつつ、移転に同意してほしいの一点張りだったのであり、労働協約を破棄していないことは明らかであった。
     学院が、ここまで組合掲示板を講師控室内に移動することにこだわった理由は、組合敵視、嫌悪にあることは、芸大事務局長の審問でも明らかであった。事務局長は、「大学経営がたいへんな状況むかえる中、大学の表玄関に大学を批判する内容の組合掲示板を置くのはふさわしくない、組合掲示板というのは教職員対象であるから、講師控室内に設置するのがふさわしい」という判断で、労働協約を一方的に破棄(したつもり)して掲示板を移動したということを「堂々と」証言したのである。学院には労働組合敵視、嫌悪の姿勢が染みこんでいることは明らかであった。なお、このような態度は、府労委の和解の席上でも示された。学院は組合掲示板の設置場所として、大学のメインストリートから遠く離れて教職員も学生もほとんど通行しないような場所を提案してきた。組合側もあきれかえって和解協議が即刻打ち切りになったのは言うまでもない。

  5.  学院は、府労委で相次いで不当労働行為を認定されたにもかかわらず、まだ懲りていない。不当配転した教員らを現職復帰させることもなく、掲示板を元の場所に戻すこともなく、救済命令に対しても、いずれも大阪地裁に取消訴訟を提起するに至っている。組合(大私教)は補助参加して大阪地裁で審理が係属している。
(弁護団は、戸谷茂樹、大前治、佐藤真奈美と私)
 
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