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| 派遣社員の逆襲―財団法人 高輝度光科学研究センター違法派遣問題 |
| 西播ユニオン 北 村 精 朗 |
- 事件発生にいたるまでの経緯
私が派遣社員として財団法人高輝度光科学研究センターに勤め始めたのは1997年10月のことでした。仕事ぶりが認められたのか、すぐに正職員が行うような仕事も任されるようになり、いつしか幾つかの業務の主担当者のようになっていきました。
こうなると気になってくるのは正職員との待遇の格差です。当時の私の時給は1650円で、決して安過ぎるとは思いませんでしたが、それでも同じ職場の正職員との年収の差は300万位あったのではと思います。せめて時給を上げてもらおうと、派遣会社相手に100円、200円と賃上げ交渉を積み重ねていきました。最初に配属された総務課での3年半余りで、当初は派遣料金の50%もあった会社の取り分を20%近くにまで圧縮でき、そのおかげで高いモチベーションを保って働くことが出来ました。この時点で正職員との年収差は100万円程と思われ、依然として開きはありましたが、何とか気にならない程度になってきました。
4年目に、派遣会社ではなく総務課長と総務部長から直々に、厚生課に異動して欲しいと言われました。それなら直接雇用するのが派遣法の趣旨だと思いましたが、それは無理との回答でした。受け入れなければ契約を終了するとのことで、やむを得ず承諾しました。
厚生課では一人しかいない正職員の後を任され、年間2億程の予算執行を担当しました。外国人研究者の住宅の世話等もする必要から、苦手な英会話を磨いてコミュニケーションが取れるようがんばりました。
- 発端は労働条件の不利益変更
財団の主な財源は元をたどれば税金ですので、ここ2〜3年経費節減が強調されていたのですが、あろうことか平成16年度から派遣料金も、業務内容や年齢、家族構成等とは無関係に一定額に切り下げられることになってしまいました。
私の単価はその額と比べると高かったようで、これでは派遣会社の取り分がいくら少なくても、現所得の3割〜4割減、いわば「ふりだしに戻る」ことになってしまいます。不安になり人事課長に相談に行ったところ、派遣労働者で色々な責任を担ってもらっていることが問題で、今後は「業務協力員」という別の就業形態で働いてもらうことを考えている、とのことでした。それを聞いてちょっと安心したのを覚えています。
しかし、提示された報酬は仕事が同じなのに2割もの減収になるというもので、他に特筆すべきメリットもなく、納得できませんでした。何度か交渉を持ちましたが4月になってしまったため、1割強の収入減というところで、手を打たざるをえませんでした。ところが、それで終わりではありませんでした。今度は派遣会社が業務協力員の契約内容が法律的に問題があり契約できないと言い出しました。しかし、もう4月半ばを過ぎており、とりあえずこれまでと違った形での派遣契約(月俸制)でしのぎたい、とのことです。意外な事態の展開についていけませんでしたし、そんな事で問題がクリアできるのかとも思いましたが、契約が継続できるよう財団に申し入れていくとの説明があったので、とりあえず7月までの派遣労働契約を結びました。
これでようやく落ち着いたと思った5月下旬になって、派遣会社から、実は財団とは提案したような契約ができておらず、これまでと同じ形(ただし単価は2割ほど減)での契約になっており、契約更新もないだろうとの説明がありました。派遣会社にも腹が立ちましたが、この時点では財団は私をどこか別の会社を通して雇い入れてくれる積りで、そのための派遣契約終了なのかも知れない、とどこか楽観的に考えていました。
しかしその期待は見事に裏切られ、料金の折り合いがつかないため6月末で契約は終了、クビだと宣告されました。財団を信頼してきただけにショックでした。働き続けさせて欲しいとお願いしましたが、派遣社員が人事にそのような願いを持ってくること自体筋違いで、今後のことは派遣会社と相談して欲しい、時間が足りないようであれば少しは猶予してもよいが、これは解雇ではなく契約の解消に過ぎない、と言われ、私は交渉する立場にすらないのだ、ということを思い知らされ、呆然としました。
- 一筋の光明
こんな仕打ちが許されるのでしょうか?黙って従うしかないのでしょうか?生活への心配もあります。人としての尊厳も傷つけられた思いがしました。何とかしたい、悔いのないようできる限りのことをしたい、と思いました。そして、愛読している聖書の一節に次のような言葉があったことを思い出しました。進退窮まった状況に追い込まれた人への助言です。 我が子よ、…このように行動して自分を救い出せ。あなたは仲間の者の掌中に陥ったからである。…行って、自分を低くし、その仲間の者にあらしのように懇願を浴びせよ。自分の目に眠りを与えるな。また、自分の輝く目にまどろみを与えるな。手から逃れるガゼルのように、鳥を捕る者の手から逃れる鳥のように自分を救い出せ。(箴言 6‥1―5)
「懇願」は残念ながら功を奏しませんでしたが、速やかに窮地から脱出するために「自分の目に眠りを与えるな」という提案を実践することにしました。インターネットで情報を集め、地元の法律相談に出かけ、労働基準監督署の相談コーナーにも行ってみました。そして担当官から、派遣法違反でなら問題にできるかも、そんなニュースが最近ありましたよ、と教えてもらいました。帰って調べてみると、何と、つい一週間ほど前に「富士通デバイス」という会社が派遣法違反を労働局から指摘され、派遣労働者を雇用することにした、というニュースを見つけました。それによると、
@ 「OA機器操作」で契約が結ばれていたのに、大半は一般事務であった
A この場合、派遣可能期間は原則1年となる
B 派遣可能期間を過ぎた労働者を使用し続ける場合は、直接雇用しなければならない
これら違反により、労働局は当該労働者を直接雇用するよう指導したのです。これは私のケースとほとんど同じではありませんか!ようやく、一筋の光明が見えてきました。そして、ここから私の反撃が始まったのです。
- 交渉の経過
厚労省兵庫労働局を訪れると、今回のケースは明らかに派遣法違反で行政指導することも可能とのことでした。必要ならすぐ動きましょうという姿勢は「お役所仕事」というイメージからはかけ離れたもので勇気づけられたのを覚えています。翌週には、民法協の派遣労働研究会に出席して、財団との交渉に協力してもらえる労働組合を紹介していただきました。
その間、財団には労働局の見解も伝え、態度を変えてくれることを期待しましたが、料金切り下げだけでなく担当業務を限っての派遣としてなら、という返答で、いわばこれまでの違法状態を闇へ葬るような内容だったため、ついに全面対決することを決意したのです。そして6月30日の現地調査で財団は私を直接雇用するように指導されたのでした。
7月に入り、西播ユニオンの協力で団交を持ちました。財団の主張は、違法状態については指導に従って既に契約を解除しているため問題はない、責任のとり方は今後同様の問題を起こさないように努力することである、私を直接雇用する用意はあるが正職員ではなく1年契約の臨時要員としてで、仕事も大幅に減らすので年収はこれまでの約半分、それが嫌なら解決金を支払うのでそれで和解したい、というお粗末なものでした。
交渉に臨んだ組合の方々は、そんな人を馬鹿にしたような回答では納得できない、もっと私の生活を考えた解決案を用意せよ、とパワフルに応酬してくださり大変心強かったです。つい数週間前に会ったばかりなのにここまで熱くなってくれるとは、と感動さえ覚えました。
その後も粘り強く交渉を続けましたが、法律的にもなかなか決め手がなく、正職員もしくはそれに準ずるような形での雇用を認めさせることはできませんでした。4ヶ月に及ぶ交渉の末、当初より大幅に上積みされた解決金で和解することにしました。職場復帰できなかったのは大変残念ですが、泣き寝入りするよりはずっと良かったと思います。そこしか譲ることがなかったとはいえ、財団が解決金の面で大幅に譲歩したのは非を認めたのも同然と理解しています。その間、多くの方からのご支援をいただきました。到底、私一人の力ではここまでくることはできなかったと思います。私を支えてくださったすべての方々に改めて感謝申し上げたいと思います。
- おわりに
派遣労働者は現在の労働環境の中できわめて弱く、保護されていない立場であるにもかかわらず、その問題性が(当の労働者自身にすら)認識されていない、というのが現状です。今回のように、直接雇用の指導を勝ち取ることはできても、いざ雇用条件の話になると当事者間で決定することとなっており、到底受け入れることのできないような悪条件での提示でも「指導に従った」ことになり、まかり通ってしまうのです。
しかしながら、そういった意味では今回の私の闘いは、現状で望みうる成果としては立派なものだったのではないかと思います。同様の問題に直面している方がおられましたら、参考や励みにしていただければと思います。
- 若干のコメント(弁護士・河村学)
ここにまた、派遣労働者とされてきた労働者について、派遣先への直接雇用を実現させるという成果が一つ加わった。派遣労働者はどんなに働かせてもいつでも期間満了で首にできるという「常識」は覆されようとしている。北村さんの闘いは、勇気があり、そして将来につながる闘いであった。
違法な派遣には直接雇用(期間の定めのない雇用)を求めることで対応するという流れは出来つつある。次は、北村さんのケースでもネックになった均等待遇を勝ち取る闘いである。
- (弁護団は、河村学・大西克彦)
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