- 事案の概要
学校法人塚本学院(学院)は、大阪芸術大学、大阪芸術大学短期大学部等を設置する学校法人であるが、大阪私学教職員組合(大私教)の大阪芸術大学分会(芸大分会)との間で、1976年以来の長きにわたり組合掲示板設置にかかる労働協約(本件協約)を締結していたにもかかわらず、これを無視して、一方的に組合掲示板を撤去したうえ、学院が適当と認める場所(講師控室内)に移動してしまうという極めて悪質な不当労働行為を行った。
これに対して、大阪府労働委員会は、2007年6月12日、不当労働行為と認定して、救済命令を発した。
本件に先だって、芸大労使間では、2003年4月、労働組合活動への敵意の下に、その活動の禁圧を企図して、組合三役全員を通信教育部や短大部へと不当に配転するという乱暴な不当労働行為を行い、2007年3月2日にも、救済命令が出されている。
本件事件は、先行する不当労働行為事件が府労委で審理中にもかかわらず、さらに強行されたものであり、学院の不当労働行為の体質は際だっていた。
- 組合掲示板設置に関する労働協約
もともと、分会と学院の間で1976年3月に締結された「協定書」では、「組合事務所、ビラ貼付場所について」の合意が成立していた。これは当時、学生運動も高揚していて、学生のビラと教職員組合のビラが窓に貼られ、それを学院がはがすなどの実力行使をしたため紛争が生じ、地労委(当時)でビラの貼付場所について組合掲示板を設置するという形で和解が成立したものであった。短大でも、協定書に先立って組合事務所、掲示板が存在していたので、これを追認する形で協定書の中に盛り込まれていた。その後、掲示板は、芸大、短大ともに通路に設置され、従来、協定に基づきビラ貼付場所として、芸大に3箇所、短大で2箇所が確保されていた。
- 掲示板の無断撤去・移動
2005年3月、学院は、芸大の組合掲示板について、学内改装という理由で一方的に撤去した。学院は、その後に予定されていた団体交渉で意見を聞くとしながら、直前に要求書を提出してきたなどの難癖をつけて団交を一方的に拒否し、分会の意見を全く聞かないまま、一方的に講師控室内部に掲示板を移動した。同じく、同年5月、学院は、短大部の掲示板を、分会に無断で、同じく講師控室内に移動した。
学院が行ったこれらの行為は、組合掲示板という組合活動の根幹にかかわる重要事項について、労働組合との協議も行わず、労働協約を一方的に無視して行われたものであり、労働組合活動への不当な介入を図る暴挙として不当労働行為であることは明らかであった。
分会は、学院に対して、再三にわたり団体交渉を申し入れたが、学院は団交では、すでに移転したので元には戻せないとオウム返しするだけで話し合いに応じなかった。
- 労働協約は破棄したとの奇妙な主張
ところで、学院は、府労委への申立後、突如として、「労働協約の一方的破棄を行ったから、労働組合法第15条3項により、通告後90日を経過することで労働協約の効力はなくなった」とあきれた主張するに至った。確かに、学院は、平成17年1月、校舎の工事期間中の一時的な申入れを行い、分会も工事期間中に限って一時移転することは受け入れていたが、労働協約の破棄などという主張は一切なされなかった。形式的に行われた団交でも、「労働協約は破棄できる」という話題を持ち出しつつ、移転に同意してほしいの一点張りだったのであり、労働協約を破棄していないことは明らかであった。
学院が、ここまで組合掲示板を講師控室内に移動することにこだわった理由は、組合敵視、嫌悪にあることは、芸大事務局長の審問でも明らかであった。事務局長は、「大学経営がたいへんな状況むかえる中、大学の表玄関に大学を批判する内容の組合掲示板を置くのはふさわしくない、組合掲示板というのは教職員対象であるから、講師控室内に設置するのがふさわしい」という判断で、労働協約を一方的に破棄(したつもり)して掲示板を移動したということを「堂々と」証言したのである。学院には労働組合敵視、嫌悪の姿勢が染みこんでいることは明らかであった。なお、このような態度は、府労委の和解の席上でも示された。学院は組合掲示板の設置場所として、大学のメインストリートから遠く離れて教職員も学生もほとんど通行しないような場所を提案してきた。組合側もあきれかえって和解協議が即刻打ち切りになったのは言うまでもない。
- 学院は、府労委で相次いで不当労働行為を認定されたにもかかわらず、まだ懲りていない。不当配転した教員らを現職復帰させることもなく、掲示板を元の場所に戻すこともなく、救済命令に対しても、いずれも大阪地裁に取消訴訟を提起するに至っている。組合(大私教)は補助参加して大阪地裁で審理が係属している。
- (弁護団は、戸谷茂樹、大前治、佐藤真奈美と私)
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