 |
 |
 |
- 今回の事例は、海外(イギリス)の現地法人に出向していた大手国際貨物輸送会社(本社大阪市)の社員(当時30歳)が、重要な取引先との輸送事故をめぐるトラブル処理の過程で行き詰まり、現地法人の職場で自殺(縊死)したという事案です。海外に出向赴任中の過労自殺事案であること、そして自殺の直接原因となる重要取引先とのトラブル発生から自殺までの期間が三日間という短期発症型の認定事例であること、などから報告に値する事案と考えた次第です。なお短期の海外出張の場合を除き、労災保険法上は、海外事業には適用がないのが原則です。ただ事業者による特別加入制度が存在し(労災保険法27条6号・7号)、本件はその特別加入事案でした。
- 事案の概要は以下のとおりです
被災者の年齢 30歳(入社8年目)
精神疾患に関する既往歴等 なし
労災申請者 被災者の妻
労働基準監督署 天満労働基準監督署(大阪)
労災申請日 平成14(2002)年3月25日
認定日 平成16(2004)年2月24日
取引先とのトラブル発生 平成13(2001)年1月23日
発症日(死亡日) 平成13(2001)年1月26日
遺書 (有) 「仕事のことで毎日悩んでいた。なにもかもがうまく行かない、自分でコントロールできない」との趣旨
海外赴任 平成10(2000)年〜(家族も)
本件の特徴としては、現地法人のスタッフの中で、日本人は被災者一人であり、彼をサポートするシステムはなく、取引先との貨物輸送事故をめぐるトラブル処理も、現地のスタッフはほとんど関与していなかったという点です。全て本国(東京)の輸送本部からの携帯電話若しくはメールでの指示によるものでした。周囲からの支援はなく、孤立した中で、(時差のある)本国からの指令にひたすら従い奮闘する中で、被災者は寝食を忘れてトラブル処理にあたっていたのですが、ついに力尽きてしまったのです。
- 立証のポイント
本件で我々弁護団が立証のポイントとして意を尽くしたことは
@ 海外赴任という環境の激変と、日本人スタッフが他にいない、すなわち何か問題発生した時に支援体制・危機管理体制が全くなく、被災者一人の肩に全ての負担がかかる状態であったこと。
A 現地法人の労働時間管理は極めて杜撰で、恒常的に長時間勤務(本国とのメールのやり取りは深夜にも及ぶ)であったこと。
B 発症に直接の契機となった重要な得意先とのトラブル処理を、まだ30歳そこそこの被災者一人が対処しなければならなかったこと。被災者は輸送本部(日本)からの指示に全面的に依拠するしかなく、しかもその指示は期限を切られたものであったこと。
C 一度は被災者は日本からの指示通り報告をあげたものの、追加の処理を再度期限を切られて指示されたこと。
D そのような中、特にトラブル発生から三日間の被災者は、現地の自宅でも明らかに様子が変わり、会話もなく、眠れず、食欲もなく、車の運転すらできないのではないかと妻が心配するほどに焦燥していたこと。
などです。立証活動で特筆すべき点としては、証拠保全があげられます。被災者に業務上の指示・命令を与えていた輸送本部拠点二ヶ所(東京)に対し、東京地裁27民事部の二名の裁判官に同時刻に二ヶ所の保全をかけてもらい(二名の弁護団が分かれて配置)、これが大成功しました。上記@〜Dに関連する貴重な資料をかなりの程度入手することができました。
- 労働基準監督署長の判断は以下のとおりです。
発症病名は「うつ病」です。発症時期は平成13(2001)年1月26日頃(自殺直前)。業務上の負荷としては、「恒常的に長時間勤務であったこと」直前重要な取引先とのトラブルに関しては「事故報告を期限までに達成することができなかったこと」等を総合的に判断して、業務上と判断したとのことです。業務以外の要因、固体側要因はないとのことでした。直前の発症から死亡までの期間が三日間と短く、被災者本人の脆弱性という方向で判断されるのではという疑念もあったのですが、海外赴任先でのいろんな負荷も総合的に判断したとのことでした。
- まとめ
グローバル経済化が進む中、残念ながら同種の事案は増えてくるものと思われます。まずは、海外での労災事故に対応できるよう、特別加入制度加入を企業に促すことが極めて重要です。それとともに、海外で働く労働者をいかにして過労死・過労自殺から保護するか、その具体的方策を国や企業は早急に検討するべき時期だろうと思います。
(弁護団は、波多野進と西晃の2名です)
- 草野護さんは、1998年12月4日、職場(南大阪マイホームサービス株式会社)で急性心臓死した。もともと拡張型心筋症という難病を抱えており、会社の健康診断でも「要医療」と診断されていた草野さんだったが、会社は仕事を減らすどころか、健康診断の結果が出た後もさらに多くの仕事を草野さんに担当させていた。
草野さんが搬送された病院の待合室で、会社の社長は「僕が半分殺したようなものだな…」とつぶやいた。この言葉が、奥さんを労災申請、さらには民事訴訟へと踏み切らせるきっかけとなった。
- 通常、過労死とされる事例では、まず労災申請を先行させ、労災認定を得てから、場合により民事訴訟へと進むのが一般的である。
しかし草野さんの事例の場合、もともと草野さん自身が拡張型心筋症という基礎疾病を有していたこと、さらに発症一週間前の過重労働の実態が必ずしも明らかではなかったことなどから、労災申請しても厳しい結果になることが予想された。
そこで弁護団では(というより、もっぱら松丸師匠の発案なのですが)、いったんなされた労災申請をひとまず取り下げ、民事訴訟を先行させるという戦略をとることにした。
民事訴訟とその結果については、以前にも本紙上で報告しているが、そのポイントをかいつまんでまとめると、裁判所(大阪地方裁判所堺支部(中路義彦裁判長)2003年4月4日判決)の判断は、草野さんが亡くなる年まで会社は定期の健康診断を行っていなかったこと(労安衛法違反)、亡くなった年の健康診断で「要医療」と診断されたにもかかわらず、会社は草野さんの病状などについて医師の意見聴取も行わず(やはり労安衛法違反)、過重な業務を続けさせたことを明確に安全配慮義務違反と断じ、草野さんの死亡との間に因果関係を認めて会社の損害賠償責任を肯定した。拡張型心筋症という基礎疾病についても、弁護団では大幅な寄与度減額を恐れていたが、5割に抑えることができた。
- 会社側は大阪高裁に控訴したが、控訴審が始まる前の6月10日、ほぼ1審判決に添う内容での和解で決着した。こうした民事訴訟での成果を踏まえ、6月16日、堺労基署に労災申請を行った。
労災申請に当たっては、民事訴訟の場で明らかになった草野さんの過重労働の実態に加え、2001年12月に過労死の認定基準が改定され、発症前6ヶ月間の過重労働実態を評価することとされたことも有力な武器となった。
このような経過を経て、2004年1月、堺労基署は保険給付の決定をしたが、ここでも、遺族補償年金等の額にサービス残業分も参入するという大きな成果をあげることができた。
労災申請をいったん取り下げて民事訴訟を先行させ、大きな成果を挙げた例として紹介した次第である。
(弁護団は、松丸正、横山精一、私の3名です)
|